(これまでの「はじめての中沢新一」連載はこちらです)




第29回 「歴史」がはじまる瞬間

(中沢新一さんの、イベントでの
 ひとり語りをおとどけしています)

未開と呼ばれた人たちは
矛盾したやり方で
パラドックスを使って世界を考えています。

その思考方法を
「矛盾に満ちているからダメだ」
「間違った思考方法だ」
と否定して論理的に矛盾の無いような形で
世界のあり方を考えるようになったのが、
これがギリシャの発明ですね。

このギリシャの発明以来
西ヨーロッパの思考方法は
そちらに大きく
ドライブしてきます。
そして現実にこの世界に起こっている
矛盾に満ちたことを
そのまま捉える思考方法を
発展させるのではなくて、
そこからある部分を切り取り、
そしてそれを、矛盾のない論理のほうに
分離させて、これを組み合わせて
世界の有様を表現する方法を発達させた……。

それから
新しい「歴史」という考え方を
つくりだしました。
これは都市と国家の成立と関係しています。
都市と国家ができると歴史という考え方が
生まれてくるようになると考えるわけですね。
つまりある時点から人間の世界というのは
「歴史を持って
 どんどんどんどん
 展開を遂げていくようになる」
というふうに考えるんですね。

ところがそれ以前の世界は
歴史を持たないと考えられます。

つまりいつまでたっても、
時間のない世界の中で
同じような発達のない世界を
くりかえしていたと考えられている……。

しかしここで
思考方法の大きな転換を
行わなければならなかったわけです。
近代人は歴史ということに
ものすごく重要性を与えてきました。

そして都市と国家が始まって以来の
人間の思考方法の形は、
かたよっていたわけですね。

さきほどの言葉を使いますと、
歴史のない時代と呼ばれている
長い長い時間の中で
人間は右脳と左脳、つまり
全体直感する能力と
論理的な処理をする能力を
バランスを取れた形で発達させてきました。

これをある学者は
二分心と言いました。
二つに分ける心、ですね。
人間の心というのは
一つではなくて、二つのメカニズム、
二つのモジュールを組みあわせて
作動しているという考えです。
この考えは正しいと思いますね。

この考え方を使うと、
歴史のないと呼ばれた
数万年に渡る人類の世界、
歴史の世界の中では人間は
この二つの異なるメカニズムを
平等に組み合わせて
世界の有様を理解すようとする
思考方法を展開しようとしてきたわけです。

ところが都市と国家の成立と同時に
左脳のこの論理的な能力を分離したり、
力を結集したりするこの思考方法を
発達させてくるようになると
そこで歴史の思考方法というのが
起こってくるかもしれませんが、
人間の心の中にあった
数万年間バランスを保ち続けてきた状態が
こわれるわけです。

そしてその瞬間から
「歴史」がはじまるというふうに考える……。

こういうふうに
考えをひっくりかえしていくことは
できないかと
レヴィ=ストロースは考えたわけですね。
これは構造主義という名前で
呼ばれることになりましたが、
構造主義というのは
あまり新しい名前ではないと思います。

これはある意味でいうと歴史観を
ひっくりかえしていかなければいけないわけです。
そこが、第一歩の
偉大な前進だったとぼくは感じました。

(明日に、つづきます)

2006-01-17-TUE


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