老人になるための練習
(「コンビニ哲学発売中」の特別篇)

第5回 他人を同化させない意味での、経験。


3日ぶりですっ。
「ひろうてはあるく(by 山頭火)」人間こと、
ほぼ日編集部の木村でございます。こんにちは。

このコーナー、今日の火曜から水曜木曜と続けまして、
金曜の第8回で、いったん終わらせようと思ってます。
それまで、なるべくたくさんのメールを紹介したいので、
今回からは、長文覚悟でメールを交えつつ、だよ〜。


    *    *    *


ところで。
木村が、経験や老いとかについて、
たくさんの投稿を通して考えたかったのには、
「俺は、他人とどういう距離を持ちたいのだろーか?」
を整理したいという、個人的な動機がありまして。

まずは、この話のきっかけとして、
ある哲学者の言葉を紹介してみます。

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よそ者というのは、無理やり押し入ってくる。
よそ者が、無理やり侵入してくるものではなく、
受け入れられて迎えられるものになったとしたら、
途端にそいつは、もはや「よそ者」ではなくなるのだ。

よそ者が「帰化」しないで、よそ者であり続ける限り、
よそ者の訪問は、内輪の楽しみにとっての邪魔であり、
親しみや慣れるためには、支障になってしまう。
だけども、ぼくらが本当に生きているのは、
実は、そういうよそ者との暮らしなんだろうと思う。

よそ者を受け入れる前に、まずは
じぶんたちのルールにあわせさせるというのは、
つまり、家のドアの前にいるよそ者を、
「よそ者である」状態でなくしちゃうことと同じだ。
つまり、じぶんたちの世界を留めようとするのだから、
結局「よそ者」を受け入れていないことと同じになるの。

「受け入れられないもの」について
考えるということは、ほんとうに難しい。


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これは、ナンシーというフランスの哲学者の言葉です。
(※豆知識:女性みたいだけど、ナンシーは苗字。男よ)

みなさんは、嫌な奴らに関わっていると
それだけで人生が終わってしまいそうだから、
そういうのを基本的には避けたい、と感じませんか?
なのに、その一方で、今のまま閉じるよりも、
他からの刺激を受けてみたいなあとも、思いませんか?
ぼくは、どっちの気分も感じたことがあります。

この矛盾したような他人への反応は、
たぶん他からのいい刺激だとか、敵意を持つものだとか、
そういう線引きから生まれるんだと木村は感じるのですが、
そのところで、さっき引用した言葉が、入ってくるのです。

「ヒトは、よそ者ではない人たち、
 つまり自分がいいと思っている価値観の
 内側にいる人としか、つきあえないのだろうか?」
「よそ者とは、永遠にわかりあえないのだろうか?」
・・・そういう、ナンシーの問題意識が、
ここで、経験だとかに関係してくると思います。

経験や老いって、
ひとを成熟させるとも言えるのですが、
その成熟というのは、実際のところを言うと、
「受け入れられないものを、涙をのんで
 受け入れなければならないプロセス」だったり、
「恋人への絶望」「友人の裏切り」だったりするでしょ?

つまり、思い描く理想の世界とは違う
「よそ者」との出会いの連続を経験として味わった上で、
人は、どうやって死ぬまで暮らしていくのだろうか?
ぼくは個人的に、このへんが、とても気になるぞ。

飛躍させると、例えば「死」だって、
絶対にわからない「よそ者」だと思うし。

わかりあえないものへの妥協だとか、
個人的な結論や、落としどころとかを考えてみるために、
ぼくは、まともに経験や老いを見つめてみたいのです。
そうは言っても、現実の生活では、嫌いなものには
かなりムカついてるわけだから、むつかしい話だけど。

「同化させるためだけに、他人がいるのではない」
と、それでも、今の時点のぼくには、まだ
そう言いたい気分があるのだけど、だとしたら、
よそ者を知るという経験は、どういうものなのかなあ?

そういうような話の周辺が、
自分でもまだよく整理できていないので、
このコーナーを投稿ものではじめようかと思ったのじゃ。


※では、ここからは、みなさんからいただいた、
 「経験」「老い」についてのメール紹介です。
 さわやかでナイスなものを、4通どうぞ。

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>小さいころ、大人はすごいことを悟った人なんだ、
>と思い込んでいたので、未熟な私を見て、
>親は笑っているんじゃないかと小さいなりに不安で、
>あと、失敗するのが怖かったんですね。
>それなのに、親は何も教訓を教えてくれなくて。
>
>でも、教えてくれないと私が思っていただけで、
>実は、親は教えてくれてたんだろうなあ。
>
>というのも、小さいころの私は、
>大人になって気づくことっていうのは、
>すっごく奇抜で、目からうろこ、な、
>すんばらしい事柄だと思ってたんです。
>言葉にしたら、それこそ「売れる」みたいな、
>すごいものを想像してた。
>でも、きっと、大人になって気づくことって、
>言葉で聞くだけなら、子供にとって、
>「な〜んだ」っていうようなことで。
>だから、親が実はしょっちゅう言っていたのを、
>私が気づかず、
>「そういうことじゃなくて、本当のことを教えてよ」
>なんて言ってたのかもしれないです。
>
>大人になってわかることとか、
>いろんな経験をしてわかることっていうのは、
>言葉で言っちゃえば当り前のことでも、実は、
>本当の意味でわかったり、肌でわかるには、
>複雑で、矛盾していて、深いことなのかもな〜。
>
>いま20才になったばかり。
>わたしは、おとなになって、
>何を大切だといってるのかなあ。
>
>あや


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>15歳の高校生です。
>「経験、というものは一体どれだけ意味があるのか」
>と考えると、話していて空論に基づいた話より、
>経験に基づいた話しのほうが面白い!とは思います。
>でも、沢山生きてきたから、
>経験に基づいた話が出来るかっていったら
>(私は若いからそんな事をいうのかもしれませんが)、
>出来ない、と思います。
>
>空論に基づいた話をする人は、いくら経験をつんでも、
>自分のものにできないように思います。
>先生、とか見てても
>「あたし達の何倍も生きてきて、
> なんでこんなに陳腐な事しかいえないのかな」
>と思うわけです。
>もちろん、大人になるまでの時間で、
>考え方が変わったり、
>学んだりする部分があるのでしょうが、
>身近な大人である先生達を見ていて、
>その時間を、自分自身の
>根拠のない自信に変えてしまったり、
>いくらかの言い訳を正当化してしまう時間に
>使ってしまってるのかと思います。
>
>凄い手厳しいことを言ってしまいましたが、
>大人だって、子供だって、個人差があって、
>もちろん集団として見られたら
>たまったものじゃないですね。
>(すぐ集団としてバッシングを受けてきた
> 世代のひがみかもしれません。)
>
>でも、大人が良いな、と思うのは、
>やっぱりほぼ日を見たり、プロフェッショナルの
>仕事を見たりとかする時。子供とは技術が違いすぎる。
>
>日々学んでいる人は、どんどんと
>楽しく生きる術を身につけていくのですね。
>私自身年齢を重ねるだけで、何をしないでも
>学んでいく事はあると思うのです。
>
>ただ、それを子供をバッシングする
>理由にしないで欲しいです。
>個性を大切に、っていうのは、
>「お前らは**なんだからさぁ」
>をなくすことなのだと思うのです。
>
>学生虫


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>15歳の高校一年の女子高生です。ガキです。
>でもそれなりにいろいろと考えてるはずです(たぶん)。
>
>去年くらいまで、いろいろと背伸びしていました。
>大人っぽく、とか、年上の人にくっついていたり。
>最近、友達も増えて精神的に落ち着いて、
>『年相応』になりました。または、なりたいな。
>
>疲れるし、バカな時期に気取ったら勿体無いなって。
>歌歌いながらプールに飛び込んだり
>月見だんごを食べて帰ったり
>売店に走ってやきそばパンをかじりながら階段登ったり
>生活指導の先生からミニスカートで逃げたり
>そういうのがとても楽しいです。
>学生のうちにのんびりする仕方とかも、覚えたいし。
>今は思う存分無駄な事ができるから。
>心配をかけない範囲で。
>
>ああ、あの年のうちにあれやっときゃぁよかったっ
>ってならないようなのを目指してるのですが、
>うまくいくでしょうか(笑)。
>でも、後で後悔する切なさも、
>ある意味良いかなぁ、という気もします。
>
>年齢って素直に生きたら素敵なものになるかなぁ、
>と自分の好きな年上の方を見ていて思いました。
>
>あと、山田太一さんの
>『早春スケッチブック』という脚本が凄く好きです。
>引用します。
>
>「生きるってことは、自分の中の、
> 死んで行くものを、くいとめるってこったよ。
> 気を許しゃぁ、すぐ魂も死んで行く。
> 筋肉もほろんで行く。脳髄もおとろえる。
> なにかを感じる力、人の不幸に涙を流す、
> なんてぇ能力もおとろえちまう。
> それを、あの手この手を使って、
> くいとめることよ」
>
>とても感動した一節でした。
>私にとっての『老化』と『成長』の違いは
>こういう部分にある気がします。
>成長して死にたいです。
>
>縁側で日本茶すすりながら
>孫と遊園地に行く約束をしたのに、
>あったかい布団で死んじゃうような
>そんなのに憧れます。
>
>ガキの甘い夢なのでしょうか?
>
>経験はまだ少ないです。間違い無く。
>でも、少ない経験を反芻して、
>夜中まで考えて、悩む事が
>友達の役に立てる事があることに気づいて、
>今日、嬉しかった。
>
>いろんなことを忘れずに考えておくと、
>友達の相談に乗る時に
>同じ考えを持っていた時期があるって
>感じられる事が、助けになるんですね。
>
>ありがとう、と言ってもらえて
>肩をかして相談にのる放課後は、
>私にとってはかけがえのない
>とても大切で切ない思い出になる気がしました。
>
>悩んでいた自分をありがとうって言葉で
>肯定してもらえたような。そんな感じ。
>
>そういう経験、大事にしたいなぁ、って思いました。
>aya


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>もう若い頃には戻りたくないなぁ、と思っています。
>もうすぐ30になろうかという年なのですが、
>今が一番ラクで、楽しいです。
>仕事もいろいろあるし、親が病気になったり、
>伴侶とも日常的なくだらないことで
>しょっちゅうケンカしたりしていますが、
>今が若い頃よりも毎日が、しみじみイイなぁと思う。
>「人生が、わたしのものになった」って感じ?
>
>友達との関係も、昔より
>心地よいものになってきています。
>飲み会にしても、愚痴よりも、
>「その時をこの人達と楽しもう」
>という考え方の人たちが集まるようになりました。
>
>すこしずつ経験が積み重なるにつれ、
>自分の悩みを相対化して
>考えることができるようになったせいかもしれません。
>悩みやら辛いことが軽ければ、ユーモアを交えて
>コミュニケーションできるようになったし、
>本当に重くて、友人の負担になりそうなことは
>話したくなくなりました。
>(そのかわり、人の不幸なうわさ話好きな人とかは、
> もう、ものすごく閉口する〜)
>
>もっと若い頃、わたしは、
>何もかもを他の人と共有は出来ないんだと
>気が付きませんでした。
>「どうして私のことを分かってくれないの!」
>と叫び続けて、
>ぐさぐさと槍を大事な人に突き刺していた。
>
>でも今は、穏やかでせつない、
>でも、かなしいわけじゃない諦めを味わいつつ、
>共有できないところを探すんじゃなくって、
>共有できるところを楽しもう、
>という気持ちになってきました。
>(中略)
>今は年をとるのは、そんなに怖くないです。
>かっこよくなりたいな。
>あ、でも、シワとタルミはこわいよう〜!
>
>ゆか


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4つとも、木村は何回も読みました。
それぞれの考えていることと現実とが
素直にリンクしていたので、
読んでいて気持ちよかったです。ありがとー。
明日も、メールを紹介していきますね。



[今日の2行]
よそ者の訪問は、内輪の楽しみや親しみの邪魔になるが、
ぼくらが生きてるのは、実はそんな者との暮らしなんだ。
                  (ナンシー)


※「経験」や「老い」について思うことや、
 今回の本文や4つのメールを読んだ感想などを、
 表題(Subject:)を「rojin」として、
 postman@1101.com
 まで、お送りくださいませ。
 第8回ぶんまで、できるだけたくさん紹介します。



(つづく)

2000-10-31-TUE

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