老人になるための練習
(「コンビニ哲学発売中」の特別篇)

第7回 相互理解は、ありえないかもしれないけど。


げらっぱ!(※下音:げろうら) 
こんにちは。マスィーンな「ほぼ日」木村です。

今日のこのコーナーって、
予定としては、実は「落としどころ」が、
あらかじめ、決まっていたはずでした。
ガダマーというドイツの哲学者の言葉を紹介して、
その後におたよりを紹介して楽しむ、という案だった。

ところが、「老人」宛てのメールを読んでいるうちに、
なるべくたくさんをここで紹介したくなりましたのだ。

なので、ガダマーの言葉を、
ぼくが紹介したかったなら紹介するで、
ここでは、「さささ」っと引用だけにしたいと思います。

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お祭りは、ただ単にそこにあるだけだけど、
「お祭りは、祝う人たちの主観的な心の中にだけある」
というわけではない。ぼくはむしろそれは逆だと思う。
人は、祭りがあるからこそ、それを祝えるのだから。

娯楽には、なぜ魅力があるのかというと、
「競技者が主役になるわけではなく、
 娯楽それ自体が、主役になってゆく」
という事実に、あるのではないだろーか? 
娯楽の主役とは、娯楽そのものの持つあやうさなのよ。


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ぼくはここを読んでいたら、
「娯楽」を「暮らしていく上の実際の味わい」と仮に捉えて、
「競技者」を「それぞれの人の頭の中」だと仮に想定すると、
経験を考える上でも、おもしろいかなあと思っていました。

何をやっても、自分が頭で思っていることと、
他人がおんなじことを頭で受けとめていることとは
かなり違うから、相互理解のようなものはありえない・・・
そう思って、じゃあ、コミュニケーションには、
意味なんてないのかもしれない、と感じる人もいるでしょ?

でも、もしかしたら、大切なのは、
「互いの頭の内部のイメージが伝わるかどうか」よりも、
おもしろい実際の出来事を、ただ単に楽しくしていくことや、
その場限りの娯楽に溺れて充分に遊ぶことなのかも。

それこそ「お祭りは、心の中だけにあるわけではない」ので、
祭りのあとの気分が、あいつとじぶんとでは違っていても、
「祭りがあるから祝っている」という状態そのものは、
ふたりともが楽しめている・・・という感じで。

いくら経験をしても、誰とも理解しあうことはできなくて、
人は、年を重ねるごとに、孤独になるばかりかもしれない。
でも、経験の表面を味わうことにこそ、何かあるのか?

このコーナーで、今回は、
そういう整理できていないところに
少し触れてみようと、木村は個人的に想像していました。

でも、届いたメールをできるだけ多く紹介したいあまり、
そのぼくの考えの舞台裏をこうして書き終わりましたので、
さっそく、みなさんからのメールに、移りますよん。

今日は21通になります。
かーなり長いですけど、思いはこもってるよ。
最初のメールは特に長いけど、せつなくて好きです。
いろんな暮らしとか経験を、読んでみてください。


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>こんばんは。お初にお目にかかります。
>私は映画製作業に従事する29・女です。
>映画の撮影も無事に終わり、
>半年ぶりに休みがとれたので先日実家に戻りました。
>妹が録画していたサザンオールスターズのLIVEを、
>暇にまかせてぼんやりと観ていたら
>若かりし頃の恋のことを生々しく思い出しました。
>
>彼とは18で出会い21まで恋をしていました。
>そしてその彼といた時間のほとんどは
>サザンの音楽とともにありました。
>
>あんなに激しく人を好きになったことも、
>あんなに惚れられたことも、
>あんなに口汚く罵り合った事も。
>あんなにたくさんの朝と昼と晩を
>一緒に過ごしたことも、
>誰かに依存しきっていたことも。
>全てが最初で最後だったのではないかと、
>今になって思い返すようなしんどい恋でした。
>まるでその4年間は、全力疾走で
>42.195キロ走ったような、そんな感覚でした。
>
>10年たって大人になってしまった私はもう、
>決定的に人を傷つけるような言葉を
>意図的に口にすることは滅多にないし、
>自分の足で歩くことを覚えてしまったし、
>恋愛と仕事のバランスを
>無意識に取るようになっています。
>
>でもそれはそれで悪いことじゃないと思っています。
>今ではもう、「永遠」も「絶対」も幻に過ぎない、
>と気がついてしまったけれど、
>あの頃の私は彼といる時間は「永遠」に続くものだと
>信じて疑っていなかったんでしょうね。
>
>そして、そのことを若い頃に
>信じることのできた私はとてもシアワセです。
>同時に、今は「永遠」も「絶対」もないと
>知っているからこそ、目の前にいる人を
>大切にしようと思うし、誰かと過ごす時間を
>simpleに「楽しもう」と考えるようになったことを
>うれしく思います。
>
>10年たった今では彼とは無二の親友です。
>といっても、もともとは色恋沙汰から始まった
>二人の「友人関係」を続けてきたこの10年の間、
>お互いにいろいろと複雑な思いやせつない思いに、
>時々はなったりしながら、それでも
>男と女としての縁はなかったのでしょう。
>
>幸か不幸か「友人」として、
>それら全てを消化して今に至ります。
>
>実家から東京に戻ってきた夜、
>私は彼に出会ってから初めて「手紙」を書きました。
>つい最近始まったばかりの私の新しい恋の報告と、
>サザンのライブ観たよーということ、
>そしてこの10年の感謝の気持ちを込めた
>「ありがとう」というキモチ。
>
>電話ではなく、文字にして伝えたくなったのでした。
>書きながら、彼と出会った意味、別れたことの意味、
>それからこの10年という歳月の意味が
>初めて、心の奥深くにじんわりと
>沈着していったような気がしました。
>
>私はきっとこの先、おばあちゃんになっても、
>どこかでふとサザンの曲を耳にしたら、
>彼と過ごした時間と彼のいた風景を
>切なく思い出すんだろうなぁ。
>この先に誰とサザンを聞いたとしても、
>多分そのことに変わりはないんだろう。
>私の心の中に、誰にも侵せない場所を彼は作ってくれた。
>そのことが今の私を支えている。励ましてくれる。
>
>さて。今は目の前にいる、最近恋に落ちた人と、
>どんなふうにコミュニケーションを
>とっていけばいいものか、
>そんなことで、実はアタマがいっぱいです。
>面倒くさいから、もう
>投げ出しちまおうかと思うこともあります。
>
>でも、時々あのときに感じた
>痛みを伴ったせつなさをちらっと思い出し、
>もう少し頑張ってみようか…と
>思ってみたりする今日この頃なのです。
>
>すっかり長くなってしまいましたが…
>わたしの「せつない経験」です。
>個人的なことでごめんなさい。
>
>やさいや


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>「老人になるための練習」を読んで、
>頭に浮かんだのは「ストレイト・ストーリー」です。
>
>デビット・リンチ監督の映画で、
>70歳か80歳くらいのおじいさんが、
>10年以上仲たがいしていた兄弟に
>時速6(8?)キロのトラクターで、
>6週間かけて会いに行く。
>その途中の所々でいろんな人々に触れあう。
>
>私はこの映画の感想を以下のように友人に送りました。
>
>「後悔に似たやるせない想いって
> いつも何処かにありますよね?
> 本当はこうすべきだったのに、
> という過去を振り返ってもどうにもならない想い。
> または、思い悩んでもどうしようも変えられない現実。
> この映画で言うのならばそれは『老い』。
>
> 私はまだ老いてはいないけれど、
> 目の前に認めたくない現実が
> あまりにたくさんあります。
>
> 1年間愛していたつもりの彼には
> 半同棲の彼女が居た事。
> そして、彼は最終的に私を選ばなかった事。
> 東京に行きたかったのに、
> この地で仕事を広めてしまいすぐには動けない事。
> 自分の性格が人を苛々させる事。
> もう、春が来てしまった事。
>
> 現実はそこにあるのに、
> 『でも・・・』って言う想いが
> そこここに落ちていて、それらが邪魔して歩き難い。
>
> 映画の中では、老人の夢は達成されたけれど
> 何かを成し遂げても、成し遂げなくても
> 「老い」は解決できな問題で、
> いくら前向きに考えても
> やっぱり時間だけは取り戻せない。
> 主人公は言います。
> 『老いてつらいのは、若い時を覚えているって事さ』。
>
> でも、現実は素直に受け止めるしかなく
> 何かを解決させる『答え』を無理にだす必要も無い。
> 当たり前の事が当たり前に行える幸せがある。
> 経験を重ねたからこそ、『許し、許される』 気持ちの
> ゆとりと 、優しさが生まれるのかもしれない。
> そんな事を暖かく教えてくれる映画でした」
>
>半年前、自分自身もも他人も
>誰も信じられないと思っていたころでした。
>まだ、納得の行かない姿が目前にあります。
>もう、秋になっちゃった・・・・って。
>うじうじ考える事もあります。
>
>私は他人に優しくもないし、
>現実が許せないと思う事も多いです。
>相変わらず何の技術も身についていないし、
>何も掴んでいない。
>
>「想い」のよう不確実なものが
>いつも自分を取り巻いてます。
>でも、なんとなく最近は
>何とか自分とは正直に付合えそうです。
>
>swanky


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>私もゆかさんと同じように、
>もう若い頃には戻りたくはないです。
>あんなに天真爛漫で無鉄砲で
>先の分からない可能性ばかりに
>あふれている時期は、一度で十分です。
>
>あのときはとっても楽しくて、
>何をやってもうまくいく
>売れっ子のアイドル気分だったので、
>驚くほどいろんなことに挑戦できたし、
>失敗することを恐れて
>変に萎縮したりすることもなかった。
>そう言う意味ではやっぱり
>経てきて良かったと思います。
>「えいや!」と飛び込む思い切りを
>身体に覚えさせることもできたし。
>
>でも、それが根拠のない自信、あるいは
>若さに基づく自信であったことに気づいたとき、
>私の信じていた世界と実際の世の中とが
>大きく乖離しているという事実に直面しました。
>あれは多分、「トゥルーマン・ショー」の主役の彼が、
>張りぼての世界に気づいちゃったようなショックと
>同じぐらいだったと思います。
>
>それからやっと、
>自分の目や耳や全身を使って、
>今の自分の位置や世界との距離を
>はかるようになったのです。
>それは自分のできないところを
>まざまざと見せつけられて、
>時々いたたまれなくなるけれど、
>その分発見の多い作業でした。
>隣で生きている人の鼓動がきこえたり、
>人間のあからさまな欲望や、ネガティブな感情が
>以前よりもずっと理解でき、沁みるようになりました。
>そして、ときどきは
>人の弱さや身勝手な部分を許すことも覚えました。
>自分にもあり得ることとして。
>
>今は、できるかぎり妥協をせずに、
>私の信じている世界と現実との
>折り合いをつけるのに精一杯です。
>
>なんだか捨てられない夢を持っているから、
>がむしゃらに頑張っちゃうし、
>だから後悔もあるし、
>イヤになってときどきさぼるし、
>それで反省も山ほどあるし、いろいろ大変です。
>ごくごくたまに「やっててよかった〜」と
>一息つけるぐらいです。
>今が一番楽で楽しいなんてとても言えません。
>
>でもいつか、それまで
>歯を食いしばってやってきた自分を
>すべて許せるような、
>そんな自分になれると信じています。
>
>今の私を経てなった何十年ヶ後の私なら、
>今の私のよき理解者になると思う。
>自己弁護とかではなく、
>責任を持って選択を重ねてきた末の私自身として。
>
>うまく言えませんが、そういう老人に私はなりたいです。
>
>マンゴスティン


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>私は、5年位前までは
>いわゆる良い子ちゃんだったのですが
>それを「あー、やめた」と思った時から
>すごく楽になりました。
>だから私もあまり若い頃に戻りたいとは思いません。
> 
>最近すごく感動したのは
>高校の時からお世話になっていた先生が
>今度、定年になられるのですが
>「プロのカメラマンになって癒しの写真を撮りたい」
>という夢を語ってくれた事です。
>私のなかでは、プロという言葉のつく職業は
>早くから勉強していないとなれないもの、
>という固定観念があったので、
>はじめ聞いたときはとてもびっくりしました。
>
>私が、20年位前に病気した時も
>ずっと見守ってくださいました
>(先生も若い頃同じような体験をされていました)。
>楽しいはずの20代後半は病気と向き合う日々でした。
>でも、先生からその夢の話を聞いた時、
>私は病気をしたお陰で
>先生と深く話せるようになったし
>こんなに心の奥の奥の方に
>響いてくるんじゃないかなあ、と思ったら
>生まれて初めて、
>「病気になって良かった」と感謝しました。
>
>ゆう


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>お年寄りはその存在だけで
>素晴らしいと思い始めたこの頃でしたので
>このコーナーが目に止まりました。
>私がよそ者との関わりの中で学んだ事は
>「自分の出した邪気は自分に戻る」です。
>
>口にださずとも思ってる事や考えてる事は
>自覚している以上に外にでます。
>だから本当の内側を作るのは難しい。
>自分の中にある自分の醜く意地悪な面や邪気。
>よそ者との出来事やトラブルは、
>自分の外部で起こってるように思いがちですが、
>実は自分の発した邪気が
>原因の事が多いように思います。
>
>また、自分の生き方や信念、人との関わり方や
>大切なモノを見つけよう、見極めようとする
>真面目な人ほど「自分のスジに合わない」人達を
>嗅ぎ分ける力に優れ、自分の許容量を超えると
>その人達を排除、閉鎖する傾向が強いような気がします。
>
>それは一種の防衛本能と思います。
>よそ者との関わりを大切に
>丁寧にしようとすればするほど出てくる弊害、
>副作用のようなモノなのかも知れません。
>
>BP


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>私は数カ月前初めて
>「シツレン」という経験をしました。
>15才から24才まで彼氏がいない日が
>1日もなかったのです。
>9年間で5人。短くて5ヶ月、長くて4年半。
>彼氏がいない自分なんて想像もできませんでした。
>
>私は、本気で好きなら
>叶わない恋なんて絶対にありえないと思っていました。
>本気で好きな人になった人とは
>みんな付き合ってきたのですから。
>とにかく恋愛に対しては強気でした。
>今考えれば「シツレン」した友達を
>「シツレン」経験のなかった私が
>相談にのっていたのは、おかしな話です。
>
>そしてついに1年9ヶ月付き合っていた人に
>別れを告げられました。信じられなかった。
>自分のことじゃないみたいで、
>状況が全く理解できませんでした。
>
>次の日にもう1度話し合いましたが、結果は変わらず。
>未開の地で原因不明の不治の病にかかったよう。
>眠れない、食べられない、笑えない。
>自分の居場所がどこにもないようで、
>何をしても自分じゃないようで、
>泣いてばかりいました。
>体重も一気に減り、どうしていいのか分からず、
>実家に帰りました。家族は温かかったです。
>でも、結婚を2ヶ月後に控えた兄の
>幸せそうな顔を見ているのが辛くて、
>このままここにいたら、甘えっぱなしになるのが嫌で、
>東京に戻ってきました。
>
>友達は驚いていました。
>私が初めて「シツレン」したこと、
>そして弱っている私に。
>本気で好きなら叶わない恋なんて
>絶対にありえない、そう信じていた私はこの
>「シツレン」を受け入れることができず、
>「何で?」「どうして?」を繰り返すことしか
>できませんでした。友達は時間の許す限り、
>私のつじつまの合わない話を黙って聞いてくれました。
>自分の考えを押し付けるわけでもなく、
>言いたいことを吐き出させて楽にしてくれました。
>
>本を読み、PCを買い、プールに通い、
>とにかく自分のやりたいことをやりました。
>いつも好きな人がそばにいて、
>自分1人の時間の過ごし方が分からず、
>やりたいことをやっているのに涙が出てきて、
>それでも自分を建て直そうと必死でした。
>
>自分を見つめ直すこと、家族の愛情、友達の意味、
>いろんなことを「シツレン」という
>経験から学びました。
>正直、自分とは無縁だと思っていた「シツレン」。
>10代に経験していたら、
>今の自分とは違う自分になっていたんだろうなぁ。
>今でもたまに泣いてしまいます。
>
>私を確実にオトナにさせてはくれたのだけれど、
>「良い経験をしたわ」とはまだ悔しくて言えません。
>でも心の奥ではそう思っています。
>(認めるのはホント悔しいけれど)
>       
>キラチカ


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>私、40です。ババァだって、思う?
>でも、今後の人生で、今が一番若い。そう思うと、
>いちいち年齢なんて考えていたら損をするし、
>今を楽しむほうがいいと思うようになりました。
>10代の頃は今が一番いいと思いながら、
>中途半端で一番つらいとも思っていました。
>親のことも嫌いだった。
>私が死んでしまえば、
>親がびっくりするだろうなと思って、
>本気で死ぬことを考えたりしました。
>
>今思うと、親にかなりの部分、
>支配されていたのだと思います。
>親とか世間とか、なんか実体のないものに
>押しつぶされそうになっていたのかもしれません。
>でも、死ななかったし、
>人を傷つけたりもできなかった。
>
>もって行き場のないもやもやを感じながら、
>どう生きていったらいいのだろうと思いながら、
>何とかくぐりぬけてきたように思います。
>だから、高校時代はどうやって暮らしていたのか、
>今では記憶も定かではありません。
>
>一人前の顔をして
>世間というところへ出て暮らしていると、
>しんどいこともいっぱいあって。
>だけど、何とか生きているのは、
>「あきらめ」とか「開き直り」とかいう、
>私が醜くて嫌いだと思っていたオトナの部分を
>いつのまにか身につけてきたからでしょう。
>
>でも、それが人間の真実ではないでしょうか。
>人は簡単には死ねません。
>本当に死にそうになったら、
>何とか助かろうとするもので、それが本能です。
>心が傷つかないように、
>痛みを感じないで生きていけるように、そうやって
>自分を守るようになったのがオトナかなと思います。
>
>それは、「厚顔無恥」とか「ふてぶてしい」と
>見えるときもあるでしょうが、私自身としては
>「許容範囲の広い」「柔軟な」心を持つように
>努めたいと思っています。だからオトナは、
>自分に甘い代わりに人にも寛容になるところもあります。
>他人にだけ厳しい人は、
>本当の意味でのオトナではないと思っています。
>
>オバ


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>1歩1歩歩いた。生まれてもう何歩歩いたんだろう?
>経験とは何だろう?
>それには形があるのだろうか?
>それはどこに蓄積されるのだろうか?
>脳のどっかに収納されてるのかな?
>心で感じるものはあれは何だろう?
>
>母親の中でグルグルまわされて飛び出してきた。
>惰性でいつのまにか年を取っていく。
>いままでもこれからもずっとこのまま・・・。
>老いる?
>それは生きているうちに実感できるのだろうか?
>年を取るにつれ経験が増えていくのか?
>経験を積んでいくといつのまにか年を取っているのか?
>
>人間はいくら頑張っても大人にはなれないと思う。
>それは私達もあなた達も親が生んでくれたから。
>自分達が親になった時も
>自分達が100歳を超えても
>やっぱり経験も精神も子供のままだろう。
>
>上手に年を取る、
>経験を沢山つんで友達や周りの人達の
>苦痛を和らげる事ができる・・・
>出来るのだろうか?
>君は僕の痛みをどこまで理解できる?
>どの経験でこの痛みを和らげるようにはめ込む?
>
>唯一年を取るのを感じられるのは、
>考える事だと思う。他の誰の意見よりも
>自分が考えて考えて出した答えの方が
>すっごい大変だしすっごい疲れるし
>すっごい時間もかかるけど、やっぱりそれが一番
>経験と呼べるものに近いんだと思う。
>
>直樹


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>ワタクシ、当年とって38歳、主婦。子供二人。
>さまざまな出会いの中で、
>人はいろんな経験をしますよね。
>逆に、出会いなくしては
>経験は生まれてこないと言うか。
>
>で、何が大切かというと、
>そのひとつひとつの出会いの中に、
>隠された「気付き」というものがあって、
>それこそが経験を深めるというか、
>出会いのいのちであると思うんですよ。
>
>そういう経験が、
>人を豊かにしていくんじゃないかなぁ。
>そして、経験を重ねる、
>出会いを重ねるということは、
>やはり年齢を重ねることにも通じていると思います。
>出会いのいのちにその時々、気付けなくても、
>年齢を重ねて、同じような事象にまたで会うと、
>以前は気付けなかったことに
>突然気付かされたりすることがあります。
>その時、過去の出会いに隠れていたいのちをも、
>新しく発見することになります。
>
>なんていうか、人生って、
>一直線に未来に伸びていくものではなくて、
>螺旋階段を上っていくようなものだと思うんですよね。
>で、過ぎた事と思っていても、
>過ぎているのは時間だけで、
>そのいのちはいつもそこにあるというか。
>それは繰り返し繰り返し、目の前に立ち現れてくる。
>生きるという事は、そのいのちに
>どれだけ気付けるか、ということなのでは。
>
>kayo


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>33歳、妻と3歳と1歳の息子と娘あり。
>
>3年前に、それまで勤めていた会社を退職し、
>12年間暮らした東京を離れ、田舎に帰り
>父親の小さな会社を継ぎました。
>若干30歳。半年もたたない間に『専務取締役』就任。
>一夜にして、平均年齢53歳の従業員たちのボスに。
>時はまさに、超不況の真っ只中。
>今までの慣習にとらわれない斬新なアイデアで、
>この不況をのりきることが、僕の仕事・・・。
>
>ここまでで、大体、
>どういう展開になるかお分かりですよね。
>日常の良くある風景です・・・。
>
>その年代の人たちが過ごした環境、受けた教育等、
>いろいろあるので一概には言えませんが・・・、
>『くやしい!!』
>
>年配の、とくにのほほんと生きてきた人に限って、
>『経験』を「印籠」や「免罪符」のように使ってくる。
>それは、やる気のある若者に
>唯一足りないものであって、
>ノホホンじいさんの、唯一の武器だから。
>
>『経験』は、新しいチャレンジへの土台であって、
>新しい事を拒むための隠れ蓑にしてはいけない!と、
>なまけもののみなさんに、
>声を大にして、言いたいのです。
>
>でもね、組織とすれば、周りが見えず、
>つっぱしりがちな若者の、ブレーキ役という
>一面があることは分かってるんです・・・。
>
>じき


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>年輪は冬と夏で樹木の成長速度が異なる、
>つまり冬の時期に木が「締まって」年輪が刻まれるので、
>常夏の熱帯の木には年輪はできないといいます。
>年齢を重ねることは生きていれば
>誰にでも訪れる不可避の事実ですが、
>何も葛藤を経験しないでぬくぬく生きていると
>自分の年輪ってもんが刻まれないんだろうな、
>と思います。
>だから、歯を食いしばらなきゃならないことがあると、
>「ううぅ、くそぉかかってこいやぁ・・・」と
>虚勢を張ってうめくこの頃です。
>
>た・な


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>こんにちは。楽しく読んでます。
>「歳をとる事」は、かっこいいかも!
>と思っておりました。なぜか、ある日突然、
>そんな考えが頭の中で生まれてしまった!
>という感覚があります。なんでかなあ。
>年取ると、否が応でも「私も墓場へ近づいたぞ」と
>気づいちゃうからなんでしょうか?
>自然界は残酷で、どんなに素晴らしい人でも、
>寿命が来れば「ハイさようなら」ですからね。
>どんなにがんばって自分を鍛え上げても、
>死んじゃったら元素をばらばらにされて、
>全然違うもんに組替えられちゃうんですから。
>寿命で死ぬって、言い換えれば
>「自然界に殺される」とも言えるんじゃあないかと
>私は思ってます。
>
> 健康な若者だって、「死ぬ」って事は
>もちろん知ってるんですけど。
>私が高校生くらいの時の頃を思い出してみても、
>「死ぬってなんなんだろう」なんて
>ちょっと哲学してみたり、という事はありましたが、
>寿命が尽きるってのはほとんど
>自分に縁が無いと思ってました。
>これこそが無知って事なんでしょう。
>
>「その内死ぬんだぞ」って実感湧くと、
>「今しかないぞ」って思いと、
>「世の中なんて限りある、くだらないもんなんだぞ」
>って思いと両方生まれてしまうのでは、と思うのです。
>自分や、自分の大切な人へ集中したパワーと、
>地上を離れて神様の目線に立ったような、
>開き直りのパワーとのぶつかり合い。
>
>私は「歳を取る」という事は「彫刻を彫る」感じかな、
>とイメージしています。はじめは大理石とか、木とか、
>何になるのか分からない曖昧な物が、
>だんだん形を変え、何回も修正されて
>姿を現してくるという感じです。
>楽しみでもあり、不安でもあります。
>
>ak


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>「過去は物語に作り変える事が出来る。」
>あたしの好きな詩人の言葉。
>楽しい物語にだったら、いいよね。
>
>時は前に進むと時間になって、
>過去に進むと物語になるのです。
>人は、物語を作る為に、今の時を過ごしてるのかな。
>今のこの時間も、確実に過ぎて、過去になってる。
>未来を思い描くのは「物語」とは違う気がするし。
>
>あたしは、作った過去(物語)じゃなくて、
>事実を映したソレを抱きしめて、今を生きたい。
>
>yana


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>あたしもこの前30歳になり、
>社会人を辞めて大学に通っている
>呼称「ねーさん」なので。
>
>学校でお昼を食べる。
>あたしにも、一応お友達ができたので、
>彼女らと食べることもある。
>しかし、1人もある。そこで思う。1人も楽しい。
>周りがよーく見える。更に、本も読める。
>1人で行動すると、発見もある。
>ある日のこと、1人の学生に言われた。
>「1人で寂しくない?」
>「1人で食事している人見ると、
> 友達いないんだって思うよ」
>はい?・・・はっは〜ん、なるほど。
>「1人=孤独」「孤独=嫌われ者」
>みたいな構図が、大学に入ってもあるのねー。
>みんながみんなではないが、やはり少なくはない。
>「なんで1人でいられないの?」
>「1人ってカッコ悪くない?友達いないみたいで」
>そうか。忘れていた、と思った。
>あたしも学生の頃は、きっとそう思っていたのだ。
>でも、すっかりかりかり忘れているのだ。
>
>経験って、色んなことを忘れさせちゃうんですよね。
>で、ま〜人並みに経験を積んでいくと、
>年齢と共に増えていって。
>で、増えた先から新しいものができあがり、
>古くてもう使えないところは、自然に消えていく。
>
>年齢って、外見を変えていき、
>経験って、思考を変えてゆくよな〜、
>なんて、時々ふと思うんです。
>こー、誰かを責めてる時か、
>都合悪いことにあたった時とか、
>自分を正当化しているときとか。
>若者をみる視線は、
>明らかに、その頃の自分を忘れている。
>そう、忘れちゃうんですよ〜。
>
>neko


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>私は31歳になったばかりですが、
>20代後半くらいから、
>自分の中で年齢への意識が希薄なんです。
>
>本や音楽の読後感のようなものを味わうことも
>友だちや家族の
>何気ない言葉にじ〜んときたりすることも
>なにも私の中では変わっていない気がします。
>だから、かどうかはわかりませんが
>初対面の人や年下のコと話したりしたときには大抵
>「若いねー」と言われます。
>でも、実はこれもよくわかりません。
>
>みんな、そんなに年齢を意識して生きているのでしょうか?
>
>私が今、昔と変わったなーと感じることは
>自分と向き合うことができるようになったことです。
>まだ、全然完璧なんかじゃないけれど、
>自分の感じた気持ちを、
>ずっとずっと、大切にするようになったと思います。
>
>以前は「クサイものにはフタを」的に
>自分の気持ちなのに、
>自分ですら認めてあげていませんでした。
>でも、あの頃の
>みっともなくて、カッコ悪くて、情けなくって
>どーしようもない自分がいたから
>今、こんなふうに楽しい毎日を送れるのかなぁと
>ちょっと感じたりします。
>だからどうってわけじゃないんですが
>ただ、そう感じます。
>
>今日、掲載されたメールを読んで
>きっとみんな素敵な人なんだろうなぁと想像しました。
>そういう素敵な人たちの近くで
>ちょっとずつ、いろいろなことを吸収していきながら
>これからを素敵に過ごせるようにしたいです。
>だから私は、これからがとっても楽しみです。
>
>Morlin


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>もういい加減に大学を卒業したい、
>現役大学生のさかのと言います。
>昨日、ちょっとからだ動かしたら、
>今朝起きたら腰が痛くて。もう年です。
>老人になるための準備が必要なようです。
>風呂上りに毎日ストレッチとか。
>
>(中略)
>
>おおざっぱな言い方かもしれませんが、
>「よそ者」というのは全て、
>自分自身のこころのなかの未知な部分、
>可能性としての自分の姿が、他人に映りこんで
>見えているのじゃないかと思います。
>
>だからと言って、
>「つらくても、それを受け入れていくことで、
> 本当の自分を発見していかなければいけない」
>という言い方は、違うように思います。
>
>絶対に認めたくない「よそ者」を拒否する、
>つまり、自分自身の可能性を否定することで
>行われる成長も、ありじゃないかと思うのです。
>「こんなこともできないのか」と自覚することが
>成長であるのと、同じ意味合いにおいて。
>
>(中略)
>
>像を作るときには、必要なところに
>粘土のかたまりを付けていく方法と、
>不要なところを削り取っていく方法と、
>2種類あるでしょう。それと同じように、
>自分を作り上げていくときにも、
>新たな可能性を発見して付け加えていくだけでなく、
>邪魔になっているだけの不要な可能性を
>思いきって削り取っていくやり方だってあるだろうと、
>そういうふうなことを僕は思います。
>
>だから、
>よそ者を受け入れることも、拒むことも、
>一見正反対のやりかただけど
>どちらも成長のための経験の一種ではないでしょうか。
>
>さかの


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>年齢を重ねる事について、とても優しい文章ですね。
>私の周りの年寄りは、
>こうはなりたくないなぁという様な人ばかりです。
>そういう私もこんな生活が続くなら・・・
>と思ってしまうような人です。
>コミニュケーションをうまくとるのは難しい。
>でも、孤独も楽しいよ。
>体を鍛え、心を開放するために
>私は独りで踊ってます。いい方法の一つだと思います。
>他人を理解できると思うのは、勘違いだらけで、
>関わってくれた人は奇跡なのかも知れない。                   >>
>オオカミ


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>今、実際に30代に突入して
>3年が過ぎようとしているのですが、
>20代までの人生やら感情やらは、
>とてもストレートで恥ずかしいくらい。
>人間30代からが勝負だと常々言ってきたのですが、
>確かに勝負が始まった実感がヒシヒシとあります。
>
>20代の頃の予想では
>『真剣で剣道形を披露するような緊張感』
>だったのですが、
>実際には(なかなかお目にかかれませんが)
>『成熟した大人同士の討論』といった
>「他の意見をじっくり吟味して議論を重ねる」
>という感じ???例えが悪いか!?
>
>歳を重ねて、いろんなことが見え始めてきている分、
>いろんな感情がシビアで複雑になりつつあります。
>自分は健康面でガンジーさんと似た状況なので、
>その分濃縮されているかもしれませんが。
>
>『目的がひとつだと、空しい』という感覚は
>『成熟している感じ』を求め始めた時、
>多分、『老い』に向かって
>踏み出した時に感じるのでしょうね。
>最初の一歩は
>人によって時期が全然違うと思うんですが。
>ひとつの目的に向かって全開でいけるというのは、
>精神的に若いヒトの特権的なモノだと思います。
>その期間がごくごく短かった事が、
>ちょっと残念な今日この頃だったりもします。
>
>YUJI


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>そうか、若い子達って、
>「…しなければいけない。」とか
>「こうでなければいけない。」ということに、
>けっこう不自由なんでしょうねえ、と思いました。
>それを決めるのは私のセキニンで、ということ、
>この責任、ということの重みというのを知るのは、
>もしかしたら、個人差があるんではないかと思う。
>『責任を伴う自由』、これは基本だなあと思う。
>
>もっと若い時に、そのことの大切さと、
>覚悟ということの大切さをわかっていたら、
>また違う人生もあったのかな、などとも思う。
>
>けっこう、生きるか死ぬか、
>みたいな、場面もあったのですよ、これでも。
>そう言う場面で、結局は、
>自分で選択してきたのだろう、と思う。
>だから、自分が選んだ人生に責任はとらなきゃあ、
>と心の中では思っています。
>
>美。


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>ぼくは、今22歳です。
>このコーナー色んな人の生の声が聴けて
>色々考えさせられます。
>近頃考えることは、ありふれた言葉ですが
>もっと素直なりたいってことです。
>
>今まで人を笑わせるためだけに
>思ってもいない
>つまらない悪口を散々言ってきました。
>悪口を言うのが自分のキャラになってしまって。
>
>「思ってることが完全に人に伝わるなんて
>あるわけないやん!」って・・・。
>「伝わらない」って言うのは
>伝わってほしい願いがあるから・・・。
>ほんとは泣きそうなぐらい
>伝えたいこともありました。
>
>「どうせ、頑張ったって出来ひんもんは出来ひん。
> 人の役に立とうなんて単なる偽善やん!」
>自分の無力を嘆くのは、
>ほんとは人の役に立ちたいから。
>
>でも、こんな発言や行動が人を傷つけたり、
>誤解を招いたり迷惑をかけるんだってことも
>すこしは解ってきたような気がします。
>色んなことをわかったつもりで
>一番わかっていないのは
>自分だったのかも知れません。大切なものは、
>残酷なぐらいに淡々とこぼれおちるもの・・・。
>
>今の目標は、伝えたいことを
>もうすこし自然に
>素直に伝えることかなって思います。
>でも、それってシンプルなだけにむずかしい。
>
>たかひろ


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>はじめまして。
>感想というか、触発されて思ったことなど。
>
>しあわせを、初めて感じたのは高校1年生の時。
>授業中、突然、「しあわせだ〜」と思った。
>楽しい話をしていたわけでもなく、
>好きな人がいたわけでもなく、ただ、突然、思った。
>
>大学に入って、課題や人間関係に
>あっぷあっぷで4年間。
>卒業間近に友達に言われた一言。
>「お前のことつれやと思ってる」
>このときも、「しあわせだ〜」と思った。
>
>上手く言えないけれど、同時に同じ事を考えていた、
>同時に幸せな勘違いが出来たうれしさがあった。
>その人と私は細かな思いは違っていても、その瞬間、
>つながってる感覚を共有した気持ちになれたのだ。
>この先、こんな幸せ感じなくても、
>この瞬間があったということは
>それだけでしあわせかもしらんと思う。
>
>今は何とか仕事に就くことが出来、
>女5人の共同生活も順風満帆。
>あの瞬間は思い出すだけで興奮するほどうれしい、
>楽しい瞬間だけど、戻りたいとは思わないんだな。
>
>yanko


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「ぷっは〜〜(今日も、長いなあ)」って思った?

でも、本当はぜんぶ、ゆっくり読んで欲しいのです。
しみじみ、じっくりと読んでみると、木村には、
情景が浮かべてきて泣けるものが、いくつもあったし。

「上手く言えないけれど、同時に同じ事を考えていた、
 同時に幸せな勘違いが出来たうれしさがあった。
 その人と私は細かな思いは違っていても、その瞬間、
 つながってる感覚を共有した気持ちになれた」

例えば、最後のかたのこういう状態、わっかるよ〜!
他にも思わず「リアルだなあ」と感じさせられたような、
普通にまじめでせつないものを、ご紹介してみましたっ。


[今日の2行]
お祭りは、祝う人の主観的な心にだけあるものではない。
人は、祭りがあるからこそ、それを祝えるのだから。
                      (ガダマー)


※さて。
 明日が、いちおうの最終回になります。
 更なるメールを、お待ちしていますぜ〜。

 本文やメールや、
 「経験」「老い」などに関して思われたことなど、
 メールの表題(Subject)を「rojin」にして、
 postman@1101.comまで送ってね。
 なるべくたくさんのメールを、ご紹介いたしますので。


(つづく)

2000-11-02-THU

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