(これまでの「はじめての中沢新一」連載はこちらです)




第34回 生と死がつながる

(中沢新一さんの、イベントでの
 ひとり語りをおとどけしています)

哲学というのは、
わたしたちが今知っている、
ヨーロッパの哲学という
形態だけではありません。

なぜわたしたちは地球上にいるのか、
わたしたちの生の意味はなんなのか、
そしてこれから人間はどこに行くか、
ということについて、
人間が考えること。

これが哲学であるとしたら、
この哲学のやり方には
多様性があるはずです。

ヨーロッパが発達させた
哲学の形態は
そのいちばんの基本の部分に
論理的な思考方法をセットして、
これを土台に組み立てる哲学を
発達させるようになりました。

それとはまったく違うやり方の
哲学というのがあります。
それは最古の哲学の「神話」である、
というのがレヴィ=ストロースの考え方です。

例えば「生と死」というものがあります。
わたしたちの人生は、
その「生と死」という矛盾に
突き動かされています。

今こうしている間にも、
ぼくは一歩一歩死に近づいていますし、
しかしその死があるからこそ
わたしは次の瞬間に生きていくことができる。

人間とは、矛盾に満ちた存在です。
しかし、人間の思考というのは
「生と死」というものを取りだすと
この二つを分離する働きを持ちます。
「生と死」は対立概念なんですね。

「生」があると「死」がある。

「生と死」というのは一体として
わたしたちの中で
突き動かされているのでありながら、
論理的な思考方法というのを
分離する傾向があるわけですね。

この傾向を異常発達させていくと
都市というのが作られていきます。
都市は、これはどこに作られたものも
そうですが、死に関わるもの、
それから自然の領域に関わるものを
自分たちの生活空間から
外へ排除しようとする傾向があります。

ですから、都市は広場を作り、
石畳を敷いて城壁を作り、
まわりの世界から
自然のプロセスや死の要素が
中へ入ってこないようにしています。
墓地は外へ作りますね。
そういう都市の構造の
おおもとになっているのは、
論理的な思考方法です。
つまり、「生と死」という現実を
論理的に二つに分離できる、
この論理的な能力ですね。

そういうものがあって、
そして「生と死」を対立させて、
「死」を排除するという
思考方法が出てくると
都市の構造が作られてくるようになります。

ところが、
神話はそういうふうには
考えないわけですね。

「生と死」は一体ではたらいています。
そして、「生」が動くと
必ずそこには、それを否定するような
「死」の原理がまた動き出し始めるわけです。
この全体性を、
全体性のままつかみだそうとすると、
西欧的な論理のやり方をすると
かならず矛盾に陥ってしまいます。
ところが、この矛盾を矛盾のまま
わたしたちの世界、
この自然な世界の有様を思考するとすると、
神話の形が作られていきます。
だから、神話というのは
人類の最古の哲学なのですね。

神話の中で使われている道具は
コンピュータで使っている論理と同じなんです。
対立概念を組みあわせて
複雑な思考を作りあげることは
ギリシャ的な哲学からはじまって
コンピュータに至るまで同じなのですが、
神話もそれを利用します。

しかも、神話は論理を利用しながら
そのひっくりかえしを行うんですね。
あるところまでくると、
神話はぐりっとツイストしてしまうんです。

これは「生」の領域をあらわしているものだ、
と思って安心して進んでいると、
神話はこれをぐりーっとひねりを入れて、
気がつくと自分が「死」の世界にいる、
という状態を作ってしまうんです。
「生」の中を歩いているなと思ったら、
ぐりっとひねりが加えられて、
「死」の領域へ入ってしまって、
つまり「生と死」が一つながりになってしまう。

こういう状態を
論理で作りだそうとするわけです。
論理をツイストさせると
「生と死」という分離していたものが
一つながりになってしまうような状態になります。

ちょうど、幾何学でいうと
メビウスの帯みたいに
一つにつながってしまうようなことが起こるのです。
こういうやり方を使って、
この世界にある有様を
論理的に思考させようとしていたのが
神話だということを
この第一巻の中で示そうとしました。

(明日に、つづきます)

2006-01-22-SUN


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