SHIRU
まっ白いカミ。

119枚目:「給食の人参じゃないんだから。」
(人参好きな子を敵に回さないで人参を食べない方法。)

 

こんばんは。
シルチョフ(くろひょう)です。
117枚目ではお手つきしてごめんなさい。2回も。
生物好きのほねさんに強化テキストをもらってきたので
どうかこれで勘弁を…。

それはさておき。(話題転換力、TP250。)
今回のカミは「批評」ってなんでしょうね? という話。
そもそも私は否定的なものに否定的で
「面白さを伝えようとする感想」以外のものは
世の中に必要ないんじゃないかと思うのです。

毀誉褒貶の毀と貶の部分は何のためにあるんだろう?って。
とくに好き嫌いを、良い悪いに言い換えていたり。
売れてるものをすぐにやり玉にあげたりするのって…
やなものに関わってるぐらいなら
すきなことをやった方がいいのに。

まだまだ幼いのかもしれません。
たとえば未だによくわからない「裁判」とか。
殺人者がいてそれを死刑にするなんて話を聞くと
2個目の死体は誰が何のために作られるのか?
答えてくれる誰かに聞きたくなります。

と、(TP150)ピュアなふりはしてはみましたが…
やっぱり嫌いなものは嫌いであるのはいたしかたなくて
長尾カルビさんの本など。
でも悪口はかっこわるいし敵はふえるし
自分の好きな作品の批判をみるとむかむかするし
一体、どうすりゃいいのさこの気持ち…

そんな時でした。以下に引用する素敵な書評をみつけて
クロレッツを噛んだ後の吐息のように爽やかな風が
さーっと胸を吹き抜けました。

だって、今回文句を言っている評論家の大半も、かつてはこうした比喩をふんだんに交えた軽やかな春樹文体にこそを褒めていたはずなんだから。結局、職業柄たくさんの小説を読む文学プロパーたちが飽きてしまっただけの話なのだ。一方、規則正しい生活を送ることで、とてつもなく頑固な性格を表明しているこの作家は、日本の風土ばなれして大仰な比喩や、デビュー当時からこだわっているテーマに飽きるということを知らないようなんである。

「書評ケモノ道」 豊崎由美 ("カエルブンゲイ"連載中)

そうそうそう!そうなんです。
新刊が出るたびに雑誌やあちこちでみんなが
勝手に褒めたり悪口を言ったりしてるけど
村上春樹さんが日本の風土ばなれした比喩を好きなのも
アイルランド人よりも頑固なことも分かっていて
私(をふくめて読者は)それを楽しんでいるんです。
春先のモルダウ河みたいに。

毒舌とか辛辣な批評といったって
そういうのは、裸にして鏡の前に立たされるような
冷徹な視点の前には非生産的な悪口にしか聞こえない。
しかもこれ、ラストはこうきました。

「同調できない人は読まなければいいんである。
 別に読書は義務なんかじゃないんだから。」

素敵! 給食の人参じゃないんだものね。
背負い春樹を消費したら読まなければいいし
あの喪失感や比喩が好きだったら読み続ければいい。
これからは私もこの姿勢を見習って
なにごと色眼鏡でみてから、ニュートラルっぽく語るんじゃなくて
曇りなき眼でみつめてから、自分の薄汚れたプリズムを通して
7色に染めて語れるようになりたいと思ったのでした。

でもね。私の持論のひとつに
「もし二言が許されなければ、ばぶーとしか言えない。」
という刹那的なものもありますので
近い将来、また考え方が変わっていても
それもおてつきのように見逃してください。
日々、手作りで試行錯誤なのです。

それでは、また。

 

シルチョフ
shylph@ma4.justnet.ne.jp

from 『深夜特急ヒンデンブルク号』

2000-01-24-MON

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