PHILADELPHIA
遙か彼方で働くひとよ。
ニューヨークの病院からの手紙。

手紙115 テロの後。

こんにちは。

この1週間、
信じられないようなたくさんのメールが
ほぼ日の編集部から転送されてきました。

どのメールも
優しさと思いやりに満ちていて、
お目にかかったこともない方々に
こんなに気遣っていただけるなんて
なんて幸せなことなんだろうと
感謝しています。

本当にありがとうございました。

今日はその後の街や病院のようすの
ご報告をしようと思います。

あっという間に
緊急災害態勢が整った病院でしたが、
わたしたちが思ったほど
たくさんの患者さんは運ばれてきませんでした。

事件が起きた火曜日と水曜日をあわせて
だいたい200人に満たないくらいの方が
現場からわたしが働いている病院へ搬送されたそうです。

もちろん、その中には
全身にひどいやけどを負って、
すぐに熱傷専門の集中治療室へ入院した方もいます。

この病院が、現場から遠い、という
地理的条件はもちろんあります。
現場に近い病院には、
1000人単位のけが人に対応したところもありました。

でも、何より、たくさんの
治療を必要とする、もしくは、必要としていた人々を
その現場から助け出すことが
今もできていない、ということが
その理由なのだろうと思います。

信じられないような災害が起こったときに、
病院で働く者ができることは
本当に限られている、ということを知るのは
ちょっと悲しいです。

事件が起きた地域に近い病院の周りには
尋ね人のチラシがたくさん貼り出されています。

みんなとても若くて、
身体的な特徴や服装についての情報とともに、
笑顔の写真が添えられています。

自分の探している大切な人が
このチラシで見つかるとは思っていないけど、
でも、何かをせずにはいられなくて
こうしてあちこちに貼っているんだろうな、と思うと
とても切ないです。

前回も少し触れましたが、
現場から離れた街では
本当に同じ地域であんな事件が起きたとは思えないほど
普通の生活が続いています。

レストランにはお客さんがあふれ、
食料品店の店先には
きれいな切花がたくさん並んでいて、
いつもと同じように、歩道には
ちょっとあやしいブランドバッグをワゴンに満載した
露天商のおじさんたちもいます。

でも、こんな普通の生活を続けているわたしたちと
チラシで呼びかけられている人との違いなんて
ほとんどありません。

たとえば、
わたしは2週間前、往診で
ワールドトレードセンターの向かいにある
アパートの患者さんを訪ねていましたし、
同僚は、今週の火曜日から、
爆撃されたビルの3階で
医療保険についてのセミナーに参加する予定でした。

国家や政治勢力間の問題は
利害が細かく入りこんだパワーゲームなのでしょうが、
わたしにはあまり関心がありません。
ただ、こんな形で
彼らのゲームに巻きこまれてしまうのは、
いやです。

ある一方のシステムの中で生きている、ということは
それだけで、もう一方の側からは
十分な攻撃の理由となるんでしょうけれど。

わたしの暮らしはこれまで通りです。

では、今日はこの辺で。みなさまどうぞお元気で。
次回は、引越しの話の続きにしたいと思います。

本田美和子

2001-09-18-TUE

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