コンビニ哲学発売中。

第15回 カウンセリング


>[今日の2行]
>冒険をしないと、じぶんそのものを、まるで
>無であるかのように失ってしまいかねないんだ。
>              (キルケゴール)
>[今日の質問]
>精神的に戻れなくなってしまったひとに、
>言葉をかけられるときはあるのでしょうか。

↑の第11回の内容には、ほんとにたくさんの
メールをいただきました。みなさんどうもありがと。

第11回の内容は重く、あやうく暗くなりがちですよね?
ぼくはそこでどちらかといえば暗さに行きたくない。
暗い気持ちになるだけの文なんて読みたくないから。
ただ、みなさんのメールの量と手触りからは、
そういうのに留まる以上のものが感じられて、

「話題には、顔に負けないほどの表情がある」

「くりかえすことによってはじめて、話題に
 とてつもない大きな力が生まれているとわかる」

こんな、ある哲学者の言葉を思い出していました。
ぼくはこのあたりで少し立ちどまってみて、
しばらくこの話題をくりかえしてみようと思います。
危険な話題なので、注意しながらじっくりと、
しかしできれば送ってくれたひとの抱えている
重さをそのままに、ずしっと受けとめたく思います。
かなり重い内容ですが、読んでみてください。

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****と申します。21才の医学生です。

私の前の彼女は
三環形抗うつ薬を服用する普通の女の子でした。
心に深い傷を持っていると言えないこともないです。
環境的にも、御両親との関係
(失礼だとは思いますが身勝手な両親)
を中心として、子どものころから
なかなか辛い部分を持っていたようです。
それをどこか表裏に秘めたまま、どちらかといえば
「体育会系」だった彼女の本質にぬりかさねるように、
彼女は「頼れる男を手に入れられるキャラクター」に
変わっていきました。「ヒロスエ似」の彼女は、
男女関係にも多くの経験をこなしてきましたが、
どこかで「理解する・しない」「支える・頼る」
そういったことに齟齬を感じ続け、
付き合い・別れを繰り返していたようです。
そんな中でオレと出会いました。

一時は重度の過食にも苦しみ、
手にはためらい傷も残っていまして、
右手には「吐きだこ」がありましたが、
そういった事実を一通り「知った」のは
つき合って2ヶ月くらいでしょうか。
話の重さのわりに「彼」がそのことを知るのは
時間的に少し早い方ではないかと思います。
おそらく最初から、オレの「売り」は彼女にとって、
相談相手のようなところがあったのでしょう。

私はその彼女をなんとか助けられないかと考えるうち、
男と女としてではなく、すっかり
助ける人・助けられる人の図式に
私たちを押しこめてしまいました。
2年もたたないうちに、
その女の子とは「わかれました」。

しかし、私たちはむしろ、別れてから
関係が良くなったのです。それは、彼女の中で「私」が
まさに「すがるべき人間」以上でも以下でもない、
ちょうどいいポジションに落ちついたからでした。
そう、自他ともに認める「相談相手」です。
一晩中いっしょにいて、セックスしなくても
ちっともおかしくないのです。不思議なもので、
オレにとってもこの関係は、彼女と「あけすけ」に
いろいろ話し合えるようで、
悪いものではありませんでした。
思えば、この時私は、ほんとに絶望していた彼女にも
言葉をかけることができていたのだと思います。
その言葉は、私が、彼女にとって
「言葉をかけるための人間」というポジションに完全に
はまっていたからこそ効果を持つセリフだったのです。
この人から言葉をかけてもらうことが不自然ではない、
彼女がオレのことをそう捉えた時、
彼女の精神状態が最悪な時に、
オレに電話をすることが
できるような関係になれたのです。

しかし、<私たちがつき合っていた段階で>、
私が彼女のカウンセラーになろうと思ったのは、
少々おこがましく、まとはずれだったようです。
彼女とつき合っていた時、私がカウンセラーではなく、
世間も私たちも認める「彼」として「彼っぽく」
話をすることができれば、それは彼女の中でも、
「彼がこんな話をしてくれた」
という、いわば、「周囲の環境」や
「名実の『名』」の修飾を受けることで
頼りになる言葉になったのかもしれません。
しかし私は「彼女を救う」という
カッコイイ台詞に目がくらみ、
彼である前にカウンセラーであろうとした。

その後の話です。
「私より彼女に身近な人間」が
彼女を不可逆的に傷つけました。
オレが彼女と別れて1年くらいあと、
その女の子とつき合っていた男の人は、
彼女が足の怪我で入院したことをきっかけに、
その女の子と別れました。
お見舞いに行って、彼女にどんな言葉をかけても、
「ありがとう・・・その言葉を
 彼から聞きたかったけど、でも助かったよ」
そう言われた時の
空しさと言ったらありませんでした。

精神的に重荷を背負った人間にとって、
<言葉>は、ポジションをともなった人間から
発せられなければ、失活してしまうのでしょうか。
私の場合、カウンセラーになりきったことで、
彼女を中程度に支えることに満足し、最後の最後で
「彼女と彼の問題」を救うことができませんでしたよ。

木村さんの言う「冒険」だけは
絶対にしたくありませんでした。
冒険は自分だけに危険がおよぶからこそ
誉められるのであり、
不用意な私の「カウンセリング」で
彼女がいつ自殺するかにおびえました。
<言葉をかけること>に、
ものすごいプレッシャーを感じました。

しかし、言葉をかけなければ、
彼女はどんどん孤独になります。
私は、「彼と彼女の問題」を
なんとか自分で克服してくれることを願いつつ、
彼女にとって気のまぎれるようなささやかな幸せを探し
彼女の笑顔をなんとか見られることを考えて、
言葉を発していました。
その言葉は彼女を救うものではありません。しかし、
彼女を救うための環境作りをしようと思いました。
私の作った環境に、他の誰かがのっかって
彼女を救う可能性も考えて、私は彼女の
遊び心を殺さぬような言葉をかけつづけました。
なにかの話題に偏ることなく、
バカみたいに思わせぶりな抽象をすることもなく、
私のことも彼女のことも、楽しいことも悲しいことも、
区別無しに語るのと同時に、こっそり彼女の傷には
触れないような言葉を選ぶというのは、まるで
夢物語のように聞こえますが、完全にはできないまでも
しゃべり手がこれくらい考えることが
「彼女のつらさをわかろうとする」
ことでもあるのでは。あれからさらに1年、
彼女はようやく「オレの親友と」仲良くなり、
「オレの後輩とも」楽しく語り合えるようになり、
親との関係も多少は改善してきました。
彼女のところに彼女を救いたいと思う人間が
少しずつ集まってきたのではないかと思います。
そして、私はもうしばらく彼女の声も聞いていません。
「元彼」はそろそろ邪魔ではないかと思ったのです。

すっかり長くなってしまいました。
伝えたいことのない文章と読んでいただいて結構です。

すっかり稚拙な文章に、
「しゃべっているときに比べ
 文章を書くとうまくいかない」
のは私も環境にめぐまれているのだ、
ということを改めて気付かされます。
読み返してみて少し恥ずかしいですので、
この辺で終わりにします。

これからの「コンビニ哲学」にも期待しております。

(I)

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はじめて読んだときには、率直にびっくりしました。
何度もよみかえしていろいろなことを考えました。
ここで書いてくださった方向での見方って
すごく大事だし根っこに触れているように思う。

自然でリラックスできるカウンセリングでさえもなお
「彼・彼女」の関係の問題を救えないのではないか、
というあたり、これほんとにそうなんだろうなあ。
鋭くてしかも姿勢のとりかたも細やかなかたですね。
元彼女が今うまくいってるといいなと思っています。


[今日の2行]
カウンセラーになりきったことで、最後の最後に
「彼女と彼の問題」を救うことができませんでしたよ。
(I)

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2000-02-22-TUE

 
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