(これまでの「はじめての中沢新一」連載はこちらです)




第25回 心の奥に注ぎこまれたもの

(中沢新一さんの、イベントでの
 ひとり語りをおとどけしています)

岡潔さんの考え方だと、
数学の理論にしても
物理の理論にしても
あらゆる思想がそうなんだけれども、
それは人間がつくりだす
創造的な思想が
生まれる部分というのは、
情緒的な直感の部分が最初にあって、
これが全体を
まずつかみだしているのだと
岡さんは言います。

そしてそれをのちのちに論理を使って
理屈をたてたり、方程式を作ったりして
学問を作るけれども、
おおもとにある部分というのは、
右脳的な全体把握をする部分で、
そういう
情緒的な能力と論理的な能力が
ちゃんと
バランスがとれてなくちゃいけない、
ということを強調していたのです。

それを
東洋的な叡智というような言葉で
表現したんですね。
子供の頃、そういうのを読むのが
すごい好きだったんです。

歴史学者だと
アーノルド・トインビーなんかも
これに非常に似た考え方を
使っていましたし、
それから南方熊楠なんていう人の
考え方もそうで、
大体西欧的な学問のやり方とか
思考方法に高い価値を置きません。

それどころかこれだと
人類は間違った方向に行ってしまうぞ
というすごい危機意識を持って
語っていました。
そういう人たちの言葉が、
ぼくには子供の頃、
心の奥底に
注ぎこまれた感じがするのです。
だからといってぼくは
ぜんぜんナショナリストでもないし、
右翼でもありません。

そうではなくて、
この今の世界を作っている
支配的な思考方法とは
違うものが確実に存在するはずで、
それは決して曖昧ででたらめなものではなく、
なにかもっとこの世界のことを
深いレベルでつかまえる
叡智、智慧と言ってもいいと思いますが、
そういう知性の働きがあるに
違いないと考えていました。

少し経って、
仏典を読むようになったんですね。
家はキリスト教だったんですけれども、
どうも仏教の方に深く惹かれていました。

イエス・キリストっていう人は
すごい好きだけど、
しかしキリスト教が
どうも性に合わなかったんです。
で、仏典をたくさん読むようになった。
その仏典の中に
おもしろいことが書いてあって、
お釈迦様自身が
言っていることがあるんです。

「お釈迦様の教えは
 たいへん、すぐれたものですね」
という質問を
弟子から受けるわけですけれど
お釈迦様はこう言うわけです。
これは私の教えではない、と。

私の前に、7人の悟ったものたちがいた。
で、この7人の悟ったものたちが
伝えてきた教えを
私はただこうして語っているだけだ、
という言い方をするんですね。
これが一体何を意味しているかということを
深く考えるようになったんです。

お釈迦様が生まれたところ、
というのはネパールです。
そこにいた人たちは、
インド人とは違う系統の人で
アジア人なんですね。

インドというのは
ガンジス川から南の世界というか
ヒマラヤよりとは違う方というか、
白人の
インドヨーロッパ系のアーリア人たちが
支配階級になっていました。

そして巨大なヒンドゥー文化というのを
作ったんですけれども、
お釈迦様が生まれたところは
ヒマラヤの麓のネパールの
ちいさな都市なんですね。
そこで自分の前に
7人の覚醒者がいたとされている。

7代という言い方をします。
古代人の7代という言い方は、
すごく昔ということだと思います。

お釈迦様の時代というのは
インドに国家ができたりして、
だんだんだんだん文明が発達してくる
過渡的な、飛躍的な時代ですが
それよりもずっと昔が
覚醒者がいた時代なのですね。

(明日に、つづきます)

2006-01-13-FRI


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