コンビニ哲学発売中。
(300歳で300分バージョン)

第1回 おぼえなきゃいけないことなんてない


「自分の歩みたい道を、
 ほんとうのことを言うと、自分は歩いていない」

そんなふうに感じている人、
じつは、けっこうたくさんいると思います。

ほんとうの自分は、どこかしら完璧主義で、
実際の生活のうえでも、そこそこいいことをしているはず。

しかし、特別なある局面にふと見えてくる、
自分の卑怯な姿、器のちいささ、情のうすさ……。

とんでもない窮地に立って、夢中になった時に浮き彫りになる
必死で醜い「自分」の姿を、見なかったふりして、
一日一日、もとの自分のイメージに合うように
一生懸命、生活をしている人も、いるんだろうなぁと思います。

これは、別に誰がどうということではなく、
自分なりに、4年弱、「ほぼ日」全体に届いているメールを、
何万通も読み続けていて、実感としてわかっていることです。

ところで、ダメな自分を認めることは、
「それもあり」という、ありがちな価値観なのでしょうか?

いや、そうじゃないかもしれない。
ダメな自分、そしてダメな歴史を見つめることは、
単なる「あきらめ」ではないのかもしれません。

そう思うきっかけになるような、
ひとりの日本人の言葉を、今日は、紹介したいと思います。

西洋人の思想、とりわけ、いろいろな言葉の中でも、
「これは特に重要な思想だ」とされる人の言ってることしか、
信じたくはない、という人は、いませんか?

「あの人の思想は、この人によって、克服されたんだから、
 最新の思想として残っているものだけ、見ていればいい」
そういう考えを、実践している人は、いませんか?

そう感じていると、毎日が苦しいと思います。
厭世観に、さいなまれるから。
つまり、自分も含めて、
理想に沿う考え方をする人が、ほとんどいないから。

「自分の尊敬するあの人は、それができているんだ」
たとえば、そういう細い「のぞみ」を挫けさせる現実は、
世の中には、あまりにも多いんじゃないかなぁ、と思います。

日本が戦争をしていたときに、
殺す人の痛みと、殺される人の痛みを、
次のように見つめていた人がいます。

「戦争中、私は、殺したくないという希望によって生きた。
 同時に、殺す役にあたる人に敵意をもつことはなかった。
 殺し殺される場にともにおかれたものとして
 共同性の感情を持った。
 敵味方の区別なく、戦死者に対して脱帽する姿勢が
 敗戦によってたたれることなく、つづいている」


若い頃から、どうしようもならない現実に出会い、
厭世観にさいなまれていたこの人は、年齢を重ねた後で、
「自分の存在は受けいれがたいという感じ方」をやめて、
「自分を受けいれているという状態」にいる自分に
気づいたといいます。

その人が残した言葉の中から、
ひとつだけ、要約しつつ、おとどけしてみます。
ちょっと、音読するように、ゆっくり読んでみてください。

「はみだした部分を内心にもってこの社会を生きていると、
 ひとつの立場をとることがあっても、
 そしていったんひきうけたその立場から去らないとしても、
 自分と対立する立場のものを
 その存在ぐるみ否定する気分になれない。
 それなりの根拠を見出そうと思い、
 反対の立場にある人に対して、共感をもつことがある。

 固定した理想社会の像をもたないようにすると、
 よりよい社会は、これまでのまちがいを
 ふりかえることをとおして、方向としてあらわれる。
 そのときにも、ひとつの方向をしぼるということをさけたい。
 むしろ、いくつもの枝葉にわかれて
 おいしげってゆく現在と未来とを心におきたい。
 
 ある思想の完全な実現にむかって努力するというふうに、
 目標を、私にとっても、社会にとっても、さだめたくない。
 さもなければ、こどものころに
 私が自分をそうであると認めた、はみだしものを、
 ローラーにかけてなめしてしまうことになるのだから」


いくら賢くなったと思っていても、
その自分は、かつて、いまの自分が
否定したいほどの、ちっぽけなものだった。
だからこそ、そのまちがいのしかたには独創性があって、
いつか消える細い道は、かけがえのない美しさでいろどられる。

「さもなければ、ローラーでなめしてしまうことになる」

かつて、頭でっかちだったこの日本人は、
自分の身体で、直に感じたことをつきつめるようになり、
観客としてものを言うのをやめた。

世界を受けいれないことにして、
世界の外に架空の自分を立たせて、
そこからその世界を批判し続ける方法は、もう捨てた。

まちがいだったら、
どこにだって生き生きと転がっている。
それを見つめることは、ムダじゃないし、おもしろい。

ぼくは、この人、鶴見俊輔さんの本を読むと、いつも、
そういう種類の勇気をもらっているような気がするんです。

「戦争と不可分の戦後。
 しかし、この世の中には、
 おぼえていなくてはいけないことなどない。
 どうして自分からこの言葉が出てくるのか、
 わからなかったが、
 この言葉をとりけそうとは思わなかった。
 この思想が自分の中にあることはたしかだ」


実感したこと、切実に感じたことを、
思いきって、まるごと伝えてくれる人。
欧米の人の著作しか読みつづけていない方に対しても、
ぜひ、紹介したいような日本人が、ほんとはいっぱいいます。

鶴見俊輔さんは、たまたま、
「智慧の実を食べよう」
というイベントには、登場しない人ですが、
吉本さん、小野田さん、藤田さん、谷川さん、詫摩さん、
と、いろいろな先輩たちの言葉を聞く機会があるのなら、
ぜひ、その先輩たちの生きてきた姿を、一緒に見てみたい。
ぼくは、そう思いました。

うっかり見逃してきた人にこそ、
お伝えしたいような先輩たちの言葉を、この場所で、
短期の連載で、おとどけしたいと考えています。

次回からの数回は、
まず、吉本隆明さんの言葉を、紹介しますね。
イベント本番を待ちながら、この連載も、
ちょっとだけ、たのしみにしていてください。

・・・感想は、この短期連載を続けるうえでも
とても参考になるので、
postman@1101.com
ぜひぜひ、こちらに、件名を「コンビニ哲学」として、
お送りくださいませ!

このコーナーへの感想などは、
メールの表題に「コンビニ哲学」と書いて、
postman@1101.comに送ってくださいね。

2003-08-25-MON

BACK
戻る