MONEY IS... Vol.00 ほぼ日刊イトイ新聞12周年記念企画
『お金のことを、あえて。』 糸井重里によるイントロダクション。
 
第2話 聖と俗とを合わせ持つ、お金。
「お金はどうでもいいですよ」って、 口ではいくらでも言えるんだけど、
ほんとにどうでもいいと思ってるわけじゃない。 多くの人がそうなんじゃないかなと思うんですね。
思えばぼくは、ずいぶんお金のことから 逃げまわってきましたけれども、 やっぱり、リアルなお金にたじろがない自分、 というものを確立させたかった。
それで、ほぼ日刊イトイ新聞の初期のころに、 『お金をちゃんと考えることから  逃げまわっていたぼくらへ』という本を、 当時ほぼ日に連載してくれてた邱永漢さんに お話を訊くかたちでつくったんです。 それは、これからはちゃんと お金と向き合うようにします、 という宣言みたいな本だったんです。
お金についてきちんと考えるということは、 ほんとうの自分を見つめることです。 自分の醜い面とか、 ぼんやりしているところとか、 ぜんぶと向き合うことです。 それはやっぱりかんたんじゃないし、 だからこそ、逃げまわってしまう。
お金って、つまり、 聖と俗とを一手に引き受けてるわけです。 神様なんかも同じかもしれませんね。
性に関することもそうかもしれない。
みんなが好きで好きでしょうがないっていうことと、 もう憎くて憎くてしょうがないってことの 両方を合わせ持つものなんだと思うんです。 すばらしくいいってことと、 すばらしくいけないものだという両義性。
もっと実感しやすいところで言いましょうか。 なにか、無駄遣いに近い買い物をしようとしたときに、 「自分へのご褒美」っていうことばを 自分につかって、自分を納得させたことがある人、 たぶん、けっこういるんじゃない?
「自分へのご褒美」っていうことばが出てくるのは、 どこかで「買っちゃいけないんじゃないか?」って 思っているからですよね。 そこにもう、わかりやすい両義性があるでしょう? そういうことってやっぱり考えるヒントになるんです。
お金から逃げまわってちゃよくないなと ようやく思い立ってから何年も経ちましたが、 たっぷり知識が蓄えられたかというと、 残念ながらそうではありません。 ただ、聖と俗とを合わせ持つお金というものについて、 10年くらい考えてきたから、10年分くらいは、 頭の中になにかのかたちで残っていると思うんです。
つづく
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2010-05-18-TUE
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN