PHILADELPHIA
お医者さんと患者さん。
「遥か彼方で働くひとよ」が変わりました。

手紙182 WHO・5 ホーチミンの公民館


こんにちは。

ベトナムのホーチミン市で
HIVを診る医師を養成する講座は
数日間の日程を無事終わりました。

講座に参加していた医師や看護師は
地域の医療機関で働いている方々だったのですが
授業の合間に個人的に話をすることができて
いろいろなことを教えてもらえ、とても参考になりました。

英語を母国語としない人と話をするときには、
互いに、自分の考えていることを
自分は正しく表現しているだろうかと
確認しながら話しているように感じることが多くて、
米国などの英語圏での会話とちょっと気分が変わります。

わたしはこのようなコミュニケーションをするために
英語を勉強するのだ、という自覚が学生の時にあったら
もうすこし違った角度から学べたんじゃないか、と
海外の仕事仲間と話をするときにはいつも思います。

ともかく、現地の様子もだんだんわかってきて、
ある日の午後、町はずれにある
公民館のようなところに出かけました。

そこは、もともと結核の患者さんたちのために作られた
公民館なのですが、
そこにHIVの検査を受けることができる施設を併設して
診察も受けられるようにしようと
現地のコーディネーターを引き受けてくれた
ベトナム人医師ワンが準備を重ねていました。

彼女と
カンボジアのWHOのフランス人、ミッシェルは
わたしと同世代の内科医で、
この数日間にとても仲良くなっていました。

町の人に気軽にHIVの検査を受けに来てもらって、
陽性とわかった人には
定期的に医師の診察を受けられる制度を作る、という
医療の基本構造はどの国であっても、同じです。

でも、これを実現するのは
なかなか難しいことでもあります。
日本にしても、
「気軽にHIVの検査を受けに来てもらう」ことに限っても
まだまだの状態です。

ワンたちは、豊かとはいえないこの町に
HIVの診療制度を根付かせるために、奔走していました。

ベトナムでは、結核はまだとても多い病気のひとつです。
結核用に造られた建物にHIVの診療設備を併設した理由は
「あの建物に出入りしている人は
HIVに感染しているのだ」という
噂を立てられないようにするためです。

HIVに感染した人の
リストやカルテの書式もできたばかりでした。
今後はこのカルテに
様々な健康状態の変化を記録していくことができます。

ここの試みで、
良いなと思ったことはいくつもあるのですが、
中でも、ここで働くスタッフには
HIVに感染している人も含まれていて、
これはすばらしいと思いました。

日中、ふらりと立ち寄ることもできるこの公民館で
自分と同じ病気の人が働いていて
相談にも乗ってくれる、というのは、
患者さんにとって、とても心強いことだと思います。

HIVの治療が始まると、
毎日きっちりと薬を飲み続けることが
何よりも大切になってきます。
これは結構難しいことなのです。

わたしは風邪のために3日分処方された薬すら
全部飲まないことが珍しくありません。
薬を一日に何粒も一生飲み続ける、というのは
考えるだけでも大きなストレスになります。

HIVに感染しているスタッフの重要な役割のひとつは
「薬を頑張って飲もうね。僕も頑張ってるから」と
応援することでした。

当時、まだ「3 by 5 計画」
本格的に軌道に乗っておらず、
HIVの診断がついても、必ずしも全員が
HIVの治療を受けられる訳ではなかったのですが、
薬さえ届けば、治療を継続できるようにする準備は
着々と整えられているようでした。

「ここまで、よくがんばったね。すごい」と
素人のような感想を述べたわたしに、
ワンは
「だって、しょうがないじゃない。
HIVに感染してる人はものすごく増えてるし、
誰かが、何とかしなきゃいけないんだもん」と
いつもと同じように、穏やかに、にっこりと答えました。

では、今日はこの辺で。
みなさま、どうぞお元気で。

本田美和子

2005-12-16-FRI

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