ニュースのご近所。
あの出来事、近くで見るとこんな感じ。

第74回 イスラエルから、神宮球場から。


みなさん、こんにちは。
「ほぼ日」のメリー木村です。

個人の思い出に強く関わるメールを
メールのリズムのままに読みすすめていると、
こちらまで驚くほど動悸がはやくなったり、
その逆に、眠りから覚めた直後のような
自分の腹式呼吸を感じたり、ということがあるのです。
どのジャンルのメールを、読んでいても、そうです。

今日の「ニュースのご近所」では、そのような、
感情の絶対値の大きなメールを、2通だけお届けします。

「イスラエルでは、民間人も含めて、
 かつてない非常事態に備える体勢になっている」
というおたよりと、
「池山選手の引退試合」
というおたよりです。

何かが起きそうなところにいる人の呼吸の静かさと、
何かがひとくぎりしたところにいた人の
興奮した息づかいと、両方を、お伝えしたいと思います。







・いつも楽しく拝読させていただいています。
 イスラエルからです。
 イラク攻撃がいよいよ、
 という雰囲気が感じられる今日この頃です。

 イスラエルでは、すべての建物に
 シェルターを取りつけることが義務付けられています。

 ホテルも満室の状態に対しての
 従業員数も含めた人たち
 全員が入れるだけのシェルターがあります。

 田舎のほうではこのシェルターを
 普段公民館代わりや、卓球台を置いて
 レクリエーションの場などに使用していますが、
 街のシェルターは開かずの間みたいなものが多いです。

 2週間程前、ニュースでテルアビブ方面では
 各シェルターの掃除が行われ、
 緊急に備えた準備をしているということが
 報道されましたが、
 ここ2〜3日、とうとうエルサレムの我がアパートも
 シェルターの掃除が行われ
 “その日”近しという感じになりました。
 日本大使館からも
 住所や連絡先の確認の電話がありましたし……。

 そんな折、きょう友達からの連絡で、
 ご主人に予備軍召集の手紙が来たという話を聞きました。
 イスラエルは18歳になると男女とも義務兵につき、
 その後は予備軍といって
 1年に1〜2回召集がかかり、
 これが男性だと、その部隊によっても違いますが
 だいたい45歳ぐらいまで呼び出しがあります。
 
 「その召集の手紙には11月30日までは
  連絡先をはっきりさせておくこと」
 あと、
 「パスワードが書かれ、テレビや電話などで
  このパスワードが伝えられたら
  すぐ所定の場所に出動するように」
 ということも書かれていたそうです。

 これはいつもの召集の手紙でなく、やはり
 “その日”に備えての連絡事項で
 「う〜ん」という感じになりました。
 我が家も一応それなりの準備をしたほうが
 いいのかと思案しています。

 ミネラルウィーターや非常食の用意、そしてガスマスク。
 このガスマスクは使用期限があり、
 何年かごとに無料で交換します。
 うちは5年前に交換したきりで、
 その間子供も増えたので、
 その子のマスクももらわなければなりません。

 今、夫は仕事の関係でパリにいますが、
 湾岸戦争が始まったときもパリにいました。
 こうして書いていると自分のまわりの状況全てが
 “その日”のために整ったという感じです。

 また再び「ニュースのご近所」に
 この関連でメールを書かなくてもいいことを
 願っています。
 ([きょう]さんのメール……10月18日到着)



・10/17はヤクルトの
 池山選手の引退試合がありました。
 私がヤクルトファンになったきっかけは、
 ただただ夜の神宮球場でビールを飲んで大声を出す、
 その開放感と優勝から遠ざかって久しい
 弱小チームが勝つ事の喜びを覚え、
 団結し、ひとつになって、
 とても楽しそうにめきめきと強くなって行く・・・
 そんな姿を目の当たりにしてしまったからでした。
 そんなどのシーンにも池山選手の姿がありました。

 私がヤクルトのファンになった最初の年、
 ヤクルトは優勝から遠ざかって久しい、弱小チームで、
 その年はリーグ4位に終わりました。
 でも暑い時期、夜風に吹かれたり
 熱帯夜のねとねとした暑さの中に
 何度も球場に足を運びビールに喉を鳴らし、
 ほろ酔いでメガホン振りながら応援していた
 若いチームはなんだかとても光っていて楽しそうで・・・
 また来年も応援しようっと思いました。

 それからずっと応援して、リーグ優勝も日本一も、
 プレッシャーのかかる試合も
 ダラダラしまりのない「隅1」
 (すみいち=初回に1点入ったきり
  なかなか相手も見方も点が取れない)試合も、
 両チームが二桁得点になった乱打戦も、
 雨の日の試合も、それから
 初夏のマリンスタジアムをホームにして催す試合も・・・
 そのひとつひとつの試合に池山選手の姿がダブリます。

 ホームランか空振りか、そんな潔さや
 練習中に見せるいたずらっこの姿に、
 親近感を覚え魅せられていたのだと思います。
 今月初め引退発表を聞いた時、
 なんだか同期入社で遊び仲間のひとりでもあった友人に
 突然「会社を辞めて田舎に帰ることにした」と
 言われたような、そんな自分の中の
 ひとつの時代の終わりを告げられた寂しさ、
 空虚さを感じました。

 なので今夜はどうしても「お疲れ様」を言いたくて
 神宮に足を運びました。
 引退発表の会見の時、その後のテレビ出演、
 「こんなに泣く人だったか」
 と思うほど涙を流していた池山選手の姿に
 なんだかつられて泣いてしまいました。

 たくさんのものと戦って来たんだろうなって思います。
 自分の体力、ケガ。それに若手も育って来て
 自分のポジションを脅かすでしょう。
 でも彼は若い人を
 とてもかわいがっていたとも聞いています。
 精神的にもとてもキツかったのではないでしょうか。

 それから引退を決めたことを
 仲の良かった広沢選手に
 なかなか報告できなかったと聞いて
 またウルウルしてしまいました。

 ある程度生きてきて、
 「どうにもならないことなんだ」
 っていう言い訳で片付ける問題が
 自分にも多くなって来ました。
 気が付けば「仕方ないことなんだ」って言っている。

 でもそれは自分が
 「あきらめた方がいいだろうと判断した事」
 なんだなって、テレビの中、何度も目頭を押さえる彼と
 いっしょに泣きながら、なんだかそう思いました。
 背番号1番の先輩であり監督である若松さんは
 現役を42歳まで続けられたそうで、池山選手にも
 「1日でも長くユニフォームを着続けるように」
 と言葉をかけられていたそうです。

 でも彼は引退することを選んだ・・・。
 でも引退を選べば楽になるかといえば
 断ち難い想いがまだまだ彼の心にあるのだと思います。
 ただ彼をとりかこむ状況の全てが
 彼を引退の方角に向かせたのだと思います。

 今日は池山選手の引退を惜しむファンで
 球場はいっぱいでした。
 そのネクストバッターズサークルで、
 そのバッターボックスで、
 ショート、サード、ファーストのポジションで
 メガネもコンタクトも忘れて全てがぼやけ
 背番号すら読めなかったけれど
 長年見続けて来た仕草でアナタとわかりました。

 池山選手、お疲れさまでした。
 今日は私の青春のシンボルのひとつが
 グラウンドから消えた日。
 そして明日から新しい時代が始まる、そんな日でした。
 ([甘党]さん……10月17日深夜に到着)






このふたつのメールを読んで、
みなさんは、どう思われましたか?

ものごとのはじまりとおわり、
制御できないできごととどう向きあうか。

どちらのメールも、なぜか
似たテーマに思えてしまいました。

今回は、すこしいつもと違う「ニュースのご近所」でした。
また次回にお会いできれば、うれしいです。


さまざまな、日本国内や海外からの
ニュースのご近所のおたよりは、
件名を「ご近所ばなし」として、
postman@1101.comまで、ぜひどうぞ。

2002-10-20-SUN

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