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第7回 『ピクミン』と『ピクミン2』の違い。
「2番と1番は、ちょと違う」
と歌ったのは大瀧詠一さんであるが、
『ピクミン』と『ピクミン2』は
ぜんぜん違うゲームであると僕は思っている。

パッと見、両者は絵としてよく似ているため、
そんなふうには感じられないと思う。
僕も始めるまえはそうだった。
なんだかいろいろ増えたんでしょ、くらいのつもりでいた。
けれども、ふたつのゲームは質として
ずいぶん異なるのである。

さて、その原因はというと、なんといっても
これまでの赤ピクミン、黄ピクミン、青ピクミンに加え、
紫ピクミンと白ピクミンという
新たな種族のピクミンが登場したことにある、のか?
いやいやいや、そうではない。
めっそうもない。とんでもござらん。
自分の出した質問に自分で答えて
自分で間違い自分で指摘するとはこれいかに。

そうではなくて、
ふたつのゲームを決定的に分けているもの、
それはプレイヤーが操作するふたり目のキャラクター、
すなわちルーイの存在にほかならないのである。
否。間違い。ブーーッ。永田くん、ハズレ。

不毛なひとり芝居をやめてさっさと書くとすると、
『ピクミン』と『ピクミン2』のもっとも大きな違いは、
「日数制限がないこと」であると僕は思う。

まだどちらのゲームもプレイしたことがない
という人のために説明すると、
『ピクミン』も『ピクミン2』も基本的な構造は同じで、
ようするにこのゲームは、
この世界のあちこちに散らばっているなにかを、
がんばって集めていくわけである。
ちなみに『ピクミン』ではロケットのパーツを集めた。
『ピクミン2』ではお宝を集めることになっている。

前作の『ピクミン』では、
それを30日以内に集め終わらなければならなかった。
(ゲームのなかの世界では時間が流れていて、
 20分くらいで1日が終わる)
ところが『ピクミン2』では、
この「日数制限」がないのだ。
つまり、どんだけ時間がかかっても、
とにかく目的のものを集めさえすればいいのだ。
この違いはひじょうに大きい。
首都圏近郊の若者風に書くと、すげーでけー。

たとえるならば前作の『ピクミン』は、
「半年間で売上1億円を達成せよ」
と命じられたサラリーマン金太郎のようなものであり、
対する『ピクミン2』は
「まあ、釣りしながらでいいから1億円稼いでよ」
とスーさんに言われたハマちゃんのようなものなのである。
む、こりゃなんかすっきりしないたとえであるし、
だいたい『釣りバカ日誌』は
そういうマンガじゃないじゃないか。

たとえ直すならば前作の『ピクミン』は、
「1年以内に放射能除去装置を取ってこい」
と義務づけられた宇宙戦艦ヤマトのようなものであり、
一方の『ピクミン2』は
「ひょうたん島はどこへ行く~
 ぼくらを乗せてどこへ行く~♪」と歌われた
『ひょっこりひょうたん島』のようなものなのである。
ていうか、こりゃぜんぜん的を射てないたとえだし、
だいたいオレは『ひょっこりひょうたん島』が
どういう話だか知らないじゃないか。

たとえ話はすっかりあきらめるけれども、
ようするに前作の『ピクミン』には
30日以内という制限があって、
『ピクミン2』にはその制限がない。

ゲームを始める前、取扱説明書をざっと読んだときに、
なんとなく僕はそれを知っていたのだけれど、
実際にそうだとは思っていなかった。
つまり、そうはいっても、
なにかの時間的制限があるのだろうと思っていた。
ところが、どうやらほんとうに制限はないようだ。
これは、けっこうな驚きである。

なぜというに、前作の『ピクミン』においては、
制限日数との戦いこそが
ゲームの根本的なエンジンであった。
30日という制限があるからこそ、プレイヤーは
いかに1日を効率よく費やすかということに心を砕いた。
最短ルートを模索し、ムダのない配置を突き詰め、
ひとりマルチタスクを極める貧弱なCPUと化して、
ひーひー言いながらオリマーを走り回らせた。
その苦労と引き替えになる達成感こそが、
前作『ピクミン』の醍醐味だったのだ。

その制限を取っ払ってしまったとしたら。

それはサビ抜きの江戸前寿司どころか
炭酸のないコーラのようになってしまうのではないか。
襲われる危険性のないサファリパークどころか
ワニのいないバナナワニ園のように
なってしまうのではないか。
僕はそんなふうに危惧していた。
ところが実際には、制限日数のない
『ピクミン2』に完全に没頭しているのである。

理由はいくつかある。

まずは、直面するひとつひとつの課題をこなすことが
とても充実しているということ。
つまり、ひとつひとつの「お宝」を集めるということ自体が
前作よりも格段にやりがいのあるものとして
プレイヤーに提示されているのだ。

考えてもみてほしいのだけれど、
『ピクミン2』は前作よりも
ピクミンの種類がふたつ増えた。
さらに、オリマー以外にルーイが加わり、
指揮系統をふたつに分けて作業することが可能となった。
プレイヤーが考えることは、これだけでも何倍かに増える。
極論、前作においては、個々の作業自体は難しくなかった。
それを急いで効率よくやらなければならないということが
プレイヤーの課題だったのだと思う。
ところが『ピクミン2』においては
ひとつひとつの「お宝」集めが
魅力的なパズルのようにある。
難しいし、頭を使うし、準備も必要になる。

紫ピクミンは1匹で10匹ぶんの力を持つ。
地中に埋もれた「お宝」を掘り出すのは
白ピクミンにしかできない。
電気を放つ敵には黄ピクミンを。
炎を吐く敵には赤ピクミンを。
乗ったピクミンの重さによって
シーソーのように上がり下がりする足場。
ピクミンを一時的にパワーアップさせる
スプレーの精製とその使いどころ。

それらをさまざまに考慮しながら
じっくりと「お宝」探しをたのしむとき、
効率を度外視できるのはとてもうれしい。
解法の見つからぬまま1日が中途半端に終わっても、
まったくそれを気にせず
つぎの日に進めるのはとてもうれしい。
やりがいある問題に直面したとき、
プレイヤーは好きなだけ、
その場所にとどまってうんうん悩むことができる。
それは前作にはなかったたのしみである。

前作の仕様のままで「制限時間」の枠だけを外していたら、
たぶんゲームはひどく張り合いのないものに
なってしまっただろうと思う。
しかし『ピクミン2』は、制限を外す一方で
ひとつひとつの課題そのものには困難を加えている。
しかも、難度を上げるのではなく、
多彩にするという方向で。
(実際、一匹一匹のモンスター自体は
 前作よりも弱くなっている印象がある)
そのブレンドが、『ピクミン2』独自の味である。
それは前作の味わいとはまったく異なる。

また、「制限日数」の撤廃は、
のんびりとあの綺麗な世界をたのしむという
純粋な喜びをプレイヤーにもたらす。
ある1日はピクミンを増やすことに没頭してもいいし、
ある1日はやっかいなモンスターを
倒す練習のためだけに費やしてもいい。
マップのあちこちには地下に続く洞窟があるが、
いつ、そこへ入ってもかまわない。
やりがいのある課題にいつ取り組むかは、
プレイヤーの自由なのだ。

つまり『ピクミン2』の世界は、
やりがいある遊具がランダムに散らばっている
広くて綺麗な公園のようなものなのである。
「のんびり」もできるし、「じっくり」も可能だ。

その自由度と、やりがいある課題の分散の具合は、
僕に、よくできたRPGの中盤を思い起こさせる。

たとえば初期の『ドラゴンクエスト』において
初めて船を手にいれたときの開放感。
行く手が広がったことに戸惑いながらも
孤島を訪れてイベントをこなし、
未知の領域をひとつひとつ埋めていくときの快感。
たとえば『ゼルダの伝説 時のオカリナ』において
ハイラル平原をあちこち探索するときの無軌道。
世界を救う大儀を忘れてエポナを駆り、
気になっているひとつひとつの謎を解いたり
思いがけずなにかを発見したりするときの喜び。
どちらのたのしさも、
制限時間と無縁であるからこそ生じるのだと僕は思う。

『ピクミン2』は、前作とは大きく違う。
つくり手の意図によって、はっきりとそのように
おおらかなものへ転じられている。

そして、これはとても個人的な理由になるけれども、
仕事のかたわらときどきプレイする立場からいうと、
『ピクミン2』の持つおおらかさは
いまの自分の環境にとてもフィットしている。
もしも前作の『ピクミン』のように、
「まず最適なやり方を見つけだし、
 見つかったらリセットして
 それを成功させるまで何度もプレイする」
という構造だったら、いまの僕がこんなに気軽に
ゲームに向かえるかどうか自信がない。

先日、取材でお話をうかがったとき、
宮本茂さんはゲームを取り巻く現状を
「ゲームをする人とゲームをしない人が
 分かれすぎている」と指摘した。
『ピクミン2』から「制限日数」がなくなったのは、
そういうことの現れなのだろうなと思う。

ああ、また呆れるほど長々と書いてしまった。
なんだか今日は一日中、
たとえ話をひねり出していたような気がします。

2004-07-13-TUE


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