PHILADELPHIA
お医者さんと患者さん。
「遥か彼方で働くひとよ」が変わりました。

手紙254 大貫妙子さんとHIV(8)
時間の流れと人生



こんにちは。
大貫さんのお話の紹介も今日は8回目です。

今回はとりわけ、
こんな機会をいただいた自分はなんて幸運なんだと
しみじみ思いながらお話を伺いました。

大貫 人間の身体って、未知ですね。
どこか具合が悪いと言っては
医者に行ったりするけれど、
本来は、生きていくためのものは
すべて備わっているはずでしょう。

よく聞く話ですが、
ステージに立って演じている人が
何かの拍子にステージ上で骨折しても
走っちゃったり、していて気がつかない。
集中している時というのは、脳から何か出ている。

私も一度、ステージがある前日に、
知り合いがお寿司を食べに連れて行ってくれて
そこの鯖にあたってしまったんですね。

食べている時は、
ちょっと、ん? って思ったんですが
帰って寝て朝5時頃、
急に手のひらが猛烈にかゆくなって
心臓が苦しくなって、
七転八倒したことがあるんです。

寒気がして吐いても吐いても苦しくて
立ちあがろうとしたら、
なんとぎっくり腰になった!

ベッドにも戻れなくて、床に転がった状態で‥‥。
死ぬかと思いました。

でも、どーしても
その日のステージはパスできない思いがあって
気合いだけで、死人のように腰も曲がったまま
会場に行ったわけです。

「大丈夫ですか〜!!」とか
みんなに言われながら、
「うどん、とってくれます?」と、お願いして、
とにかく何か食べなきゃ、
声なんて出ないですから。
それで、食べられるだけ押し込んだ、という感じ。
でもぎっくり腰にもなってるわけです。

動けない。

そのステージは
私だけのコンサートではなかったので
歌う曲も少なかったので、
またまた気合いで乗り切ろうと‥‥。

いよいよ出番が来て、ステージの袖まで
みんなに支えられて歩いて行って。

「立てますか?」
「いいよ、手、離してください」

そこで、ぐーーっと、立ち上がって
丹田だけで、身体を支えている状態なんですけど
紹介されて、ステージに出て行くと
別の人になっちゃうんですね。

鯖にあたってぎっくり腰の私ではないんです。
そして、歌い終わって、ステージの袖に戻ると
もう立てないんです。

こういう時の人間というのは
なんなんだろうと思う瞬間ですね。

火事場の馬鹿力というのもそうですけど
何も考えることが出来ない状況が生み出す
集中力とは、とんでもないな! と思います。

逆に言えば、「だめだ」と思ってしまった瞬間
人は目の前にある負の状況に飲み込まれてしまう
ということかもしれません。

ですから、
人はとても脆い面を持っていると同時に
手術で、もうここも取って、ここも取って、
ここも取っちゃってるのに、
まだ大丈夫!っていう方もいらしゃる。
そこが、強い、と思う面です。

その差って言うのは何なのだろうと
いつも思うんです。

諦めない気持ち、気力、
日本語には
この「気」を使った言葉がとても多い。
辞書で「気」のところを見てみると
おわかりいただけるように、
肉体のありようは、
この「気」のつく言葉で
晴れたり曇ったりしているというのがわかります。

話は変わりますが
最近、やっぱり
寿命は決まってるのではないかと・・・。
本田 決まっている、というと?
大貫 つまり‥‥。
若くして亡くなってしまう方がいらっしゃる。
それが、運命だったのかもしれない、と
なんとか受け入れようとする。
とても時間のかかることだと思います。

私も、音楽の仲間を何人も亡くしています。
当時、私より年上だった方も、今では
私がその年齢をこえてしまいました。
その人を思い出す時
亡くなった人の生きた時間と
それを越えて生きている自分の時間は
どれほどの違いがあるのだろうと。

生きていれば、あれもこれも可能だったかも‥‥
という思いはあるけれど、
それより、この世に生を受けたということの
存在価値の方が大きいのではないかと思うのです。
あれもこれもは、その次に派生していくことで。

人は絶対、ひとりでは生きてはいないので
その人の存在が
自分の生活に大きく関わっていくことは
事実なんです。

この話は、まだまだ考えるところがいっぱいあって
この場では話しつくせないので
唐突に思うかもしれないけれども、
漠然と思っていることは、
生まれたときから死ぬまでの時間、というのは
生まれたときに
すでにセットされてるんじゃないかと。

予期せぬ事故、
いわゆる、
もらい事故のようなことがありますよね。
たった1秒でも違えば、死ぬことはなかった
というようなこと。

同じように、
エイズになってしまっても長く生きる人もいるし、
感染していなくても早く亡くなる人もいる。

こないだイベントで会った患者さんは
感染してから17年も
ずっと元気ですごしてるって
おっしゃっていましたしね。
本田 ええ、そうでしたね。
大貫 どのようなリスクを背負っていても
生きる人は生きるし、
早く亡くなる人は亡くなってしまう、
ということを考えると、
人の寿命というのは
生まれたときから決まっているんじゃないかな、
と思わないと説明がつかない。

最近そういう風にしか
考えられなくなってきてしまった。

つまり、わたしの生命時計は、
この場所を
一歩外に出た時点で終わるかもしれないじゃない?
それは、いくら健康管理したところで
おしまいは、おしまいなわけです。

このことは延べ一年、アフリカで
野生動物を見ていたときに
漠然と思っていたことなんですけどね。

野生動物には未来って言う概念は
たぶんないと思うんですね。
たぶんというより、無い。でしょう。
本田 未来がない、っていうことは、
ただ「今」が連続していて、
先につながっていくだけだ、ということ
なのでしょうか。
大貫 そう。
だから人間が
「未来についてこうなりたい」と思うことは、
人間特有のものだと思う。

ライオンが狩りをするときに、
何でその獲物を狙ったのか、という理由は
ある程度見ているとわかるようになるんです。

もちろんいきあたりばったりのことも
もしかしたらあるかもしれませんが、
野生動物は、
武器や道具を使って狩りをするわけではないので
無理をしたら
自分もやられる可能性もあるわけです。

とくにバッファローのような
大きな動物を狙った場合、
深手を負えば、死に繋がるので。
本田さんのようなお医者さまはいませんから。
ですから、やはり慎重に考えてはいるはずです。

たとえば、狩りの対象になるのは
その動物が年老いているとか、
弱い子供だったり、病気だったり、というような
なにがしかの理由があるんです。

一見丈夫そうな、すごく若い個体が倒された時
その動物を調べてみると
実は、病気で長く生きることが
できない状況にあったというのが後からわかる、
ということもあるんですね。
その例は、研究者によって調べられています。

人にはわからなくても
狩りをするライオンには、わかるんですね。
ハイエナなどにくらべると、
狩りの下手なライオンが
生き延びてきた知恵ですね。
本田 すごいですね。
大貫 そうすると、何かこう・・・。
生きるということの逞しさや
生きて種を存続させていくことの
健気さに感動してしまう。

ハイエナは、
ただの腐肉あさりのスカベンジャーだと
思われているけれど、
とても優秀な動物で、狩りも巧みです。

ライオンは、ハイエナがいないと
生きてはいけない、と言っても
過言ではないと思います。

何故なら、
ハイエナの倒したものをライオンが
よこどりする確立は
50%くらいあると言われています。
実際、その場は、何度も見ています。
いずれにしても、
毎日狩りをしているわけではないし
狩りをするのは、お腹が空いた時。
それも、かならず成功するわけではなので
つねに空腹です。

野生にメタボは存在しないです(笑)
食べ物が走って逃げるわけですから。
狩られる草食獣も必死です。
お互い、命がけ、っていうことです。
しかし、その瞬間は壮絶で
自分の髪が全部逆立って、血液が沸騰して
息が止まりそうになります。

どうしても人は、
近いところの問題に終始しがちだけれど、
怒ったり、苦しんだりするけども
太古からの連続する時間、
地球という星で流れている、ひとつの時間。
そこにたまたま
自分はエスカレーターに乗るように、
つうっと乗っかって、
あるところまで行って降りる、
あるいは消えるという感じなんです。
本田 乗っているところ、
そこだけ、自分が生きてる、という感じで?
大貫 そう。その部分が私の人生のすべて。
今生においての。
長かろうが短かろうが。

アフリカで、
日が昇り日が沈むのを毎日眺めていると
24時間とか、一日という概念が
だんだんなくなっていくんですよね。

遙かな時が流れてきて、
その時が今もつながっているんだというふうに
確かに感じるし、
それは、そのようにして生きてきた
野生動物の営みに中にあるものなんですね。

すべてのもの、
宇宙も含めてすべてに終わりがある、という、
そういういちばん長いスパンで
ものを見ることを考えていると、
じゃあ、エイズって何なのでしょう
HIVとは何なのでしょう、という距離感が
わかってくると思うんですよ。
そこに立って、話を始めるという視点も
大切かと思います。

わたしはこの前の朗読会の時にも
お話しさせていただきましたが、
生きるということは
その長さではなく、
どのように生きたか、と
自分自身、納得することが
たぶんいちばん大切なことだと思うので。

先ほども言いましたように、私だって
明日死ぬかもしれないでしょう?

だから、
毎日思い残すことなく生きようと決めること。

そんなに難しいことではないです。
ものすごい決心とかしなくても
ただ、寝る前にでも、
そう思えばいいんだと思います。

ですから、
来年にしよう、来年やればいいや、とは
極力思わないようにしてはいるんです。
来年できないかもしれないから。

そんな風に単純に考えれば、
コレ、今食べておこうとか、
ってことになるじゃない?
来年でもいいやと思っているってことは
本当にそれを欲しているわけではないって
ことですから。

そのときの自分にとって
一番大切なことは何か、ということを
考えていなきゃいけないんだと思う。
来年じゃ駄目だっていうことが、
絶対自分の生活の中にあると思うんですよね。

今、何を優先するか、ということを考えることが
自分は思い残すことなく生きていきたい、に
繋がると思うんです。

もちろん、
利己的なことばかりではこまりますけど(笑)
どんなことでもいいんです。
どんな小さなことでも。
その積み重ねが、
基本的な生活の中の自分を
豊かにしていくように思います。

だから、同じ!
HIVに感染していても、いなくても。
わたしも。
本田 あのう、
大貫さんって、このようなことを
いつごろから
お考えになっていらっしゃったんですか?
ずっと昔から?
大貫 わっかんない(笑)
たぶん中学生の頃に
何か気がついたことがいくつもあって、
でもそのことに誰も答えてくれなくて。

答えてくれないから自分を納得させるために
こんなに世界中旅したり、
見たりしているんだと思う。

実際、今までそうやって
答えを
いろんなところで見つけてきていると思います。

よくみんな旅に出ると
「新しい自分を見つけた」と言うけど、
そうじゃなくて、
自分はもう最初からあるんですよ。もともと。

新しい自分に出会うなんてないの。
だって、ここにあるんだもの。
それに気がつかなかっただけなの。
自分の中のことに。
本田 すごく胸に染みるお話ですね。
大貫 そう思うと、たったひとつの地球が
できてなくなるまでの時間軸の上に、
さっき言ったみたいに、
歩く歩道の上に乗っかって降りる、という
ひとりの人間の人生があって、
それはHIVを抱えていようと
健康体であろうと、
明日降りちゃうかもしれないという点では
同じなの。

病気と共に暮らすのは
やはり辛いことだと思うんですよね。
治療とかも含めて。

だから短くても長くても、自分が生きていく中で
「HIVに感染しないこと」を選ぶならば、
治療は辛いですよ、ということを
伝えることが大事だと思うし。

また、伝える反面、
HIVの人も
同じエスカレーターに乗っているんだから、
その時間は一緒に生きよう、と思うの。
差別なく。

だから、この前
朗読会のステージでも言わせてもらったのは、
私の友達にもHIVの人はいるので、
辛いのはよくわかるけれど、
でも、こっちも大変なのよって言える関係を、
同じように、生きてるっていう意味で
「あなたも大変でしょうけど、
わたしも大変なの」って言える
関係を作ることが大切だ、と伝えたいと思ったの。

わたしの方が元気な時は、
手を貸したり
なにか代わってできることがあれば
そうしてあげたりする、という関係で
つきあえたらいいじゃない?

たまには泣き言も聞いてあげます。
でも、
いつもいつもは勘弁してね、ということが言える。
そんな関係ができればいいなと思う。
本田 お互いに寛容な関係ですね。
大貫 そう。お互いの思いやりだと思うのね。
そういうふうに考えられるようになるとね、
少しいろんなことが
変わってくるんじゃないかと思うんですよね。

大貫さんが考えていらっしゃる
時間や人生についてのお話を伺いながら
わたしは自分のことを
すごく反省していました。

では、今日はこの辺で。
みなさま、どうぞお元気で。

本田美和子

2008-03-28-FRI

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