(これまでの「はじめての中沢新一」連載はこちらです)




第30回 芸術と宗教の源は

(中沢新一さんの、イベントでの
 ひとり語りをおとどけしています)

レヴィ=ストロースの考え方を使うと
ぼくがちいさい頃から抱えていた疑問は
次のようになります。

人類が今の人類になった時、
それがどういうプロセスで起こったかは
よくわからないけれども
人間の心というものが作りだされた。

そしてその人間の心というのは
右脳の中で発達した能力、すなわち
世界を全体的に直感的に把握していく
智慧の構造というものが
最初に私たちの脳の中で発達したに違いない。

ただし、
そして論理的な思考を行う能力、
分離したり組みあわせたりする能力が
いつ発生したのかというと……
それは人類の歴史のもっと前から
発達してきたのでは、と
考えることができるのではないか、
とぼくは考えました。

つまり、今いる私たちは
ホモサピエンス・サピエンスと
呼ばれていますけれども、
その前にいた旧人という人がいました。
これはネアンデルタールと
称されることもありますが、
このネアンデルタールという人達は
たいへん高い知性活動を行っているんですね。

例えば作っている石器なんていうのも
完全に完成形態にできあがっています。
のちのちにぼくらの先祖達は
このネアンデルタールが作っている
石器をまねして石器を作っているんですね。

それから
社会構造もきちんとできていたようです。
最初のお墓なんかも作っているという
説まであるくらいです。

ということは
彼らの世界には確実に言語が存在しています。
そしてこの石器を使った
みごとな狩猟も行っています。
狩猟ができるということは
あらかじめプランを立てて、
動物の足跡や糞の状態を見て、
動物の生態をある程度
予測しなければいけません。

そして足跡を追って行って
動物をしとめる狩猟が行われていました。
植物と動物の世界については
見事な分類体系があったはずです。
なぜならば、それがなければ
有用植物と毒性植物の見分けがつかないから。
ところが、旧人たちは
これを見事にやってのけていました。

旧人にはあって新人にないもの、
これは、ほとんどないんですね。
ところが新しい私たちの先祖である
新人にはあって
ネアンデルタールのような
旧人にはないものというのはあります。
それは芸術と象徴的な思考方法の
この二つのようなのです。
これは、どうやら
ネアンデルタールにはなかったらしい。

芸術をのこしていない。
それから宗教的な儀式を行った
痕跡がないんです。
新人だけがこれを
行うようになっているわけです。

そうすると、
レヴィ=ストロースの考え方というのを
もっと発展させなければならない、
というふうに、
ぼくは考えるようになりました。

それはこの言語のもとになっている
論理的な能力、この言語の構造というのは
今の人類より前の旧人達、
そのもっと前のホモエレクトスとか
だんだんだんだん猿に近づいてくる、
この人間にもおそらくあったものでしょう。

そしてこの言語の能力というのは
現実の世界と自分の言語の中で
描写している世界が
うまくフィットするように、
同じような構造に言葉が
適合するように発達させてきたはずだ、
と考えられます。

なぜならそうしないと
人間はほ乳類の中でも
かなり弱い存在ですから。
長い過酷な時代を勝ち抜いて行くために、
人間は言葉を使って
コミュニケーションをするようになりました。

(明日に、つづきます)

2006-01-18-WED


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