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第19回 きっと、偶然なんてものはない。



写真集「青い魚」より 1996
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今回は、具体的に写真をどう撮るか、ではなく、
写真をどう見るか、というお話をします。

岡本太郎氏も、
“写真とは、偶然を偶然としてとらえて必然にする力”
だと言っていますが、
ぼくにとって写真というのは、
その小さな偶然が、
ひとつの必然に変わる瞬間を写しているもの、
ということだけではありません。
「一枚の写真の中には、
 もっと、大きなつながりが写っている」
と考えているからです。

冒頭の写真は、
ぼくが初めて映画の撮影監督をつとめた映画「青い魚」が、
その後写真集になったときの一枚です。
撮影地は沖縄の那覇。
沖縄でなければならない必然があったわけではなく、
あくまでも“日常”を描く舞台として、
偶然に、選ばれた場所だったのですが、
この土地が、そしてこの映画の撮影経験が、
その後、ぼくのすべての写真に
大きな影響をあたえることになりました。
詳細をお話しするときりがなさそうなので省きますが、
ぼくは、そこから「光」を求めて奄美にたどり着き、
そこで、湿板写真を始めることになりました。

具体的に意識したことなど一度もないはずなのに、
振り返ると、すべてのものごとが、つながっている。
すべては偶然から始まっているのに、
それが大きな必然へと、
はっきりとしたかたちで、つながっている。

そういう経験は、みなさんにも、
あるのではないでしょうか。

そしてこのことは、
(少なくとも、そこにうそがなかった場合は)
すべての写真に、当てはまるような気がしているのです。

糸井さんの「気まぐれカメら」に
写っているもの。


現在、糸井さんが毎日のように
「気まぐれカメら」と銘打って、
日常の中で見つけたいろいろだったり、
愛犬ブイヨンだったり、奥様だったりを撮っていますよね。
ぼくはあの連載がとても楽しみで、
糸井さんの写真を見ては、驚いたり、
ほのぼのとしたりしているのですが、
おそらくみなさんも同じではないでしょうか。
「ほのぼの」といっても、
それは具体的にブイヨンの表情がかわいいとか、
そういうことだけではありません。
どこかで、糸井さんが何の気なしに撮っている写真に、
必然というか、その時の気持ちのあたたかさみたいなものを
感じることが出来るからだと思います。
だから、少なくとも「どうして、犬ばかりなの」
とは思いませんよね。

糸井さんの写真には、
一枚の写真では語ることのできないはずの
“何か”が写っています。
「単なる偶然ではなくて、そこに至るまでの経緯を含めて、
 ちょっとした必然が、そこに生まれている」
ということです。
ぼくたちは、知らず知らずのうちに、
糸井さんの撮った一枚の写真を楽しむだけでなく、
その前後みたいなことを、意識しながら見ているんですね。
例えば、ブイヨンにしても、
彼女が糸井家にやってきた経緯を知っているか、いないかで、
その写真の見方だって、変わるはずです。

けれども、まったくの他人の写真に関しては、
「その経緯」を知ることはむずかしい。
自分で想像するしかありません。
ではその想像力をやしなうには、
どうしたらいいのでしょう?

「写真が撮られたときのこと」を
思い出してみよう。


まずは、自分の写真でやってみてください。
「この写真、好きだな」と思う、
自分で撮った写真を一枚、目の前に置いて、
その写真を撮影した経緯を思い出しながら、
もう一度ゆっくり見てみてください。
「そうか、あの日、あそこにいて、
 ●●ちゃんに久しぶりに会ったんだ。
 そのあと、うれしい気持ちのまま、
 この風景を撮ったんだった」
──そんなふうに、少しでも思い出すことが出来たら、
それで大丈夫です。そのことを意識できれば、
こんどは「ひとの写真」でも
同じように想像してたのしむことができるようになりますし、
自分の「好きな写真は何か」ということも、わかってきます。
そしておそらくみなさんの撮る写真も変わっていくはずです。
しかも、そこにうそがないかぎり、
あなたの人生と写真とが、
どんどん、勝手につながっていくはずです。

だからこそ、写真を撮るときには
“いい写真”って何なのかなんて考えなくてもいいんです。
“いい写真”を撮ろうとしないで、
(もちろん、たまには、それはそれで面白いのですが)
目の前にある出来事の、
偶然がつくるちょっとした表情に、
目を凝らしてみてください。

すると、その偶然の出会いによって、
ひとつの瞬間が生まれます。
まさに、それが写真です。
しかも、それを繰り返すことで、
いつの日か、今度はそのことさえも
当たり前になっていきます。
そうなれば、意識的に
必然を生み出す必要はありません。
不思議なもので、それがたまたまの、
ひとつの小さな偶然だとしても、
しばらくして振り返ってみると、
きっとそこには、予想以上の大きな必然のつらなりを、
見つけ出すことが出来るようになります。
そのときに、写真は、あなたにとって、
大きくその意味合いを変えていくことでしょう。



写真を見るときには、
「その写真が撮られたときのこと」を
想像してみよう。
その時間、その気持ち、その光、
目の前にある出来事の、
偶然がつくるちょっとした表情に、
目を凝らしてみよう。
やがて、あなたの撮った写真は、
たった一枚の写真であったはずのものが、
すべて、つながっていくから。



写真集「青い魚」と同時に刊行された
写真集「赤い花」の中からの一枚 1987
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次回は、
「光にも、温度があるのを知っていますか」
というお話です。お楽しみに。


2006-04-21-FRI
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