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第46回 孤児のような岡本太郎

中沢 岡本太郎さんが
フランスで勉強していた頃
戦争になっちゃうじゃないですか。
逃げ帰るようにして帰ってきて。
日本で抽象芸術を始めたわけですよ。
……そしてぼろくそ言われつづけた。
糸井 誰も理解しない。
 
中沢 下手だとかいってね。
そうこうしているうちに、
東北に出会うわけです。
縄文に出会った。
マルセル・モースから
学んでいた民族学が、そのとき、
どおんと浮かびあがってきたわけです。
 
糸井 沖縄と東北と両方あるんですよね。
 
中沢 そして岡本太郎の
新しい制作がはじまっていく。
非合理的な部分と論理的な部分というのが
不思議に合体していて。
ああいうもんだったんじゃないでしょうか、
日本人の達人というのは。
 
タモリ そうですね。
 
糸井 やっぱり社会の都合に合わせて
生きていくっていうことを
みんながしているわけだけれど、
岡本太郎は両親からして、
あんなところに暮らしていたら
幼児にして自殺みたいな、
そのくらいひどいところに……。
 
中沢 ひどいですよね。
 
糸井 本当にひどいところにいた。
溺愛とほったらかしの
行ったり来たりの中で
暮らしているわけですから。
現実を良いところだと信じたら、
生きていけないんですよ。
 
中沢 うん。
 
糸井 だから、
もう一つの世界を持たない限りは、
岡本太郎という人は
生きていけなかったわけです。
フランスっていう
もう一つの世界から追いだされたら、
もう行き場はないわけですよ。
で、岡本太郎はできあがったと。
 
タモリ あの人は
折衷案とかないみたいですね。
 
糸井 ないですね。
 
中沢 一切。
 
タモリ それを思うと
日本に帰ってきた
記者会見があった時に、
出されたのが
クリームソーダだったらしいんですよ。
それでそれを飲みながら、
「これ二つはうまいのにね、
 なんで一緒にするのこれ」
って言ったらしいんですよ。

あぁ、
この人は折衷案ないんだと思ってね。
融合とか、きらいなんじゃないですか。
だから、かなり両方で揺れ動いていて……。
 
中沢 曖昧ってことはきらいなんですね。
 
タモリ 曖昧ってってことはきらいなんですね。
 
中沢 シャープにわけていくんだけど、
下のところで
なんかつながっちゃうみたいな。
 
糸井 建前はクールだったというし
強かった西欧人を演じているんですよね。
だけど根っこの根っこは
孤児のような日本人ですよね。
あの、ジョン・レノンの晩年の写真で、
ローリングストーンっていう
雑誌があったんだけれど、
オノヨーコに
胎児のようにしがみついている……
 
タモリ あぁ、ありますね。
 
糸井 あの有名な写真を、
岡本太郎っていうと、
いつも思いだすんですよ。
 
タモリ あぁ。
強力な幼児っていう感じがしますね。

(明日に、つづきます)
 
2006-02-03-FRI


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