よりみち
パン!セ
中学生以上すべての人たちへ。
キミたちに、
伝えたいこと。




今日の、ひとことパン!セ

今日の、ひとことパン!セ
どうして誰(だれ)も
教えてやらないんだ。
人間だけが
世界じゃないんだ、って。

ぼくみたいに、
虫でも捕(と)ってみなさい。
人間ばっかり、
相手にするからわるいんです。

養老孟司『バカなおとなにならない脳』より

養老孟司さんは、
迷いのない人。
社会がこんなになっちゃっているのは、
おとながいいかげんな考えで、
じぶんさえよければ、と、
いいかげんに社会を作ってきたからだ、
そのつけだ、という。
そんなこと言ったって、
昔に戻ることは難しいでしょう?
なんて言おうものなら、
待てよ、昔に戻ることができない、なんて誰が決めた。
いつ、だれがそんなこと証明したのかここで言ってみろ、
と手厳しい。
本気で考えるなら、
いまの世の中がもっと生きやすいものになることを、
本当におとなが欲しているのなら、
具体的に考えようがあるはずだ。
それができないなら、このままみんな滅びるしかないね、
私の知ったこっちゃない、勝手にしてくださいよ。
……かしこいおとなはこのように、シンプルだ。
そして、いつもどこか、ソワソワしている。
なぜなら頭のなかは、
いつも虫の世界の愉快でいっぱいだからだ。

(編集担当 清水)





その2 マッカーサーが評した、日本人の知性。
糸井 ぼくがこのところ
いくつか考えていることと、
この「よりみちパン!セ」が
重なることがあるんです。

日本が戦争に負けたとき、
マッカーサーがやって来て、
「日本人は12歳の少年のようなものである」
と言ったといわれています。
日本人の知性は、中学生くらいだ、と。

マッカーサーがどんな気持ちでそう言ったのかは
わからないけれども、
これだけ時間がたってしまったいま、
ぼくは「そうだよ」と言いたいんです。
まったく、そのとおりだよ、
日本人は中学生なんだよ、と。

マッカーサーの言った
「中学生くらいの知性」というのは
西洋からみた知性のことなんです。
西洋の人からみたときには、
ぼくらはだいたい中学生くらいなんです。

戦後の日本の知の改訂は
西洋の大人の体系でつくりあげられたから、
「中学生か‥‥」とがっかりしてしまう感覚があるけど、
西洋人からみた、あたかも中学生くらいまでの、
日本人の知というものが
じつはぼくらの完成形なんじゃないかな。
そういう目でもういちど
日本人の知を見直すと、おもしろいと思うんです。

いま、この「よりみちパン!セ」のシリーズを、
たとえば、うちの社員なんかが
むさぼるように読んでいるわけです。
本が苦手で、
本を読むのがとても遅い奴が
「簡単だし、読めるけど、
 とても高度なことが書いてある」
と、うれしそうに言うんです。
ぼくは、この「よりみちパン!セ」には、
確実に、高度なことが書いてあると思うんだよ。
清水 言葉や知性って、体験より遅れてしまうことがあるし。
西洋の知だけが知性じゃないですしね‥‥。
そういう意味では‥‥わたしも本、好きだけど
けっこう苦手なものでもあるかな。
糸井 ハハハハ、そうなの!
おれもそうだよ!
ここにいるふたりがそろって
こんなに苦手だということは‥‥、
中学生以上分の知性は、
ゲタを履いてる、と言えないか?
清水 そうかもしれませんね。
わけがわからないようにつくり、
読むほうも、わけがわかったような気になっている。


(ふたりのはなしは、つづきます)

2006-01-12-THU




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