ニュースのご近所。
あの出来事、近くで見るとこんな感じ。

第62回 原発のご近所への反響。


みなさん、こんにちは。

昨日の原発技能者のかたに、おなじく
技術畑にいるひとからメールが届いています。
まずはそちらを、ご紹介いたしましょう。







・9月30日のニュースのご近所の、
 原発調査点検技能者の方へ。
 今からでも遅くありません。
 線量計を付けて、作業をして下さい。お願いします。
 
 同じ技術者として、
 あなたの立場には心から同情申し上げます。
 ただ、理系の教育を受けた人間の端くれとして、
 あなたの書かれている事は、
 違っているのではないか、と思います。
 でも、それをきちんと言うには、
 自分の頭を整理する時間が必要です。
 しかし、そうしている間にも、
 あなたは多くの放射線を被爆してしまう事でしょう。

 ですので、
 先にこのことだけをメールします。
 今すぐ、線量計を付けて作業して下さい。
 自分の身は自分で守るしかないのです。

 技能者の方々が線量オーバーになると、
 調査がストップしてしまうのですよね。
 でも、そうなって困る、
 あなたの会社や電力会社の偉い方々、
 マスコミは、あなたを守ってくれないと思うのです。
 あなたがたくさん被爆して、
 もし健康を損ねてしまったなら、
 それで不幸になるのは、
 あなたの家族や身の回りの大切な人たちであって、
 上に書いたような人間じゃ、
 ないのではないでしょうか。

 何年か前に、
 東海村で臨界事故が起こってしまいましたよね。
 その事故で、作業をしていた方は
 不幸にも亡くなってしまわれました。
 でも、あの会社にそういう作業を
 強いてしまった状況は、何も変わってない、
 と思いました。
 それで、結局、危ない目に遭うのは
 現場の人間であるんですよね。

 だからこそ、
 現場の人間としては、
 自分の身は自分で守らないといけない。
 私も最近まで放射性同位元素を用いて
 実験していましたし、
 放射能ではなくても、
 危ないものは使わないといけないですので、
 他人事とは思えないです。
 でも、そういう危険なものから
 身を守るための教育を、我々は受けていますよね。
 線量計を付けるのも、そのためのものだったハズです。
 そういう、受けた教育をもって、
 自分で自分の身を守らないといけない、ですよね。

 自分のためにも、自分の大切な人たちのためにも。
 (玉井)






技術者には、身を守るための教育も
受けているのだから、それを活用すべきだ、
という大事なメールでした。ありがとうございます。

さて・・・。
ここのところ、シリアスなメールがつづきました。
次は、すこしのんびりしたメールを、ご紹介しますね。
「宮沢賢治さんのご近所」だというメールを、どうぞ。







・ニュースといっても、かなり時代がかった古いもので、
 でもご近所のことではあるので、書いてみようと思います。
 私の祖母は東京の学校に入るために
 岩手の花巻を出てきて以来、
 96歳で亡くなるまでずっと東京にいたのですが
 (1898年生まれ)、その生まれてから女学校までの
 花巻時代が結構ニュースかなあと思います。
 祖母の花巻時代の一番の親友は、
 何とあの宮沢賢治さんの妹のとしさんでした。
 としさんがからだが弱かったことは
 本などに記されていると思いますが、
 丈夫だった祖母は歩いてかなりの道のりを
 学校に通っていたそうですが、
 としさんはいつも「お籠」で通学されていたそうです。
 でも、としさんは体は弱くても、頭はとても良くて、
 女学校でも負けず嫌いの祖母が
 どんなに頑張っても、結果は二番。
 いつも一番をとるのはとしさんだったそうです。
 家が「ご近所」だったもので、
 よくとしさんの家にも遊びに行ったそうです。
 そこにはとしさんの兄である、
 あの宮沢賢治さんがいらっしゃって、
 時には一緒におしゃべりに
 加わったりすることもあったそうです。

 何だか今思うと歴史の一部でもある気がして、
 祖母が元気なうちにもっと
 「どんな話をよくしていたのか」とか、
 詳しく聞いておけば良かったと思うばかりです。
 私が小さい頃から、祖母は自分の
 花巻時代の頃のことを良く話してくれ、
 その話には必ずと言っていいほど、
 「賢治さんが・・・」
 「そういう時にはいつも賢治さんがね・・」
 なんていう言葉が出てきていたことは
 良く覚えています。
 今は忘れてしまっているけれども、
 宮沢賢治さんのおもしろいエピソードなんかも
 きっとたくさん聞いていたに
 違いないのだろうなあと思います。
 花巻には一度しか行ったことのない私ですが、
 そのうちゆっくりと祖母の歴史をたどる旅を
 家族と一緒に、してみたいなあと思っています。
 (浩子)






90代で亡くなったおばあちゃん。
なんか、読んでいるとホッとするようなメールでした。

では次も、
「なごむなぁ」というメールを紹介していきます。
最近のこのコーナーで扱っていた
「漢字プリントTシャツ」や「バスメール」
「飛行機もの」などにむけていただいている
乗りもの系メールを、まとめてお届けしますね!







・カナダに住んでかれこれ5年。
 友達も増えてきました。
 先日、トヨタのでっかい車に乗ってるケビンくんが、
 「おれの車に、日本語で
  『トヨタ自動車』ってかいてくれない?」

 とお願いしてきました。
 他の友達(みんなカナダの人です)と協議の結果、
 「本田技研工業」と車にエアブラシやらを使って
 かっこよく書いてあげました。
 ケビンくんはまだ気がついてないようです。
 トロントの近郊で「本田技研工業」と書いてある
 でかい黒い車を見たら、
 「ケビン、車かっこいいじゃん」
 って言ってあげてくださいね。
 (なつこ)



・バスの話、まだしてもいいでしょうか?
 先週、ベトナムに行って来たのですが、
 あそこのバスの運転手さんは、ものすごい技術です!
 ベトナムは「車線があれば良いほう」と
 いった感じの道路で、原付と自転車が
 群れをなして疾走しています。

 都会には、信号と横断歩道がありますが、
 それも数は少ないです。
 田舎へ行くと、平気で牛と鶏が道路を歩いています。
 時々牛が横断したりします。
 原付には、バックミラーは付いていないのがほとんど。
 だから、原付と接近した時はクラクションでお知らせ。
 (もちろん自転車にも)
 原付が右左折する時は、「手信号」でお知らせ。
 そんな状況でも、バスはエンストすることもなく
 「隣の原付と何センチ?!」というスレスレを、
 普通に走っていました。
 バスで原付や前のトラックと近づくたびに
 「ひえーっ」と思うのですが、
 運転手さんは当たり前といった風情で、
 顔色も変えずに運転してました。
 ヨーロッパの「優しい運転手さん」もステキですが、
 ベトナムの野性味あふれる運転手さんも、
 ある意味とてもステキでしたよ。
 親切だったし。
 (yul.k)



・みなさんの「海外で出会う日本語」に触発されて、
 初めてお便りします。
 私はしばらく、ケニヤに滞在していました。
 そこは「日本のお古」が生活にとけ込んだ国でした。
 ケニヤは日本と同じ左側通行。
 そんなわけで、日本の中古車が大活躍しているんです。
 車のボディの「○○幼稚園」だとか
 「○○クリーニング」といった文字や店の電話番号が
 消されることもなく、そのままで走っています。
 「自動扉」の文字の残った、
 もう自動ではなくなった扉を押し開けて
 中に入ったら
 「禁煙」のプレートが目に飛び込んできたり。
 でも、それらの文字は
 日常に溶け込みすぎているのか、ケニヤ人の友人に
 「ねえねえ、これって幼稚園って書いてあるんだよ」
 と、うれしそうに話しても、
 「あ、そう」と、反応はイマイチでした。
 私は難民キャンプでボランティアをしていたのですが、
 そこには援助物資として、
 日本から古着が大量に入っています。
 「南中・松田」と書いたジャージを着た
 難民の子が「元気?」と話しかけてくると、
 「元気だよ、松田君」なんてつい答えたものです。

 「外道参上」という文字の入った
 Tシャツを着た難民の人に、
 「これってどういう意味?」
 と聞かれた時は、かなり苦笑しました。
 そう言えば、
 「アルゼンチンの地下鉄は、
  丸の内線のお古なんだ、
  初めて見たときはビックリしたよ」
 なんて、誰かが言っていたなあ……。
 (Tapir)



・機長さんのはなしで思い出しました。
 今年の8月のはなしです。
 私が羽田発伊丹行きの
 最終便の飛行機に乗る予定だった日、
 東京は昼過ぎからの豪雨と
 とてつもない雷にみまわれました。
 案の定、搭乗時間が30分おくれ、
 乗ってからもしばらくその場で足留め状態。
 そのとき機長さんがアナウンスで、
 「現在離陸の順番を待っている状態でございます。
  管制官からの情報では
  当機は38番目とのことでございます」
 といいました。
 ほんとに飛べるのかしらと、
 ふっと気が遠くなりかけてたら、
 引き続きアナウンスで、
 「皆様御存じのとおり、伊丹空港は
  利用時間を過ぎますと着陸できません。
  その旨重々承知しております。
  こちらからはその点を管制官に
  つ・よ・く要請しておりますので、
  みなさまもうしばらくお待ちください」
 といいました。
 「がんばれ機長さん!」
 皆こころで叫んだにちがいありません。
 10分後
 「ただいま10番目までくりあがっております」
 また10分ほどして
 「まもなく離陸いたします」
 その繰り上がりぶりにびっくり、
 感動すらおぼえました。
 いったい、機長さんはどれほど強く要請したのか、
 どんなやり取りがあったのかが気になるところです。

 (じゅんこ)






ベトナムのバスが、とくにワイルドでかっこいい!!
カナダのクルマの「ホンダ」は、
「会ってみたいなぁ」と思って読んでいましたよ。
今回は、のんびりしたメールを紹介いたしました。

では、次回のこのコーナーで、またお会いしましょう!!


さまざまな、日本国内や海外からの
ニュースのご近所のおたよりは、
件名を「ご近所ばなし」として、
postman@1101.comまで、どうぞーー!!

2002-09-30-MON

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