映画『夢売るふたり』は‥‥  ややこしいから すばらしい。  糸井重里×西川美和監督    試写会からの帰り道‥‥ 「やっぱりあの監督はすごいな」と糸井重里。 文藝春秋から出版される単行本の企画で、 その監督、西川美和さんと3年ぶりの対談になりました。 映画の話題を軸にしながらも、 ふたりのやりとりは不定形に、あちこちへ‥‥。 この対談を「ほぼ日バージョン」でもお届けします。 映画と本と、合わせておたのしみください。 観れば観るほどややこしい。 ややこしいからおもしろい。 『夢売るふたり』は、すばらしいです。
 
第2回 阿部サダヲさん、松たか子さん。
糸井 映画の撮影時期って、いつ頃だったんですか?
西川 去年の8月末から10月くらいまでですね。
糸井 脚本の時点から考えたら、
まだ東日本大震災の余波があった時期ですよね。
西川 ありました。
糸井 そこはどうやって切り抜けたんですか?
西川 製作することは決まっていましたし、
キャストにも声をかけていました。
これからもういちど
本を書き直していくというタイミングで
地震が起きて‥‥。
やっぱり映画を作ること自体に疑問が湧きましたね。
そんなことして意味があるのかなって。
ものを作る人間すべてが
同じ問題にぶち当たったと思うんですけど、
製作者たちは続けると言っているし、
幸い撮影まで時間もありました。
糸井 時間はあった。
西川 それに、事態が落ち着いたとき、
やっぱり世の中に提供する映画が
あったほうがいいと思ったんです。
私にはやっぱり作ることしかできないし、
いつか普通の状態になったときに
「映画館に行けばおもしろい映画が観られる」
ようにしておきたかった。
そのためには、いまは書き続けるしかないと。
糸井 きつかったでしょうね、
ひとりで本を直しながらそういうことを考えるのは。
西川 無力感も当然あったし、
「震災を描く」ということに対して、
気がせく感じもちょっとありました。
ミュージシャンの方とかは
すぐに駆けつけて励ますこともできますけど。
糸井 映画ではできないですねぇ。
西川 これはもう、長い目で考えていくほうが
いいのかなぁと思って、
直接震災のことには触れることはしませんでした。
糸井 うん。
西川 ただ、物語はやっぱり震災の影響を受けてます。
映画のラストは大きく変わったんです。
糸井 はあー、そうだったんですか。
それは、どんなふうに?
西川 もともとのラストシーンは、
実際に新聞で読んだ記事が元になっていたんです。
地方から軽ワゴン車に乗って
出稼ぎにやってきた70代と60代の老夫婦がいて、
大晦日に明治神宮に屋台を出して、
近くの駐車場で車中泊をしてたそうなんです。
ところが、あまりにも寒かったので
焼き鳥の火の元である
ガスボンベにガスストーブをつないで
暖をとったらしく、
元旦の朝、一酸化炭素中毒で
亡くなっているのを発見されたという‥‥。
糸井 きつい話だね。
西川 きつい話です。
でも最後までふたりでずーっと働いて、
明日も頑張ろうねって言いながら死んでいった。
この死に方って悲惨なようだけど‥‥
糸井 前向き。
西川 じつは前向きなのかもしれない。
そういう終わり方も美しいかもしれないと思って、
『夢売るふたり』もそういうラストにしてたんです。
糸井 それはそれで、ちょっと観てみたかったです。
西川 そのラストもすごくいいなと思って、
脚本もそういう書き方をしてました。
たぶんそっちのラストのほうが
圧倒的にまとまっていて、美的だったと思います。
でもやっぱり、実際にあの震災が起きてしまうと、
「死にゆく物語」というのを
書く気力が失せてしまいました。
なんかこう、
きれいでなくてもいいから生きていく、
そんな話にしたいと思って。
糸井 なるほど。
ぼくは去年、
ちょうど震災の最中に製作されていた
『モテキ』の監督、
大根仁さんとお話をしたんですけど、
あのタイミングで、
ああいうタイプの映画を作っている人の
決意について、やっぱり大賛成だったんですね。
「よくやった」という思いがあった。
いま西川さんの話を聞いていても、
同じように作り手の覚悟を感じます。
西川 でも、こういう形で筆が重いと感じることは、
ほんとに経験したことがなかったので‥‥。
糸井 ズシンときた。
西川 そうですね。
糸井 西川さんはふつうの人が生きていく話を
いつも書いているじゃないですか。
それだけに、とくに響きますよね。
西川 ええ。
みんなが「つながろう!」と言っているときに、
結婚詐欺がどうこうとかって‥‥
自分のやろうとしてることが
色褪せて見えることもありましたね。
糸井 うーん‥‥。
震災後、みんながちょっとずつ
いやな変わり方した部分も
たくさんあると思うんです。
たとえば、賛成か反対か、善か悪かというふうに、
すべてを二分する癖がついちゃったでしょう。
「おまえはどっちなんだ」
という二分法が渦巻いていた。
ぼくはもともとそういうのが好きじゃないんです。
そんなときにこの映画では、
「あの夫婦は結局、愛し合っていたんですか?」
「それはいいことですか、悪いことですか?」
みたいな二分法で
片付けられない話を延々とやってくれてて、
いやあ、いいことをしてるなぁ、と(笑)。
西川 ありがとうございます(笑)。
私の映画の場合、
「どっちなの?」っていうのは
永久に聞かれ続けるんですよね。
やっぱり人は答えを出したがるんですかねえ?
糸井 出したがるんですかね。
西川 出したがるんですかねぇ。
糸井 つまり、自然のなかで鳥が鳴いているのを見て、
鳥を見る前に、
「何という鳥?」と言う人たち。
‥‥どうだっていいでしょう?
西川 そうですね、ほんとうに。
糸井 だからぼくは、そこのところ、
すべてを二分しようとするところに、
ずーっと小石を投げては、
波紋をつくって見えにくくするという、
いやな役をしてやれと思ってるんです。
西川 ああ、それは、
ご本を読ませていただいて感じました。
糸井 何の本だろう?
西川 『できることをしよう。』
すごくわかりました、今のお話が。
やっぱり震災を
大きな悲劇として捉えようとしてる
自分もいるんですけど、
一方で、あの本を読むと
いろんな選択肢があるというか、
なんかこう、
パンツのゴムが
ゆるんだような気がするっていうか(笑)。
糸井 ああ、その感想はものすごくうれしい(笑)。
西川さんがこの映画を撮っている頃に、
ぼくらはああいうことしてたわけで。
‥‥いやぁ、うれしいです。

(つづきます)

2012-09-06-THU

 

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