老人になるための練習
(「コンビニ哲学発売中」の特別篇)

第2回 目的がひとつだと、さびしくない?


(※前回につづき、年を重ねることについてです)

第1回と違って、さらっと行きたいと願うよ〜。

今、年齢を重ねることに興味を持ってるんだけど、
そもそも、ぼくは、年上の人の豊かさが大好きなんです。
これはたぶん、個人的な傾向として、そうなの。

だから、ここでしゃべっていることは、例えば、
「私って、猿が好き」
「なんで?」
「好きだから(以上、説明終了)」
と言い切るような種類の、論理とは離れた
屁理屈かもしれないと思って、気楽に読んでみてね。

今も、できればぼくは、すぐ30代になりたいもん。
「あの経験とこの経験があるから、これはこうなる」
とかいうことを、よくわかるようにもなりそうだし、
それに、考えを展開する上でも、
友人や恋愛や仕事や家族とかとの関係においても、
もう「愛憎が激しくなる!」って言いますの?
なんか、よろこびがシビアで複雑になりそうじゃん。
複雑なよろこびって、ぼくは、あこがれなんだ。

ひとつの目的のためだけに、
ひとつのことをやって、それをやり遂げて、終了。
受験に合格したり、コンクールに入選するためには、
それでオッケーだし、そうしないといけないんだけど、
もしも、それだけで死んだとしたら、さびしくない?

それだったら、例えば、
「あいつサボってるけど、どうしよう」とかの
本筋とは関係のない悩みまでも、面白みとして
楽しめるよーな、文化祭的な「山あり谷あり」の
よろこびのほうが、深い味わいがあると感じます。

そーゆう、文化祭っぽい楽しみって、
経験を重ねると増えてきそうに思えるんです。

とゆうか、子どものいる年上のともだちは、
「もう、ひとつの目的だけには、
 やりたいと思っても専念できなくなった」
って言う。今は何してても赤ちゃんが気になるみたい。

その人、正直言うと、やりたいことをやれずに
歯がゆく思う時もあるみたいなんだけど、
でも、そうやって、
人間関係のヒダのようなのが重なっていって
(必ずしも子どもじゃなくてもいいんだけど)、
捨てたくないものを大事にしながら
いろいろなことを試そうとしてるって感じは、
外から見ている印象としては、
どーも、うらやましかったりする。

「自分の中に巣食うモンスター」だけにとらわれて、
殺人を犯して精神的な道を究める、とかいうよりも、
お坊さんが「煩悩も含めて味わいじゃ」とか、
嘘を言いながら女遊びやムダ話を究めているほうが、
なんか、単純に言って、豊かでかっこいいじゃん?
「成熟」してる感じがして、ぼくはそれに憧れる。

「成熟さとは、残酷さを引き受けることだ」
とかゆう言葉も、あったっけ。
そんな感覚も、良いよね。

あれ? おかすぃ〜な。
「経験や年齢を重ねることには、何かある」
って言いたいだけなのに、話が長くなってきた。

じゃあ、ひとまず、お口直しに、
「目的がひとつだと、空しい」とかに関しての、
ひとりの作家の言葉を、紹介してみます。
ミラン・クンデラの書いていることですよ。どーぞ。

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ぼくが残念に思うのは、これまで書かれた小説が、
あまりにも「筋」にとらわれていることだ。
ほとんどすべての小説が、
行動と事件の因果関係だけに基づいている。
そういう小説は狭い街路のようなもので、
登場人物たちは、その道筋に沿って、
鞭で追い立てられてゆく・・・。

クライマックスとゆうものは、
小説に負わされてしまった呪いなんだ。
なにしろ、それがすべてを支配するのだから。

最高に美しい文章だろうと、
最高に驚くべき場面や考察があったとしても、
そのすべてを、最後の盛りあがりにつなげるための
「単なるひとつの段階」に、おとしめてしまうんだ。
すべての場面の意味が、最後の盛りあがりに向けて、
集中させられてしまうんだもん。
その盛り上がりの緊張の火に焼かれて、
ほとんどの小説というものは、
麦わらの束のように、燃え尽きてしまうのだよ。

最後の盛りあがりに向かうための
熱狂的な競争のようなものでない小説は、退屈なの?
・・・ぼくは、そうは思わない。

例えば、君が今、
すばらしい鴨のモモ肉を食べている時、
君は、退屈をしているのかなあ?
ゴールを目指して、急いで食べているのだろうか?
たぶん、反対だよね。

君は、鴨が、できるだけゆっくりと、
君の中に入っていって欲しいと願うはずだ。
その味がいつまでも残っていて欲しいと願うだろ?

それと、おんなじだ。

小説が、競走に似たものになるのではなくて、
たくさんの料理が出てくる「うたげ」に
似たものになって欲しいと、ぼくは願うんだ。

ぼくの書いている小説では、
新しい人物がひょこっと出てきて、
後を残さずに立ち去っていったりする。
彼は、なにごとの原因でもなければ、
どんな結果もつくりださない。
それがまさに、ぼくの好むところなんだ。

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ぼく木村は、こういう文章を読むと、
年齢を重ねることを考えたくなってくるんです。

「年をとる」とか「老いる」ということは、
きらめきが消えてゆくともとられがちだけれども、
同時に、ここでクンデラが述べているように、
「ひとつの目的のためだけの競争から、退く」
というものに深く関わることだと思うからです。
老いとは、死ぬ前に、何を楽しみたいのか、を、
真剣に探しはじめることでもあるでしょう?

そして、そこで、豊かに、
お坊さんがまぬけな話を究めていくような種類の
「楽しみながら、ごまかさずに老いること」は、
コミュニケーションとは何かということなどと
関係するんだろうなあ、と、ぼくは思っているけど、
その話については、次回しゃべることにしますね。


[今日の2行]
君は「うたげ」で、ゴールを目指して急いで食べるの?
いや。料理を楽しみながら、味の余韻に浸りたいだろ?
                  (クンデラ)


(※まだ、投稿コーナーにならないなあ。
  予想と違う展開だ。もうちょっと待っててね)

2000-10-25-WED

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