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分析的なものの考え方のススメ


日常生活における大概の物事は、
分析的に考えるべきである。
「分析」という言葉の響きから、
「あっ、もうこれは私とは関係ない世界の話だな」
となってしまう人もおられるかもしれないが、
それはとんだ間違いである。
そもそも、このコラムはいつも堅苦しくて
理想ばかり追っているかのように感じる方も
いるかもしれないが、それも大間違いで、
ごくごく当たり前であるけれども
多くの人が言葉にしてこなかったことを
わざわざ言い直しているに過ぎない。

今回も同じである。
ちょっと気の利いたことを言う人、
ものの考え方の切り口が面白い人、
あるいは単に物分りがよい人などは、
みな共通して「分析的な」ものの見方をしている。
「分析的である」などとわざわざ言わないけれども、
こういう人達は論理的に物事を捉えることができ、
頭の中も大変整理されているのだ。

また、彼らは、あるものごとに接すると
それに対して自然と色々な角度から
評価を施すことができる。
なぜかというと、自分の中にあらゆるものに対する
独自の「あるべき姿」があり、それとの距離によって
色々なものの良し悪しを判断できるからである。
これは大変分析的である。
「分析的である」ということは、
混沌とした世の中では必須となる。
キーワードといってもよいだろう。
分析的であると人生が大変楽になる。
殆どのことに迷わなくなるからだ。
人生が大変になる理由の大半は、
意思決定の煩わしさ、難しさに起因すると考える。
どんなことでも迷わず正確に判断を下せるとしたら、
損はしないし、
また損するかもしれないという不安もなくなる。

「そんなことは自分には無理だ」
などという方がいるかもしれないが、心配しなくてよい。
ただ、ただ、「何となく決めた」とか
「とっさの思いつきで」ということを
意識的に減らせばよいだけのことである。
何かを行うとき、物事を決めるときに、
常に一呼吸、ワンクッションおくよう心がけるだけで
だいぶ違ってくるだろう。
多少いい加減でもいいから、
物事には必ず理由がなくてはいけないという
緩やかな規律を持つと良いのだと思う。
こうすると、その理由をつけるために
根拠となる事実を探すこととなり、
自然と分析的視点が生まれてくる。
そうこうしているうちに人生も少しは楽になるだろう。

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2003-01-23-THU

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