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#7 逃げない決意


前回の「コンビニ哲学」への感想に、
「今は、おとぎばなしを、たくさん、聞きたいんです。
 最後に必ずハッピーエンドで終わる話が、聞きたい。
 途中が、どんなにダメでも、かまやしないので、
 幸せに終わるものを……」
というメールを送ってくれた方が、いらっしゃいました。
たくさんの人の気持ちを代弁しているように思えたんです。
「信じたくなるような話を、聞いてみたい」といいますか。

かつての「ほぼ日」で、次のような言葉を、
紹介したことがありました。

「心を蘇らせる泉が、自分から湧いてこなければ、
 心と体を癒してくれることは、ないでしょう。
 素材は、誰の前にも転がっています。
 内容を見出すのは、働きかけようとする人だけです」

「今日という日から見れば、耐えがたい状況の中でさえ、
 生きて、あたりを見まわして、それを書きとめていた。
 その日にも、この右手が今日と同じように
 動いていたという証拠を、日記のなかには、見いだせる。
 日記の中には、まったく無知だったころにも保たれていた
 私たちの努力や不屈さが、認められるんです」


これらは、ゲーテとカフカの言葉で、
天才と呼ばれる作家たちですが、どちらも、
物語の中で、選ぶこと、続けること、積み重ねることを、
とても注意深く、実行していった人たちだと思います。

「今、まわりの状況の中で、壁にぶつかっている」とか、
「どんな壁かわからないが、挑むことが選べない」とか、
そういう類のメールを、とてもたくさんいただいています。

そういう方に向けた話、というのは、
「それは哲学でも何でもねえじゃねえか!」
というお叱りを受けるかもしれないのですが、やっぱり、
中学生でも大人でも等しく味わえるような言葉の数々を、
今日も、いくつか、紹介していきたいと、考えています。

そんなことは、語りつくされているのではないか?

でも、
「生まれたばかりの赤ちゃんと一緒にいて、
 新米の母親としての毎日を送っていると、
 図書館や本屋さんに出かけるヒマなんて一瞬もなくて、
 自分の家から開いてる窓は、インターネットぐらいです」
という方から、メールをいただいたことがありました。
「とにかく毎日一六時間は働いているのだから、
 いい本を選んだり読みこんだりする時間が取れない」
という方だって、現実には、たくさんいるわけでして。

たとえば、毎日、
三〇冊ぐらいの文献にあたって、丁寧に比較考量して、
あることについて、丹念につきつめて考えられる人は、
世の中の、ごくごく少数者にあたるのだし、学生さんも、
受験や資格試験や何かに打ちこんでいる人が多いでしょう。

だったら、昔から繰りかえされている
「青くさい問い」に関する言葉を掘りかえしてゆくことは、
何度でも、それが効く人には意味がある、と思っています。
いくら、正面を向きすぎているねと、眉を顰められたって。

多くの人のメールの底に流れているテーマの、
「壁を越えること」や「自分の物語の着地点」に関しては、
去年「ほぼ日」に届いた、二つのメールを思い出しました。

「わたしのダンナは、残業手当なし、
 その上クレームがガンガン回ってくる立場。
 お客さんの質も昔より悪くなっていて、
 理不尽な要求が多いようです。
 ストレスから、ジンマシンに悩まされても、
 毎日、一二時間はたらいて、笑顔で帰ってきます。
 愚痴も言いませんし、たまに話すことがあっても、
 笑い話のように話してくれます。
 世の中にはきっと、一生懸命仕事をしても
 報われない人がたくさんいるんだろうなぁと思います。
 自分も仕事をしていまして、辛いことは
 日めくりカレンダーみたいに毎日やってくるけれど、
 一生懸命仕事することに誇りを持ちたいなぁと思います」

「私は、へなちょこ駅伝ランナーでした。
 かけっこでお金を貰っていたわけですが、
 不況の波にどっぷり呑まれて廃部になってしまいました。
 企業スポーツは、大変ですねえ。
 非常に嫌な思いをして、どろどろぐちゃぐちゃな、
 通らずに済むなら、通りたくなかった道を通って、
 他の企業に移籍するような状態でもなく、
 私は、どんより引退したのです。
 そんな私が、そのままその企業に残って、働くことに。
 やりたい仕事のポジションが用意されていたのですが、
 『よろしくおねがいしまーす!』なんて、
 フレッシュマンのようにはいきません。
 チーム最後の駅伝時の失態と、調子の悪い体を背負って、
 どんな顔で新しい部署に入っていけばいいのだろう?
 ……ガチャリとドアを開けたとたん、
 『お疲れ様!』
 職場のみなさまが声をそろえてではなく
 ばらばらに、でも一度に、言うんです。
 『お疲れ様!』
 わぁ、はじめて言われた。
 退いてからはじめて、その言葉をかけてくれたのが、
 新たな道でお世話になる方々だなんて。
 空きっ腹のビール以上に、沁みました。じわ。
 そういえば、最後のレース応援に来てくれていました。
 私はアンカーで、あと一人抜けば
 全日本だったのに、ぼろぼろで……。
 その「お疲れ様」がなかったら、
 私はずっと、競技のことを、ひきずっていたと思います。
 三六五日×何年も注いできたものですから、
 もちろん、今も、ひきずらないわけはないですけど、
 その一言だけで、ものすごく軽くなったのでした」


どちらも、悲しい体験が基本になっているはずですが、
メールマガジンで紹介した時には、おおぜいの人から
「元気が出た」という感想をいただいたおたよりでした。

逃げるべきときには、逃げなければいけないけど、
腹をくくったときに、逃げないでいられるかどうか、とか、
どうやら「自分にとって、信じたい考え」についての話が、
メールマガジンを毎日配信している側としては、
多くの人の強い共感を呼んでいるように感じられるのです。

去年の夏に、本はたくさん読まないかもしれないけど、
自分にとって信じたいことに向けて頑張っている人たちに、
「ほぼ日」の取材で、たくさん会って、話を聞きました。
「53」というタイトルで、年齢を重ねる中で
それぞれの人が信じていることをたずねていったのですが、
そのときも、「逃げる」とか「逃げない」といったことは、
いつも違う角度から、話題になっていたような気がします。

そのときに、
音楽関係者、作家、編集者、漫画家の方から聞いた言葉は、
もしかしたら、誰かの参考になるかもしれないので、
ちょっとだけ長くなりますけど、ここでは、
「逃げないこと」を主眼において、四つ、紹介してみます。

「仕事をやっていると、効率がいい人や頭がいい人よりも、
 一生懸命さのある人と組んだ方がいい仕事をできるとか、
 いろいろ、わかってきますよね。
 真剣な人の仕事は、未熟だとしても気持ちがいいし、
 やっぱり、一目おく価値がありますよ。
 一生懸命向かってくる相手は、敵として怖いですし。
 何よりも、一生懸命な人は、逃げないんです。
 イヤな話が出てくると、
 ほとんどの人が中途半端に逃げるじゃないですか。
 たとえば、ぼくのいるところは音楽の世界ですから、
 ミュージシャンたちと、
 全部が全部、うまくいくわけではないんです。
 当然、あるミュージシャンに
 去ってもらわなければいけない時だって、出てくる。
 でも、そのことを、みんながわかっていながら、
 誰も、その役目をやりたがらないんですよ。
 できることなら誰もそんな役はやりたくない。
 でも誰かがやらなければいけない。それをやるんです。
 先送りにしたり、ウソついちゃったりする人が多い中で、
 一生懸命な人は、やっぱりそこで正面を向いていますよ。
 自分がまちがっていれば、あやまればいいんだし、
 相手が悪いと思ったのなら
 『オマエが悪い!』と言わなきゃならない。
 相手に『悪い!』とか、みんな、言うのイヤじゃない?
 でも、言わないと解決しないですよね、根本的には。
 最初に問題をよけて通ったら、
 次に歩く時にもよけて通らないといけないし、
 『死ぬまでよけて通るのか?』と、そういう話になる」

「年齢を重ねると、批評や批判ができなくなりました。
 なぜかというと、自分で決断している人に向けて、
 そうじゃない人が言えることって、少ないから……。
 サラリーマンと一本で独立している人とは、
 知識の量では、たいした違いはないんですけど、
 決断するということに、大きな差があると思うんです。
 一人でポンと決めることの、連続の日々。
 企業の土俵で決断をしているのとは、
 違うプレッシャーがかかるし、しんどいし、きついし、
 それって、そうとう面倒なことじゃないですか」

「斜に構えたり、すねてみたりは、かっこよく見えるけど、
 否定ではじまるものって、長く続けられないと思います。
 一発目は衝撃があるけど、ニ発目三発目と続けるうちに、
 きつくなっていくのではないでしょうか。
 否定のための否定を、いつしか、探すようになる。
 『俺は人間なんか信じないぜという歌を、
  人に届けられることを信じて、作ってんの?』
 そういうことになってくるから。
 肯定って、強いですよ。
 今のような時代になってしまうと、
 そもそも、肯定を探すだけでも、けっこう力技ですし。
 ほんとにきつい時期にこそ、
 きついと感じるいろいろなことを封印しないで、
 それに向きあうことを選ぶのは、かっこいいと思います。
 若い頃のツッパリは、いろんなものを封印しながら
 とにかく、前に進んでいくことなんだとも感じるけど、
 そのうち、それじゃ効かない時期が出てくる。
 大人になると、守らなければいけないことが出てきて、
 なかなか、攻めていけないんです。
 ぼくなんかも、けっこう、思い通りにいってない。
 若い時の『思い通りのいかなさ』は、
 人のせいにしたり時代のせいにしたり
 社会のせいにしたり……いくらでも処理できる。
 でも、大人になってからの
 思い通りにいかないことって、言い訳できないでしょう?
 だから、『俺は俺で、自分の道を行く』というか……。
 この『俺は俺で行く』という感覚が、
 たぶん、大人になるということだと思うんです」

「成功をイメージしろ、とか、いろいろな本に書いてある。
 でも、成功体験のなかったときの自分には、
 日常生活において、失敗の体験の方が、はるかに多い。
 大多数の人が、そうでしょうけど、
 『こんなこともできないのに、どう夢を達成するの?』
 と思えるような出来事が、毎日毎日、起こるわけですよ。
 何かやろうとしたら、消しゴムが落ちて、
 それを取ろうとしたら、つまずいただとか。
 『こんなちっぽけな、消しゴムを取ることさえ
  達成できないような俺が、何が成功だよ!』
 失敗の体験の積み重ねの方が、リアリティあって、
 自分に迫ってくるわけですよ。
 『おまえ、そんなんで成功できるのかよ?』
 自己嫌悪に陥るようなことが、
 日常生活で、もう、矢継ぎ早に起きてくる。
 でも、バイトが終わった深夜の時間に、机に向かう。
 漫画を描いて、ほんとうに努力をしていると、
 二日に一回とか、三日に二回ぐらい、
 『やれるかも。何もかもイヤな世界から脱出できるかも』
 ちょっとだけの夢を見れるんですよ。ほんのちょっと。
 下積みの頃でも、モチベーションを維持する方法って、
 『オレは、こういうことをやるんだ!』
 まず自分のやりたいことをみんなに言っちゃって、
 追いつめて、やらざるを得ないかたちにしちゃうとか。

 ぼくは、アマチュアの人たちもたくさん見てます。
 ぼくと一緒に漫画をはじめた人たちも、たくさんいる。
 でも、ほとんどが、ダメですよ。
 漫画の世界での成功って、例外ですから。
 じゃあ、その人たちの何がダメかと言うと、
 技術とか才能だとかより、環境づくりなんだと思います。
 机をおいて、資料をそろえてというほかにも、
 『やらなかったら、大笑いだ』
 という自分への追いこみだとか、人脈も含めてが、
 環境を作っていくということだと思います。
 今はプロでやっているわけだから、人からほめられるし、
 お金は入ってくるし、モチベーションはいくらでもある。
 でも、アマチュアには、何よりもモチベーションがない。
 夢中になんて、なかなかなれない。
 人工的に、自発的にモチベーションを
 出さなければいけない時、日常は、しんどいです。
 自分への言葉は、もういつだって、
 『それじゃ、ダメだ!』ですもの。
 『てめぇ、何も結果を出してないじゃねえか!』
 収入のない漫画家は、道楽ですから。続ける理由が要る。

 ……ぼくは、『不自然』って言葉が、大好きなんです。
 メディアの中でよく語られる言葉に、
 『俺は俺らしく』とか『流れにまかせて』とか、
 『こうすることが、自然だよね』とか、よくあります。
 もちろん、日常生活はそれでいいんだろうけど、
 自分の悲願や大望だったら、そこへ向かう時には、
 「自然にね」とか「自分らしく」なんて
 チンタラやってたら、絶対に実現不可能だと思う。
 よほどの大天才、ピカソとかビートルズとかなら、
 自然にやっているだけですばらしいのかもしれません。
 でも、ぼくが目標を達成しようとするときには、
 そうとう不自然にやらなきゃ。
 詩の言葉でよく聞く『自分らしく生きる』というのには、
 本当は、もっと深い意味があるのだろうと思う。
 そして、その言葉を表現した側には、
 確固たるものが、あったのかもしれません。
 しかし、その『自分らしく』という言葉を受け取る側には、
 それが、どうも隠れ蓑になっていると感じるんです。
 都合のいい駆け込み寺。
 これは、大望を抱く者にとって、とても危険なんです。
 だから、ぼくは、『不自然、最高だ』と思う。
 少なくとも、ぼくにとっては、
 自分らしく生きて目的を達成したいなんて、
 『何気なく散歩をして歩いていて、
  いつか富士山の頂上にのぼれたらうれしいな』
 ってぼんやり思っているようなものですよ。
 よっぽど不自然な準備をしていかなければ、
 頂上になんかのぼれない。自分らしくないやりかたや、
 本来の自分では絶対にやらないようなことに
 踏みこんでいくというか。
 本来なら、やるはずもないことまで抱えちゃうという。
 そうやって、不自然にやってきたわけだけど……」


これらは、ぼくが、当時の取材で直に聞いてみて、
口調や目線も含めて、印象に深く残った発言なんです。

ちなみに、前回にも触れた、哲学者のハイデガーは、
次のようなことを語ったことがありました。

「ある一つの考えを追って、その弱みではなくて
 その発揮するいちばんよいところをつきとめることは、
 私たち自身を、自由にさせてくれるんです。
 気になった同じテーマを何度でも論じていいのだし、
 くりかえし考え抜くことで、
 そのテーマに、どの程度、射程距離があって、
 どの程度、記憶に刻みつけるべきなのかが決まってくる。
 すでにわかったと思えるような事柄の中にだって、実は、
 いくつかの考えが、混ざって存在しているのですから」


あなたは、今回紹介した言葉に触れて、何を思いましたか?
あなたにとって、「逃げる」「逃げない」とは、何ですか?

外堀を埋めるように
今までいただいた、いろんな人のメールや、
今まで取材で聞きに出かけた、いろんな言葉を紹介しつつ、
このコーナーの先行きは、だんだんと、
ハイデガーの残した著作についてに、焦点が合ってきます。

「まだか、まだか」と思うかもしれませんが、できれば、
一回ずつ、じっくり、読み続けてくださるとさいわいです。

哲学は、それに接した人を自由にする道のようなものだ、
という言葉がありますが、それが流行っていない時代には、
まず、ふつうの人が、問いの入口に立つための滑走路こそ、
必要だし、重要になってくる、と考えていますので……。

次回に、続きます。

前回も、たくさんのメール、ありがとうございました。
postman@1101.com
件名を「コンビニ哲学」として、
感想をお送りくださると、とてもうれしく思います。


                  木村俊介
 

このコーナーを読んだ感想などは、
メールの件名に「コンビニ哲学」と書いて、
postman@1101.com
こちらまで、お送りくださいませ。

2003-10-09-THU

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