山あいの小さな村からひとりの医師が失踪した。
警察がやってきて捜査が始まるが、
驚いたことに村人は、
自分たちが唯一の医師として慕ってきたその男について
はっきりした素性を何ひとつ知らなかった。
やがて経歴はおろか出身地さえ曖昧なその医師、
伊野の不可解な行動が浮かび上がってくる‥‥。
遡ること2ヶ月。
東京の医大を卒業した相馬は、
研修医としてその村に赴任してきた。
コンビニひとつなく、住民の半分は高齢者という過疎の地。
そこで相馬は、伊野という腰の据わった勤務医と出会う。
日々の診察、薬の処方から
ボランティアの訪問健康診断まで。
村でただひとりの医者として、
彼はすべてを一手に引き受けていた。
診療所に住み込み、
急患が出れば真夜中でも飛んでくる伊野のことを、
村人は「神さま仏さま」よりも頼りにしている。
僻地の厳しい現実に最初は戸惑っていた相馬も、
村中から親しげに「先生」と呼びかけられる
伊野の献身的な働きぶりに共感を覚えるようになっていく。
ある日、かづ子というひとり暮らしの未亡人が倒れた。
彼女は、自分の体がもう大分良くないことに気づいている。
「先生、一緒に嘘、ついてくださいよ」
やがて伊野がかづ子の嘘を引き受けたとき、
伊野自身がひた隠しにしてきた
ある嘘も浮かび上がってくる。
ずっと言うことができずにいた一つの嘘が‥‥。