(これまでの「はじめての中沢新一」連載はこちらです)




第42回 対称性人類学とは何か

(中沢新一さんの、イベントでの
 ひとり語りをおとどけしています)

そうしたところで、
「カイエ・ソバージュ」は
第五巻目に突入します。
これはその名も「対称性人類学」というもので、
四巻目までぼくを導いてくれた思考方法に
はじめて、
はっきりした名前をつけることができました。

本を書きあげる前、
つまりその講義をはじめる前、
あれはたしか夏休みだったと思いますが
イタリアのかなり変わった
精神医学者の本を読みました。

そこに
無意識の思考方法を
対称性思考方法として
描いていることに出会ったんです。

先ほども言いましたように、
人類の最初のジャンプ、
つまり人間が人間の心を持ち、
世界を情緒的に全体的に把握する能力を
その矛盾をそのままはらんだ
多方向的な思考方法というのは、
都市の発生以来、国家の発生以来、
内部に押しこめられていました。
無意識の中に押しこめられてしまいました。

そしてそのまわりを
意識が取り囲むようになり、
この意識は言葉が持っている
論理的な機能に
大きな影響を受けるようになったわけです。

無意識の中では
古代的な思考方法が今もはたらいています。
そして、無意識は矛盾を平気でおこします。
父はわたしであり、
わたしは父であるというようなことを
平気で無意識は思考するんです。

夢がそれを行いますし、
精神分析学者が明らかにしたのは
精神分裂病の患者さんと言われている人たちは、
この無意識の思考が
露骨に表に出てしまって、
この無意識の思考方法で
世界を捉えているから
現代世界のように意識が作っている世界とは、
うまく調合できないんだということです。

人間の思考方法というのは
コンピューター的な論理対立を
ビットのように組みあわせたりします。
論理的な思考能力と同時に全体的把握を行い、
それから象徴的に他の意味の領域を
まるごとつかんで直感的に把握できるものを
ふたつを組みあわせて
人間の心というのはできているんです。

これを
バイロジックというふうに名づけたわけですね。
二分心、二つに分かれた言葉、
ということもできるし、
バイロジック、
つまり複数のロジックということですけれども、
二つの複合ロジックで動いている、
こういう無意識と意識が
同時に作動しているものとして人間を捉えると、
今日の世界を作りあげている
経済組織、国家、社会構造のあり方、
言語のあり方、科学技術の位置、
こういうものを捉え、見る、
ものの見方を根底から
ひっくりかえすことができるんじゃないか、
と考えました。

対称性人類学という考え方を使って
そのスケッチを行いました。
スケッチと言っても
かなり大部の書物になりました。
それによってこの、
二年半かけて作った五巻本を通じて
人間についての科学というものの
土台をひっくり返してみたいと思いました。

しかしひっくり返してみたら、
それは仏教が智慧と呼んでいたものであり、
岡潔のような思想家が東洋の叡智と
呼ぼうとしていたものであったり、
神話思考と呼ぼうとしていたものであったり、
フロイトが
無意識と呼ぼうとしていたものであったり、
レヴィ=ストロースが
野生の思考と呼ぼうとしていたものを、
その発生のメカニズムを捉えて、
それを土台に据えながら
人間についての新しい科学を作りあげる、
ということなんですね。

そういう意味では、
別にぼくがはじめてのことではなく、
人間がずっとそのことについて
考え続けてきたことに
現代の世界で新しい形を与えたにすぎない、
という実感を持ちます。

つまりブッダと同じように
この対称性人類学、
カイエ・ソバージュという形で作った
対称性人類学はぼくが作ったわけじゃなくて、
それは人類が発生した瞬間に
その人類達が捉えていた
哲学、最古の思想、思考というものを
ぼくはこの21世紀の世界の中で
明瞭な形で取り出す努力をしてみたということです。

(明日に、つづきます)

2006-01-30-MON


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