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第28回 早口の向こう側

多少なりとも批評能力のあるひとに、
何かとよく会う機会があります。
そのなかには、けっこう高い割合で、
異様に速いテンポでしゃべるひとがいるの。

早口になるのは、だいたいが
プレゼンテーションを急いでいるからなんだけど、
「なぜプレゼンテーションを急ぐのか?」
というところに、罠がひとつありそうなのです。

おそらく、プレゼンテーションのなかに
様々な知識を入れ込むことがそのひとには重要で、
「いろいろなものをぎゅっとつめこみたい」
「素晴らしい論文のようにしゃべりをまとめたい」
という、無意識の思いがあるようなんです。
その結果、話の内容はあちこちに飛び火する。

そういうひとの考えた企画は、
実現がむつかしい場合がありますよね?
他の関心と結びつけすぎるために、
ライフワーク的な大きい企画を考えすぎだから。
もちろん、ほんとにライフワークにするのなら
それはそれでどっしりとしていて構わないのですが、
大半は、企画に厚みを持たせるというよりは、
焦点がずれて何もかもできなくなりかねないでしょ?

先回りをしようという意図が
早口に反映されてるのだと思うけれど、
実は、先回りをしなければいけないようなほどに
話がまとまっていないか、広がりすぎているか、
お互いに話すというよりは
相手を説得させて支配したいだけなのか、
というようなことかもしれないですよね。
それにそもそも、間を埋めようとしてしゃべるから、
そこには、あふれでる豊かさが感じられないのよ。

全部のことに手を出せるかのように話すのは、
幻想に過ぎないときもあるのではないのかなあ?
話が理詰めになり過ぎていって、
予想外の楽しさがなくなるかもしれないし。

これのヒントになるかもしれないとぼくが思うのは、
哲学者の代名詞のような
ヘーゲル(1770〜1881)のゆう言葉だよ。

「知への道はじぶんを否定する意味あいを持つ。
 知への道は疑いの道であり、絶望の道なんだ。
 
 空虚に終わる懐疑主義は前進しなくて
 どうしようもないものなのだけれど、
 本当の経験のうちにとらえられる結果は、
 否定とは言っても限定つきの否定なのだから、
 否定からすぐに新しいかたちが出てくるんだ。
 こうして、さまざまな意識の形態を
 丁寧にたどる旅が、
 おのずと進んでゆくのである」

全部のことを最初から解決するんじゃなくって、
考える経験をひとつひとつ進んでいって、
前のじぶんを否定したり新しくしたりしながら、
というのは、いいかもしれないなあと思うのです。
あまりにも性急な早口による
全体的なものの理解は、無理そうじゃない?


[今日の2行]
本当の経験のうちにとらえる結果は、否定であっても
限定つきだから、そこからすぐに新しいかたちが出る。
                 (ヘーゲル)

[今日のぼくの質問]
最初からすべてをとらえてしまおうというのは、
ある種の病のようなもので、ぼくも陥っていました。
darlingとしゃべっていたら、
これを「全体幻想」と言って指摘してくれたんだけど、
その幻想のおかげでつまらなくなってしまう企画が、
実はけっこうたくさんあるとわかったんですよね。

今回紹介したヘーゲルそのものが、実は
「抽象的なものだけですべてをとらえよう」と、
ある意味で全体的に言い切るひとなのですけれど、
でも、ぼくはこのひとの言葉から、
経験というものにヒントを得たりしているんです。
違う意味で読むというのも、ありでしょう?
とにかく「経験」は、キーだと思うんだよなあ。

早口についてや、
すべてをおさえたがる幻想についてなどなど、
今回に関わる何らかのメールをいただければ、
すごくうれしいです。本当に参考になりますから。

mail→ postman@1101.com

2000-06-13-TUE

 

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