(これまでの「はじめての中沢新一」連載はこちらです)




  第10回 日本人の精神構造は

(中沢新一さんの、イベントでの
 ひとり語りをおとどけしています)
岬というのは
海岸線にずらっと並んでいます。
他界への通路です。入り口です。
向こうの世界への通路が広がってくる場所。

だから、岬には
たくさんの
宗教的な施設が作られたようです。
それから人が死ぬと、
好んでこの岬や川の突端部に
横穴を掘って、お墓を作っています。
横穴という考え方は、
おそらく古い洞窟の文化の考え方とも
関係していると思います。

洞窟は、
向こうの世界への通路です。
そこに
人間を埋葬する、
魂を向こうの世界へ送りだす、
という形をとっていたようですね。
ですから、東京の古い地形をさぐってみると、
江戸前の大きく突きでた半島や岬が
たくさんありました。
そこにはたくさんの
宗教的な聖地が並んでいました。
ところが、内陸部では、
基本的な構造が
なかなか改変されなかったのです。

江戸がこの土地にできても、
大きくは作りかえられませんでした。
江戸城は、
もともとそういう場所だったからですね。

江戸城は、
太田道灌が城を作ったときは、
まだ、お城の下まで海がよせている、
という場所だったようです。

そこにお城を作るということは
明らかにそこには
「パワーのある場所に、
 自分たちの拠点を作る」
という意図があったわけですね。

徳川家康がその前を埋めたてました。
神保町のあたりの山を切り崩して、
神田の土地を埋め立てて、
そして、銀座のあたり……
電通なんかがある地帯ですね、
あそこの広大な土地を作りました。

城というのは、何か
生きてる人間がいる世界とは違う、
異世界との接触点であるとの感覚が
ずっと保ち続けられていました。
そしてそれが、
江戸城が皇居になったあとも、
持続しているのだという気がしています。
実際、私たちは、皇居を中心として、
大きな楕円状をなしているということを
知っていますね。
そして皇居のまわりは
道路が取り囲んでいます。
そして、その道路のまわりを、
山手線が取り囲んでいますが、

この山手線が走るルートというのを
縄文地図で、よく見てください。
とりわけ、海側のあたりですね。
上野のあたりは、もうほんとうに、
ぴったりと重なりあうほどに、
縄文地形に合わせて、
鉄道が走っているということに
お気づきだと思います。

それくらい、
わたしたちが
住んでいる東京というのは、
古い歴史の底に
自分たちの根を下ろしているんですね。

地上にはこれほど
近代的な技術の粋を尽くした
建物が建てられ、
そしてそこでは、世界中に影響を
与えていくほどの経済活動が行われて、
秋葉原を中心とした電子産業が発達し、
そして東京のある部分というのは、
ポストモダン的で、
スピーディに、まるで過去のことなど
なんの関係もないかのように
進んでいるように思われます。

ところが、
東京はそうではない。

わたしたちが
一歩地面をながめてみたときに、
赤坂見附をちょっとくだるだけでも、
そこにはすでに
深い歴史の連続性への入り口が、
至る所に作られているということが
わかってきます。

その歴史性というのも、
100年200年なんて
甘いもんじゃないんですね。
1万数千年です。

このあたりに
縄文の人たちが住んでいたのは、
6千年くらい前の時代だったと思いますが、
そのくらいの時代まで、そして
そこの上に作られる精神活動というのは、
連続性をもって、くりひろげられています。
なんと複雑な精神構造を
持っているのでしょう、わたしたちは。

これは、
東京に住んでいる人間だけではなくて、
おそらくは、
日本人全体の意識の深層構造、
意識の奥の思考構造と
関係があると思います。

(明日に、つづきます)
 
2005-12-29-THU