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第20回 切り刻むためではなくて

誰かと別れてしまわざるを得ないときに、
「ひとはひとを切り刻むためだけに会うのかなあ」
と思うひとも、いるのではないでしょうか。

しゃべってゆけばゆくほどに
違和感がひろがっていってしまい、
「今日はいっそ会わないほうがよかったな」
という風に感じるときが、ありますよね?

性急に相手を知ろうとするあまり、
一気にすべてをしゃべろうとしても、
ただ機が熟していないことになっちゃう。
よそよそしい誘導尋問のような言葉にまみれて、
辛くなってしまうだけになるような気がするのです。

たぶん、会うことが記者会見ではないように、
しゃべることは、分析や解剖ではないのでしょう。

相手と無理やりにしゃべりつづけていって、
ひとの境遇や気持ちまで論理と分析の刃で切り刻んで、
おたがいに疲弊してさようなら、は、避けたいぞ。

ホークスという映画監督の言葉に、
次のようなものがありました。

「私は立ちどまって分析をしないし、
 たくさんの思想を盛りこんだりはしない。
 私があることをおもしろいと思えば観客は笑う。
 つくるのに楽しいシーンを、私はつくっただけだ」

感受性を扱う映画やテレビといった媒体においては、
それこそ「どう何をしゃべるか」というのと同時に、
むしろ「何をどうしゃべらないか」みたいなものも、
かなりのキーポイントになるはずだと想像します。

ホークスにとっては、
無意識こそが撮りたいものであったみたいです。
かわいく演じようとする女優はだめだ、とか、
面白くしようと工夫すればするほど
素朴さがなくなってつまらなくなる、
と、あちこちでしゃべっていますし。

例えば木村拓哉さんは演技のなかで、わざと
きこえないくらいにぼそっとしゃべるときがあるけど、
それこそが独特の雰囲気をつくるじゃないですか。
そのセリフはもう、きこえなくてもいいんです。
はっきりきこえたら、かえってよくないじゃない?

・・・でも、一方では、
論理で何でも表現してみよう、
言語のしゃべれる範囲をすべて説明しよう、
という試みが、学会を中心にずっと行われています。
語れるものと語れないもの、意識と無意識、
じぶんと他人・・・そういうものを捉えるのに
命題や数式を駆使して、ひとの考える仕組みの
枠だとか限界だとかを論理的に決めてゆく手法、
これがけっこう流行っていた時期も、ありました。

この手法は、無意識を残すからこそ
いいものがつくれるんだというさっきの考えとは、
まったく逆のアプローチになってきます。
もちろん、論理や言語の仕組みをじっくり見た結果、
はじめてわかったことだってすごくあるのだから、
あながちぜんぶ無駄とまでは言い切れないのですが。

でも、すべてを意識的にしてしまうことへの反発って、
あるとき、急にふと出てきたりしませんか?

「ぼくはありのままを観るんだ。
 裏の意味なんて考えたことがない。
 なぜ隠された意味や動機を探ったり
 理解したがるのか、ぼくにはわからないよ。
 誰かの動機を探りたがる理由は、
 間違いなく他人への恐怖にあるんだ。
 他人に対しては、
 普通に感情を持つだけでいいはずだ。
 愛したりとか、嫌ったりとかね。
 ぼくの映画の登場人物には逃げ場があって、
 人物たちは選択肢があることを知っている」

これは、追求しなくてもいいところまで
意識することを嫌ったひとりの映画監督、
カサヴェテス(1929〜89)というひとの言葉です。
次のようなこともしゃべっているよ。

「ぼくは、ある場面から次の場面にかけて
 何が起こるのかを考えていない。
 ぼくのやるべきことは、ひとつの場面を
 実際になるがままに任せることなんだ。
 だからぼくは、何も知らない。
 映画作家は自分が何も知らないことについて、
 自覚的になるべきだと思う。
 
 ぼくらの映画が人生に似たものだと
 考えられているのは、人生につきものの
 曖昧なものが映画の中にあるからだ。
 ぼくらはわくわくする生活を送っている。
 つまり、映画はわくわくする素材なんだ。
 だからぼくは、
 明日何が起こるのかを言うことができない。
 脚本を読むことができても、
 誰がどう解釈するのかを監督は知らない」

切り刻むためだけにしゃべるのは
避けたいなあと思っているうちに、
映画監督の考えていることが気になっちゃいました。
特に「逃げ場がある」という表現に、です。


[今日の2行]
他人に対しては、普通に感情を持つだけでいいはずだ。
ぼくの映画の登場人物には、逃げ場がある。
              (カサヴェテス)

[今日のぼくの質問]
切り刻まないではしゃべれないときもあるけど、
それは、本当に大事なのかなあ?
・・・あ、大事なときもけっこうあります。
それに、ぼく自身も
さらっと流れてゆく言葉で通すことだけを
いいと思っているわけでは全然ないのですが、
「言葉以外に、何かあったろうが」
みたいに感じるときが、ありまして。

「しゃべること」に絡めて感じることを
メールでいただけると、とてもうれしく思います。

mail→ postman@1101.com

2000-04-27-THU

 
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