大村憲司を知ってるかい?
2年前の冬、短い生涯を閉じた、
あるギタリストの話。

【放映前にいただいた、ほぼ日読者からのメール】

「大村憲司を知ってるかい?」が
「ほぼ日」で連載されるなんて
サプライズプレゼントをもらったような気分です。
亡くなった大村さんには、申し訳ないけど。
実は2日ほど前の雑誌「テレビジョン」で、
このトリビュ−ト番組を見つけ大村さんの死を知りました。
コンサートによく行ってた頃は
しばしば会場で見ていたのでしょうが、
もっとも印象に残っているのがもう何年も前の
「大貫妙子」さんのクリスマスライブです。
大阪厚生年金会館で行われたそのコンサートは、
クリスマスという季節感と土地柄が相まって、
盛り上がること盛り上がること!
ター坊も「私のコンサートで皆が立ち上がるなんて!」と
驚いていました。
場内に明かりが点灯されてもアンコールの拍手が鳴り止まず
とうとうター坊を始めスタッフが私服のまま
ステージに登場してくれました。
「もう演奏する曲がありません。だから、もう一回、
 ピーターラビットをやります。」
そんなター坊のMCをニコニコきいていたメンバ−の中に
大村憲司さんがいました。
白いシャツにベストを着ていたと思います。
パッケージからはみでた、とても幸せなコンサートでした。

最後に、大村さんの御冥福をお祈りします。
(あの日、同じ時間を共有できて良かった者より。)

        

はじめまして。
私は矢野顕子さんのファンで、一番好きな曲が
「ごはんができたよ」です。

大村憲司さんのソロを聞くたびに、
あったかい気持ちがぐぐっとこみ上げてきて
おどっちゃいたくなる。
視線が自然に上がってきて、顔がほころんでしまう。
そしてなぜか、とても幸せなのに涙が出てきてしまう。
大切な大切な一曲です。
(Hiroko)

        

鼠穴のみなさん、ほぼにちわ。

「大村憲司を知っていますか?」
知ってます。ちょうど青春時代に
YMOにのめり込んでいたので。
でも、お亡くなりになっていたとは知りませんでした。
残念だけど生で拝見した事がなく、あっこちゃんの音楽と
YMOの音楽でしか聴いた事がないの「知ってる」と言っても
I can speck English very litle.
って感じでしょーもないです。ごめんなさい。

私の大村憲司さんの印象といえば、まぼろしの?YMO写真集
「OMIYAGE」の中にYMOのワールドツアーの時の写真で
 (↑ダーリンの写真もあったはず)
お化粧ばっちりのあっこちゃん(妖艶!)、
細野さん、教授、ユキヒロに混じって
一人お化粧が似合わない大村さんが
とても目立っていた事です。
(現物が手元にないのでくわしくは忘れてしまいました。)
 
こんな印象しかないので
「大村憲司さんを語る」事はできませんが
ただ、誰にでもある音楽や映画にのめり込んで、
もぉ〜それが生活の中心みたいだった頃に知っていた人が
亡くなることとか
久しぶりにその人を見た時に感じる事は妙に切なくて、
えーちゃんぢゃないけど「時間よ止まれ」って本気で思う。
でも絶対そんな事はありえないのがカナシイけど
ウレシイような…気もする。
 
遅ればせながら、ご冥福お祈り申しあげます。
ついでにあっこちゃんも聴こうかな。
ではでは
(ぼーちゃん)

        

ほぼ日のみなさん、こんにちは。
みみと申します。
まさか、ここで憲司さんの特集を組んで頂けるなんて。
ほんのちょっとだけかも知れないけど、
ものすごく嬉しいです。
まだ、番組を見ていないので、憲司さんの思い出を少し。

今から8〜9年くらい前の5月に、京都に遊びに行きました。
当時、遠距離恋愛をしていた彼に会いに行ったんですけど
八坂神社近くでお昼をいただいて、
散歩がてら八坂神社を歩いていたら、
向こうから白いコートを着た憲司さんが歩いて来たんです。
彼が「憲司さんだ!」って言って私がその方向を見ると
憲司さんが奥様の聖子さんととても仲むつまじく、
楽しそうに話しながら歩いてきたんです。

ステージ上でいつも眉間にシワを寄せてギターを弾く、
勇敢な姿しか見たことが無かったので、
あんなににこやかに穏やかで優しいお顔の憲司さんを見て、
本当に驚きました。

薫風の中、スーッと爽やかな気持ちになったことを
覚えています。
そして、憲司さんと聖子さんの仲むつまじい姿を見て
自分たちもそのような夫婦になりたい、と思い、誓いました。

去年末の青山劇場でのトリビュートライブ、見に行きました。
当時、誓いを立てた彼は夫となり、
私の隣でじっくりとライブを見ていました。
ステージのそこここに憲司さんの姿を見たような
素晴らしいライブでした。
(Mitsuko Morita)

        

ショックです! 実は、恥ずかしいことに、
大村さんが亡くなったことをぞんじあげませんでした。
いったい、どうしてなくなったのでしょうか?
中学生の頃(現在33歳)
熱狂的なムーンライダース&YMOのファンだったので、
大村さんのことは、その周辺の方ということで、
もちろん、知っていましたし、
「春がいっぱい」はいまだに愛聴いたしております・・・。
最近ご活躍の報をお伺いしないとは思っていました・・・。
が、まさか・・・・。
少しばかり、ショックが大きくて、
思わずメールを書き始めてしまいましたが、
取り止めがなくなってしまい、申し訳ございません・・・。
今夜は改めて、
「春がいっぱい」をかけようかとも思いましたが、
なんだか、それは辛すぎるので、
吉田美奈子さんの歌声を
聴かせていただくこととたしましょう。
我が家には、BS放送を引いておりません。
悔やまれてなりません。実家に行こうかしら・・・。

それでは、本当に、取り止めがなくて、申し訳ございません。
さようなら。
(こば)

        

前略
大村憲司さんが亡くなられていたことを知りませんでした。
一時期、バックミュージシャンとしてではなく、
プロデユーサーとしてではなく、
ギタリスト大村憲司としての活動を
久し振りに精力的になさっていた時期の事です。
何度かライブハウスで憲司さんのギターを拝聴しました。
カミーノ再結成ライブ、
下田逸朗さんとのライブのあたりだと思います。
村上秀一さんと大村憲司さんの
二人だけのライブがありました。

それは私が過去に、見て聴いた数あるライブの中でも
心に響く非常にすばらしいライブでした。
村上秀一さんはいつもに増して幸せそうでした。
ライブ途中のコメントで
「オレはうれしい。やっと、
 やっと憲司が本気を出してくれたよ。
 やる気をだしてくれたよ」
とおっしゃっていた事をよく覚えています。

そのライブでのラストの演奏は、心に身体に染み渡りました。
あの不思議な感じは今でもよくわかりません。
有り体にいえば感動したという事なんでしょうが、
そんな単純に表現できる種類のものではなかったです。
あんなにも深く、人の表現が感覚として伝わってきた事は、
そうそうありませんでした。
純粋で、綺麗で、けれどもただ「ピュアな」というには、
もっと確かで、壮大な音を体験しました。

あの日その会場にいた事を心から感謝します。
(K)

        

初めてメールをお送りさせていただきます。
今も昔もYT派と申します。
1997より高橋幸宏さんのファンページをやっておるのですが、
昨年より大村憲司さんのファンの友人と一緒に、
私の幸宏さんのサイトにて、
憲司さんの参加作品を紹介するページを公開しております。
以前、憲司さんの追悼号の
「ギターマガジン」誌に載っていた情報を元に情報を追加し、
年代順とアーティスト名のあいうえお順で
ご紹介しております。
本来はいろいろやりたいことがあるのですが、
サーバーのスペースが無いのと、
私が多忙のためマイペースで更新しています。

このたび、糸井さんが
憲司さんの特集を始められたということで、
是非、私どものページを
ご紹介していただきたくメールをお送り
させていただいた次第です。

アドレスは下記のとおりです。
http://www08.u-page.so-net.ne.jp/za2/
mochiai/kenji/index.html


憲司さんの参加作品はとても膨大なので、
ご紹介していただくことによって
未掲載の作品の情報が得られたらと思っています。

実は昨年の憲司さんの追悼コンサートの時に、
憲司さんのお奥様と思われる方がいらしたので
このページのことをお知らせしようかと思ったのですが、
声をかけはぐってしまったのです。
(OCHIAI_Masamichi)

        

こんばんは。キイと申します。
大村憲司という名前を見つけて、反応してしまいました。

大貫妙子さんのコンサートに参加されるはずが、
それが果たせずに亡くなったということを聞いてから、
ほんとうに時間がたってしまったような気がします。

僕が最初に、大村憲司という名前を覚えたのは、
YMOのライブビデオを買い、
ギタリストが渡辺香津美ではない、
別の人になっていたことに気づいたときでした。

テレビで高橋幸宏さんのコンサートが放送され、
演奏している姿を見たのが、
ギターを持っている大村憲司を見た最後だったと思います。

ページを見て、はじめて知ったことが多く、驚いています。
リー・リトナーとも共演していたんですねぇ。
僕が生まれた年に発売された「KENJI SHOCK」、
ぜひ、聞いてみたいと思いました。

番組が楽しみです。
ではでは。
(キイ)

        

NHK BS2での放送を楽しみに待っていたので、
この連載はとてもうれしいです。
いま思えば、大好きなミュージシャンのアルバムや
ライブには、よくこの人が参加していたものです。
この機会に、たくさんの人に大村さんのことを
知ってもらえるとうれしいです。
(まこと)

        

行きたかったけどどうしても行けなかったライブでした。

憲司さんの思い出ね、
昔たあぼうのコンサートに来られたときのこと。
コンサート終わったあと、たあぼうに会いたくて
ワタシ、楽屋待ちしてたんですよ(笑)。
そのとき憲司さんに会ってちょっとだけお話できたかな。
ピックを惜しげもなくあげていました。
憲司さんに会えてまいあがっている間に
たあぼうのがしちゃったんだけど(笑)。

憲司さんの演奏は、たあぼう、矢野さん、遊佐未森ちゃんの
コンサートで生演奏を聴くチャンスがありました。
YMOのときはまだダメだったんだけどね。
YMOの演奏、香津美さんと憲司さんとでは聞こえ方が
違う。憲司さんはYMOをロックにした人ですね。

神戸チキンジョージでもライブあるのですね。
飾ってあるストラト見たいと思いながら、
なかなか行けなくて。
行けるかなー、行きたいなあ。
(千春@広島)

        

友達が「大村憲司の情報が載ってるよ」って
このページ教えてくれました。
いい曲たくさんですね。
ジャケットのデザインもすごい良くって大好きでした。
なくなったとき随分がっくりしました。
BSでこんな風に聞けるなんて嘘みたいです。

派手ではないけどいい曲作る人たちっていっぱいいますね。
でもなかなかボーッとしていて
普段耳にすることが出来ないからなー。
岩井俊二監督の「ゴーストスープ」のCD
(音楽 土井宏紀の方)もいい曲だなって思いました。

またこんなふうな機会があると良いです。
頑張ってください。
(高山)

        

こんばんは『ほぼ日刊イトイ』さん。

私が「KENJI SHOCK」CDを手にしたきっかけが
ある、トリビュート出演者がライブで
このCDを絶賛していた一瞬から始まりました。
絶賛していた彼の表情を見て
大村憲司という人の奏でるSOUNDを聴きたくなったのです。

早速、手にして聴いた時
正直、ビックリしました。
私はライブに行き始めたのもここ半年の新人ですが・・・
もしも。。。大村憲司さんが健在で
デジタル化された音でなく生の
彼のリズムを身体で受け止める事が出来たなら
どれほどの幸せな時を得る事が出来ただろう。
心が豊かになっただろうと。
真っ先にそんな事を思わせる一枚のCDでした。

とっても、おしゃれな曲ばかり!!
彼のリズムを聴いていて、心落ち着く時があるので
今でも、時々聴いては安らぎ・癒され、
パワーをもらっています。

あいにく、「大村憲司トリビュート・コンサート」の
チケットは完売してて行く事は夢となりました。
今回、テレビでそのコンサートと放映する事で
大村憲司さんを感じる事が出来ればと楽しみにしています。
(TERU)

        

はじめまして。
私が大村さんを知ったのは18年ぐらい前だと思います。
大江千里さんFANの私はアレンジャーとして
大村さんを知りました。
最近お亡くなりになったことを知って
すごく残念で・・・。
実はこの糸井さんのHP見るまで
大村さんのお顔を存じませんでした。
ギターの音しか知らなかったんです。
ずいぶん若くしてお亡くなりになってしまわれたのですね…。
特集番組、じっくり拝見させていただきます。楽しみです!
動いてる大村さんが見られるのかなぁ?
ドキドキしてきました・・・。
(りさ)

        

読んでいたらどうしても書きたくなったので、お便りします。
私も青山劇場にいました。
自分では聴きにいかないような方もたくさんいて、
大村さんってすごいんだと
改めて実感させられたコンサートでした。

私が大村さんの死を知ったのは、
矢野さんのコンサートにいったとき、
(さとがえるだったと思います)
MCで大村さんが亡くなったと話されて、
私はショックで固まってしまいました。
信じられませんでしたが、確かめなくてはと思い、
インターネットで調べると・・・事実だった。
ギターを分からない私でも
大村さんの音だけは聞き分けられました。
大好きだったのに。

一番印象にあるのは、PIT INNで
矢野さんと大村さんのお二人のLIVEです。
とても近い所で、あのギターを聞けたのは
私の密かな自慢でした。
そのとき、矢野さんと一緒にギターを演奏されて、
おお! いいもん見れたぞぉ。
と、今もときどき思い出して楽しく、幸せな思い出です。
(原田)

        

こんにちは。
大村憲司さんの特集読みました。

昨年の「KENJI SHOKCK」に行けなかったので
BSの放送をずっと楽しみにしていました。
ネットで大村さんのことなど色々見てました。
そんな中こちらでも特集があり、作り手の方、
関わった方のお話が聞けて
大村さんのことを少しでも知ることができうれしいです。

私はYMOと矢野顕子さんを通じて大村さんを知りました。
コンサートで初めて聴いたときからギターのことは
よく知らないけど
この人はすごい!とやっぱり思いました。

BS放送と神戸でのコンサート、楽しみにしています。

「ほぼ日」を見ていてよかったなぁとつくづく思って
言葉にはうまく表現できないいけれどメールしました。
(渋谷シホコ)

        

ゆみです。
亡くなられたんですね。
しらなかったなあ。

そのくらい音楽とか、自分の好きだった物から
離れたところで生きていたんだなあと実感。
実際、忘れかけていたことがなんてたくさんあったんだろう。

大村憲司さんは「春がいっぱい」聞いてましたよ。
ユキヒロさんプロデュースかあ。
YMO聞いてたから、もう大村さんと言えば
「ファミリー」とかそんな感じでしたけど。
当時、私もちょっとだけギター弾いてたから
コピーしたりしてね。しました。下手だったけどね〜。

物凄く好きだったなんて言うのは大うそなので
感慨っていうか、YMO散開(解散じゃ無いのよ)した時の
ああ、終わるんだなあっていうか
変わるんだなあっていうか
そんなふうな、寂しさくらいの感じなんだけれど。
自分が本当にいろいろと感じていた
吸収していた、手当りしだいに欲しい物をガツガツと
なんでも食らえたような時代の
大事だった物の中のひとつが消えてしまうような
そんな感じです。

自分の年令を考えても
だんだんそういうことが多くなっていって
きっと自分自身もそんなふうに
消えてしまう時もだんだんと近付いて来ていて

なんだか、せつない。
せつなさって人間にとってとても大事な感情だと思うし
もちろん、ただ、せつなくなってるだけじゃ
だめなんだろうけど
そう思える自分がいるんだなあって、
感じられるんだなあって思って。
今回の連載も
読んでいて、気持ちがどんどん伝わって来て
本当にせつないです。
きっといい番組ができてるんでしょうね。

うち、実はBS無いんだけどね。
どうやって見ようかなあと、今考え中。
みなくちゃね。これはね。

YMOが散開してその後再結成して、
その時もいろいろと考えた。
その時私自身も、大きな変化があったから。
今回も、変化のなかで悶々としている時期で
自分に重ねて、いろいろと考えるきっかけに
なるような気がします。
今の事はやっぱりよくわからないのだけれど
とりあえず、自分の方向性くらいは
だんだん見えて来たようなきがするから。

中村哲さんのお話はちょっと、
「ずずん」となりました。
近い人の話って、やっぱりリアルで大事な人。
大切な人間。誰かにとって自分はそうなれるのかなあとか。
自分にとって本当にそう思える人って、いるのかなあとか。

自問自答。今考える時間があり過ぎる。
でもそういう時期なのかもしれないし。

家の裏の気象台では枝垂れ桜が満開。
ソメイヨシノもそろそろ咲き始めてます。
来週には満開か?近くの山に花見にいかなくちゃね。
でも私が大好きな雪やなぎの花が白いネコのしっぽみたいに
ゆらゆらと香りただよわせてゆれてるのが
一番嬉しいんですけどね。
たんぽぽも、ほとけのざも、ペンペン草も
道ばたに咲いてるし♪
春がいっぱい!
(ニカラグアゆみ)

        

この企画の最初から読んでいます。
すべて感動・感動で、全ての文章を
私の永久保存版にすることにしました。
私は憲司さんと同じ年に
ヤマハのライトミュージックコンテストに出場し、
全国大会のひとつ前の大会で落選したのですが、
ずっと憲司さんのファンで、よくライブに行っていました。
(花井孝一)

        

ついにチキンでライブあるとはうれしいです。
大村さんはやはりチキンが似合う人だと思います。
私が大村さんをチキンでよく見ていたせいか、
マッチでタバコに火をつけてネックに
タバコをひっかけてギターを引く姿がかっこよかったです。
(ATSUO NAKAGAWA)

        

初めて聞いたのはYMOでした。
でも、後から分かった事ですが、
いろんな所で実は聞いていたんですね。
ラジオ聞いてて、「おっ?」と思ったら、調べてみると
白井(良明)さんや、大村さんだったりして。
へー、こんな所でもやってるんだなーなんて思ったりして。
片寄ってるかも知れませんが、自分にとって心地良い音って
やっぱり変わんなくて何気に反応してしまいます。
大村さんのプレイを直接見たことは無かったのですが
やっぱり、何か、なんて言ったら良いのか分かりませんが
「おっ?」って反応しましたね。
意識して聞き出したのはやっぱりYMO以降ですから
それ以前の事とか後付けになっちゃいますが
すげープレイヤーなんだって事で、雑誌とか載ってると
必ずチェックしてました。
思い出(なのかな?)としては
YMOのワールドツアーの時のメイク。
キョーレツでした。
細野さんや教授ならば、なんとなく
納得させられてしまうものがありましたが、
幸宏さんと大村さんのメイク姿見た時には
ちょっと参りました。(夢に見たこともあります、マジで)
ドリフのコントとかで見てた重病患者ぽくて。
もちろん、演奏はとても気持ちよく聞けて
子供心(?)に「うわー」なんて感じました。
今回、『大村憲司を知ってるかい?』
を見ていると、ほんとに希有な
すばらしいプレイヤーだった
という事を改めて認識させられました。

余談ですが私が生まれて初めてローン(または月賦)
というものに手を染めたのはギターでした。
なぜか?
それは言うまでもないでしょう。
(芳)

        

糸井さん、スタッフのみなさん、永田さんこんにちは。
本多直之(男31歳)と申します。
98年の8月に高野寛さんのHPから飛んできて以来、
毎日拝見させてもらっていますが、
不義理にも初めてのメールです。
大村憲司さんのコーナー、
うれし、悲しく、襟を正すような気持ちで
読ませてもらっています。
僕が昨年のKENJI SHOCKを見た感想は、
当時、高野寛さん宛に書いたメールを読んでください。

>  KENJI SHOCK出演お疲れさまです。
> 16日の公演を見させていただきました。
> 高野さんの歌われた「FAR EAST MAN」の
> あたりでもうグッときていたのですが、
> 遊佐さんの2曲目で
> ポンタさんの鋭く打ち抜くドラミングと
> うれしそうな表情を見たときには憲司さんのことと、
> 今鳴っている音楽のすばらしさで涙が流れ落ちていました。
> 数え切れないほどLIVEに行きましたが、
> 泣いたのは初めてでした。
> ただ、ステージが進むにつれ、みなさんのすごさで、
> 憲司さんなき後も、日本の音楽界は
> さらなる進化をしていくのだろうと
> 心強い気持ちで楽しく、見させていただきました。
> でも、公演中ここで憲司さんが入ってきたら
> すごいよなぁと何度妄想してしまったことでしょう。
> (98年の幸宏さんのステージで
> 生の演奏を聴けたことは幸せです。)

あと、僕がお薦めする大村憲司はやっぱり
「春がいっぱい」です。
それでは、みなさんお体にきおつけて。失礼します。
PS.LIVEの後、憲司さんのご両親と見られるお二人が
知り合いの方に声をかけられて
うれしそうな笑顔をされていたのが印象的でした。
(本多直之)

        

〜私しか知らない(かもしれない)ンなワケないけど
大村憲司情報〜

私は、92年2月のCAMINOの再結成@大阪バナナホールで、
憲司さんの生演奏、しかもブルースを初めて聴きました。
それまでYMO関連や“春がいっぱい”でしか
聴いた事のなかった憲司さんの音楽に心底惚れ込んで、
それ以来関西で行われたライヴには必ず、
東京へもちょくちょく出かけるようになりました。

既に周知の事実ですが、憲司さんが如何に
“KENJI SHOCK”を自己のアルバムとして
思い入れ深く愛していたかを証明するエピソードがあるので
紹介させて下さい。

92年8月京都のRAGというライヴハウスで行われた
セッション(ライヴスケジュールを見ると“ポン太・
大村セッション”とありました)のMCで、
BETTER MAKE IT THROUGH TODAYを紹介する時に
憲司さんは、この様に語られていました。

“次の曲はE.クラプトンの曲で、
 僕の事実上のデビュー・アルバム
 KENJI SHOCK、L.A.で録音したのだけど…”

KENJI SHOCKがデビュー・アルバム?!、そんなワケない!と
単純な私は、ライヴ終了後に憲司さんにうかがいました。

私「憲司さんのデビュー・アルバムは、
  “FIRST STEP”でしょ、
  “KENJI SHOCK”は2ndじゃないですか。
  ご自分の作品なのに間違ってはダメじゃないですか」
憲司さん
 「いや、僕の中では“KENJI SHOCK”が
  初めて自分がやりたい事をやったアルバムで、
  “FIRST STEP”とは、比べ物にならない程の
  思い入れがあるんだよ。
  だから、僕のデビュー・アルバムは
  “KENJI SHOCK”なのだよ」

自分の作品について、理由もなく間違った事を
言うワケがないのに、私、そんな事も読めずに
こんな訊き方をして、このコトを思い出す度にヘコみます。
しかもこの当時、憲司さんのアルバムの中で
この“KENJI SHOCK”だけはどこを探しても手に入らず、
正直、この憲司さんのお話は、
憲司さんのダイ・ハード・ファンの私にとって
ジレンマ以外の何物でもありませんでした。
そこで、こんな事を言ってしまいました。

私「え〜っ、そんな大切なアルバム、
  私聴かなきゃだめじゃないですか!!
  でも、“KENJI SHOCK”だけは
  どこを探しても見付けられないんです。
  どこか、聴ける所ないですか?」
憲司さん
 「ん〜、じゃあ今度家にあるのをダビングしてあげる」

余程悲壮な顔をして聞いていたのでしょうね。
でも、こんな答えが返ってくるなんて
思いもしていませんでした。

その年の10月、青山純さんや富樫春夫さん等との
セッション“MATEO”で神戸チキン・ジョージに来た時に、
私は憲司さんから“KENJI SHOCK”のテープを受取りました。
これは、単なるファン・サービスの
一環なんかじゃないんです。
自身の強い思い入れがこもった自信作、
自らの軌跡を一人でも多くの人に聴かせたい、
という憲司さんの思いなのです。

憲司さんからテープを受取った数ヶ月後に、
幸せにもアルバムを見付けることができました。
もちろんその後も、このテープは憲司さんの
このアルバムに対する思いを感じる
ことができる私の宝物のうちの一つです。
(田畑 玲子)

        

YMOキッズ、OMIYAGEだった小学生のころ、
まだなにも楽器ができないとき、YMOなのにギターに憧れた。
鮎川誠と、大村憲司だった。
KENJI SHOCK、First Step、春がいっぱい、
GAIJIN HEAVEN、Guitar Work Shop、
全部好きになった。中学でギターを弾き出して、
古本屋でKENJI SHOCKの譜面を見つけて、練習してた。
80何年かごろ、宝島で竹下久美子と対談、
YMO以降のケンジがいて、嬉しかった。
22歳のときに奈良から東京に僕は出てきて、
あ・の、JIROKICHIで大村憲司を生まれて初めて、見た。
もう、もうもう、もう、かっこよくて。
PIT INNで25周年コンサート、
50周年は無理だろうから、そんなことを言ったと思う。
笑ってやって下さい、ジョージ・ベンソンの
「ブリージン」を演った。ユキヒロとの音楽殺人も、
とても踊れた。
自分の生活がクラッシュして、
しばらく音楽を聞けなくなった。
大村憲司に一輪のバラを・・・、
友達からもらったBOOMのMDに、そう入っていた。
知らないあいだに、ケンジは去ってた。
Charが、ケンジの葬式でストラトが立てかけてあった。
俺はムスタングだな。ギターマガジンで言ってた。泣いた。
今もLeft Handed WomanとKENJI SHOCKが弾ける。
(藤本 学)

        

大村憲司さんの特集記事、4日間読ませて頂きました。
20数年前に、六本木「PIT INN」で憲司さんの
「ユメドノ」を聴いた瞬間、心臓が止まったかと思うほどの
ショックを受け、まるで真空管のフィラメントのように、
心に響くものを感じてから、
ずっと憲司さんの音のファンです。

神戸から東京のトリビュートコンサートにも
行かせて頂きました。その時、息子さんの真司君の
ギターの音色にDNAを感じずにはいられませんでした。
これからの彼の活躍を大いに期待しております。

神戸でのトリビュートコンサートにも是非行かせて頂きます。
深夜のBS2の番組も大変楽しみにしております。
(神戸のファン)

2001-03-27-TUE

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