PHILADELPHIA
遙か彼方で働くひとよ。
ニューヨークの病院からの手紙。

手紙136 家庭内暴力・7 被害者としての経験


こんにちは。

「ほぼ日」でスペースをいただくようになってから
あと少しでちょうど3年になります。

その間、「やっててよかったな」と思うことが
いくつもありました。

糸井さんを始めとする
「ほぼ日」を作っている側の方々と
いろんな話ができたのは
もちろん、そんな楽しみの中のひとつなのですが、
それと同じように
「ほぼ日」を読んでいらっしゃる側の方々と
メールを通じて知りあえた、ということも
すごくうれしくて、得がたい経験でした。

今回の家庭内暴力のシリーズでは
これまでにないくらい、
たくさんの方がメールを送ってくださっています。

中には、暴力を受け続けたご自分の経験を
語ってくださるものもありました。

どの方も
淡々と事実を述べていらっしゃるにもかかわらず、
その言葉には、いずれもすごい迫力があって
信じられないような経験に胸が詰まる思いでした。

家庭内の暴力は、本当に起こっている、
ということを知るためにも
このようなメールを
ここでご紹介することに意味はある、と思いました。

メールを下さった方々とも相談して
ご了承をいただいたので、
今回と次回の2回に分けて
「彼女の経験」についてご紹介することにします。

今回は、「被害者としての経験」を
教えてくださった方々です。

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<アライさんの経験>

わたしは30代の医師です。
2年前に離婚しています。

理由は細かい事が山のようにありましたが、
一番大きな原因は元夫の「口撃」(つまりイヤミですね)と
「物にあたりちらす」という悪癖でした。

イヤミはそれこそ、わたしの実家の悪口、
わたしの仕事への文句といった
どこの夫婦にでもあることだったのですが、
もうひとつの悪癖がわたしには我慢ができませんでした。

彼は直接肉体的に私に暴力を振るうと
実家や職場にバレると思い、
イスやらテーブルやらを
「決して私には当たらないように」投げ付けるのです。
もちろんすごい音がするので、
翌朝マンションの管理人さんに
苦情を言われる事もありました。

近所の方々にも申し訳ありませんでしたが、
なによりも「当たらない」とわかっていても
物を投げ付けられる恐怖感はかなりのものでした。

実家の親にも相談しましたが、
「原因はあなたじゃないの?」と
あまり実感がなかったようです。
離婚してからはじめて理解してくれたようです。

わたしは離婚までの間、
物を投げ付けられたり、嫌みを言われると
過換気を起こす程になってしまいました。

幸い知識だけはありましたので、
彼の前で袋を口にあてて呼吸をして
応急処置を何度もくり返しました。

その間も彼はだまって見ているだけでした。

離婚した今でも、
紙袋を見るとその時のことを思い出して息苦しくなります。

アライ

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<篠原さんの経験・1>

私も殴る人と付き合ったことがあり
それが合気術4段の男性だったため
相当痛い目にあいました。

漫画のように、
殴られて目から星が出るのは
本当なんだなあ、とわかりました。
(今では、もう笑うところなんですが)

今回載っていた「質問票」はどれも当てはまることばかり。
また、暴力のステップも、全くその通りです。

多くの被害者が、同じようなステップを踏んで
同じような痛い目にあっているというのは、
なんだか不思議な気がしますね。

ステップ1を徹底的に行うことによって
2と3が、より相手(被害者)に
ダメージを与えることになります。
この「コツ」を、暴力をふるう側は良く知っていて
効果的に使っているような気がしました。

殴られたあと、後遺症とでもいうのか
・怒るという感情を出せなくなって、
 怒るべき時にも笑ってしまう
・自分のことばっかりいつでも話したくなる
 (その体験以外のこと)
・なにも話したくない
・電車に乗れない
・家から出られない
・路上で動けなくなる
・寝付けないし、その後も頻繁にうなされて
 何度も目がさめる
・道の角に誰かが立っているように見える
・自分のやることは全く価値がなく思える
・次に殴られている(はずの)人は私より価値があるので、
 本当は私がずっと我慢すべきだった
などと、これも多分典型的な考えや行動に
とらわれていましたが
最後の「私がずっと我慢すべきだった」という考えが
かなり辛かったです。

他の多くの人もこれを感じているとしたらかなり辛いはず。

5年くらいたって、
「もとどおりに近づいた」と自分で感じたときは
嬉しかった。

ワケもなく殴られることを、
身近な人に信じてもらえないことも多かったので
近頃、やっと
ドメスティックバイオレンスということが
言われるようになって
多くの人がその存在を知りはじめてほっとしています。

篠原

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その後、篠原さんは前回お伝えした
「緊急避難所」に関しての経験も語ってくれました。

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<篠原さんの経験・2>

迷わず警察を呼ぶように、という呼びかけは
大きな意味があると思いました。

私が逃げられる直接のきっかけとなったのは、
やはり警察でした。

夜中に相手が暴れるだけ暴れて部屋を出て行ったあと
『帰ってきたら(相手にその意志がなくても)
殺されるかもしれない』と思って
自分の住所録だけもって
(友人に迷惑がかからないよう、
このころはいつも持ち歩いていました)
近くの無人の交番へ。

本署への直通電話で、パトカーに迎えに来てもらいました。
本署で事情聴取を受けたあと、パトカーじゃない車で
そこから公的な保護センター
(これは住所や電話も外部には出ていないとか)へ。

そこは、夜中にもかかわらず職員の方がおられ
手続き終了後、洗面道具などを支給してもらい
個室を与えられました。
もう空が白む頃で、もちろん眠れませんでしたが
誰も知らない場所、ということで気が休まりました。

朝は食堂で、入所している人があつまって食事。
子どもを二人連れた若い女性もいましたし
もうかなり高齢の女性もおられました。

ここにいられる期間は、たしか2週間ほど。
その間は、外出は基本的にできず、仕事にも行けません。
面会や外部からの訪問者は、シャットアウトです。
掃除などは、
入所者が交代でやるシステムだったと思います。

警察、福祉事務所などでは、担当者によって
ひどい扱い(相手にその気がなくとも)を
受けることがあります。

そのときは日を改めるか、別な場所へいくと
また違う人に出会えます。

一度でうまくいかなくても
みなさんが諦めないように、と思います。
今困っている人が、1日も早く元気になれるように
私も祈ります。

篠原

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次回は
被害者を守る立場からの経験を寄せてくださった方の
メールをご紹介します。

みなさま、どうぞお元気で。

本田美和子

2002-03-07-THU

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