ニュースのご近所。
あの出来事、近くで見るとこんな感じ。

第52回 とても「アメリカ」なメールより。


事件の渦中にいる人は、
事件を何かと関連づけたり、
何かの導火線とみたり、警鐘を鳴らしたりするよりは、
もう、事件と自分との関係を渦まく出来事そのものの中に、
どっぷりと、漬かってしまうものなのかもしれません。

……ということを、最近の「ニュースのご近所」に
寄せられるメールを拝読していると、感じます。

今日はそんな、ある出来事に関して、
比較的「渦中」にいる人たちのメールをご紹介しましょう。







・北の国からについて,一道民からひとこと。
 北の国からで富良野が注目されるようになって,
 もちろん喜んでいる人も多いのですが,
 逆に大変な思いをする羽目になった人も結構多いのです。
 例えば,富良野のまちで家を建てたり
 改装しようとすると,
 「イメージが壊れる」ということで
 色々クレームが来たり,外観について
 ドラマ関係者から注文を出されるということがありました。

 また,知り合いがやっている美瑛の農家では,
 観光客がふえたせいで,なんと
  勝手にトイレを使われることが多く,
 (きっとまわりが畑ばっかりでトイレに困った)
 大変不快な思いをしています。


 富良野が有名になったことで得た
 観光収入などは莫大なものがあると思いますが,
 イメージを守るため,あるいは
 観光客を受け入れるために払った代償も大きいようです。

 かくいう私も「北の国から」というドラマを
 愛してやまない一人なのですが,物事には
 いろいろな側面があるのだということも感じています。
 (saisai)






こちらは、実際に
北の国に住んでいる人にとっての「北の国から」でした。

9・11の時期のアメリカに
実際に暮らしていた人の言葉は、いかに
「どこかで聞いたことがあるもの」
であったとしても、渦中の人の実感であることには、
かわりがないのだろうなぁと思うところがあります。

そこで、9・11当日にはご紹介しなかった
いくつかのメールを、お届けしようと考えました。
どれも、とても「アメリカっぽい」ものですが、
そこで過ごしている人の実感は、こういうものなんだなぁ、
ということの一端を、知ることができるように思います。

では、どうぞお読みくださいませ。







・9月11日。あれから1年たちました。
 今日はなんだか複雑な気持ちです。
 事件当日は、私も、通勤途中で
 WTCのほんの3ブロック先にいました。

 その直後から約1週間の間の記憶は、
 今、ほとんどありません。
 今日は早朝から
 「グラウンドゼロ」で式典が行われているのですが、
 私の勤めている会社もNY証券取引所のすぐそばにあり、
 現在ダウンタウンにいます。
 
 TVで特集番組もたくさんやっていましたが、
 なんとなく見る気になれず一人で色々と考えました。
 悲しい事件で尊い命を失われた方々のご冥福を、
 私も近くからお祈りしようと思います。
 (Giwo)



・アメリカ、テキサス州ダラスに住んでいます。
 私のアパートでは、9/11に愛国心を示すのに
 リボンなど配り、
 「Drive Thru Breakfast!」
 なんていうのがありました。
 アパートの出口にはテーブルが出され、
 赤・青・白の風船が飾られ、
 事務やメンテナンスの方が数人でサービスしていました。
 テーブルには、デニッシュ・パイ・
 マフィン・ケーキ・クッキー・・・
 甘いものばかりで、ほとんどお菓子の世界です。
 ジュース・水などの飲み物もありました。
 通勤の車の中からや、
 通学の生徒たちがもらっていました。
 私もどれがいいかな、と
 目移りしながら選びました。
 United We Stand と印刷された
 三色リボンも記念にもらいました。

 おそらく暗い頃から配っていたんでしょう
 (日の出は7時ごろです)
 9時には風船だけを残し、
 すっかり片付いていました。

 TVでは、ニュースをやるチャンネルでは
 9/11関連番組で、他は子供番組、
 ドラマ、宗教番組など、いつも通りです。
 遊歩道には、早朝からジョギングや
 散歩の人が行き交い、毎水曜日の芝刈りの人たちも、
 相変わらず大きな音とともに働いています。
 (やー)



・先日の9・11の関連した話です。
 特にニュースではないのですが、
 思い出した方がいいと思ったので書かせていただきます。

 私は今アメリカに留学していて、
 私の町の近くには大きい空軍基地があります。
 9月11日、私はアメリカ人の友達と
 お昼を食べていました。
 カフェのテレビには去年の
 WTC崩壊の映像が流れていました。私が
 「今日は何もなくて良かったね、
  去年はこの時期大変だったでしょう」
 と言うと、彼女は
 「もう9・11で騒ぐのは見たくない」と言いました。
 たぶん、見ると悲しいとか、騒ぎ過ぎだとか、
 感情が混ざってそんな発言が出たのでしょう。
 それからお互いの国民性のステレオタイプの話になり、
 いろいろな誤解について話していました。
 そこで、どう言う経緯かは忘れましたが、彼女に
 「でも、アメリカは日本に原爆をおとしたわ」
 と言われました。びっくりしました。
 そのときはそうだねーといって
 あんまりそれについて話しませんでした。

 9・11という、暴力を思い出させられる日に、
 原爆の話でした。
 私は自分の国が組織的暴力をふるい、
 またそれを受けたことに対して
 あまりモノを考えてなかったと気づきました。
 テロに関連して、思い出してもいいはずですが。
 とてもショックでした。
 自分の頭は平和ボケしていないと思っていましたが、
 しっかり、していました。
 あまりまとまってないのですが、
 揺り動かされたので、そのままお送りします。
 (アヒル)
 


・11日のNYでのお話、興味深く読ませて頂きました。
 私はアメリカ本土の真中辺り、
 Missouri州在住です。
 NYの、シンプルな
 胸のピンバッチとは対称的に、こちらでは、
 道行く人、ほとんどが星条旗に因んだ服を来ていました。
 NYから遠いからこそ、逆にそうやって
 みんな追悼の気持ちを表していたのでしょうか。
 子供の通うPre−schoolでも、夫の勤務先でも、
 「9月11日は”赤・青・白”の服を着てきましょう」
 という通達が、事前にありました。
 夫は青と白に、赤が少しだけ入ったストライプのシャツ、
 子供は星条旗をくわえた犬の絵のついた
 赤のTシャツを着ました。
 私も一応、紺色の服を着ていました。
 Pre−schoolでは、
 趣向をこらした星条旗関連の服を着た子供達であふれ、
 とても可愛いらしかったです。
 夫の会社でも従業員約2000人が、
 それぞれ選んだ服を着ていたそうです。
 6月のFlag Day
 (この日も星条旗に因んだ服を着る)ですら、
 ここまで3色の服が町中にあふれることはない、
 と思いました。
 (Riyu)






とても「アメリカ的」なメールを紹介いたしました。
また、9・11と言うと、阪神大震災を思い出すかたが、
かなりいらっしゃるようです。
その方々も、ある意味、渦中の人たちですので、
今日の特集のいちばん最後に、ご紹介いたしましょう。







・ニューヨークでの9.11の話しを読んで、
 神戸のことを思い出しました。
 主人は消防士です。
 2〜3年前、視察のため神戸に出張がありました。
 被害がひどっかた地区に出かけて、
 地元の消防関係者から話しをきくのですが、
 一般的な説明だけで当時のことを
 詳しく話してはもらえなっかたそうです。
 (つっこんで話しを聞きづらい感じがしたそうです)
 勤務時間を終え、タクシーに乗ったとき運転手の人に、
 「当時は大変だったでしょう?」と話しかけると
 やはりあまり話したがらない様子だったそうです。
 帰ってきた主人は、
 「視察なんて、
  相手にとっては迷惑なのかもしれない」

 と言いました。仕事のうえでは、
 あの時の経験は話してもらいたいことなのだけど、
 当事者にとってはまだ、
 過去にはなっていないようでした。
 (ゆうゆう)



・テロから1年ということで、
 貿易センタービル崩壊の映像が、
 よく放送されていますが、あれを見ると、
 やはりあの地震を思い出します。
 まだ子供達が小さかったので、
 家族4人が同じ部屋で寝ていました。
 突然激しく揺れ出して、地震だとすぐわかりました。
 棚から食器が飛び出してきて割れる音。
 タンスの動く音。
 ただ事ではないと気付き亭主を見ると、
 上の子をかばって覆いかぶさっていました。
 下の子はまだ赤ん坊だったので、ぐっすり眠っています。
 私は「お母さんがいない!」と
 パニックになったのですが、
 まったく動くことができず、目でお母さんを探しました。
 どこを探してもお母さんがいません。
 揺れがおさまった時、
 「あっそうか、お母さんは私や」
 と、思い出しました。
亭主からは
 「あの地震でよく寝ていられるな」と非難されました。
 (ピンポコ)






神戸の消防士さんと話してみて、
どうしようもなく感じたものがあった、
という話が、特に印象的でした。

では、次回のこのコーナーで、お会いしましょう。


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2002-09-21-SAT

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