(これまでの「はじめての中沢新一」連載はこちらです)




  第9回 魂を送りかえすこと

(中沢新一さんの、イベントでの
 ひとり語りをおとどけしています)
岬は、
東京の都市空間としての意味を
考えるときに、
すごく重要なんじゃないか。

そういうことが
だんだん、だんだん、見えてきました。

岬という言葉は、
古代語では重要です。
「サッ」という音が入っているからです。

「サッ」という音が入っているものは、
すべて霊力が強いんです。
さっちゃん、なんていう女の子がいますし、
ぼくは、そこにかなり強い霊力を感じます。

「幸(さち)」
という言葉がありますでしょう?

「サッ」という音と
「チ」っていう音は、
どちらも威力のあるっていう言葉ですから、
「幸」という言葉は、
古代語ではものすごい
パワーのあるキーワードです。

この岬の「サッ」という部分が
なぜパワースポットになったか、
というのを考えてみるとき、
ようやく、
縄文時代の東京の地形というものの
全体の意味が
見えてくるようになったわけです。

神社がたくさんならんでいたり、
お寺がいっぱいあったり、
テレビ塔が建ったり、
古い聖地だと思われていた場所は、
江戸前とのちのち呼ばれることになる
東京湾につきだした
突端部の岬だったところだということが、
はっきりと見えてきます。
そしてここに重要な聖地が作られています。

考古学でよく貝塚が発見されますよね。
大森の貝塚はとても有名ですけど、
貝塚というのも実はひとつの聖地なんです。
ふつうは、
縄文時代の人が食べた貝殻を
捨てた場所だと言われてますけども、
それはちょっと
違うんじゃないかと思います。

なぜかというと、
縄文時代の人々、
つまり新石器時代の人々は、
海や川や山から動物を穫ったとき、
きれいにお料理したりして食べます。

そして食べた殻を
ぜったいに安易なところに
捨てたりしませんでした。
魚を食べた場合は、
魚の骨をぜんぶ残して、
特に「骨を折らない」ということが
重要だったようです。

サケの骨を折ると
大変なことになったようですね。
だからサケの骨を
なるべく全形を残すようにして食べて、
そしてこの骨を
特別な水へ沈めました。

骨を水の世界へ
ていねいに返すことによって、
魚がもう一度、
人間の世界へもどってくる。
また体をつけて、
人間の世界にもどってくる。
そういうことを期待して
やっているのです。
貝殻についても
同じだったと思うんですね。

アイヌ民族は、
ヨマンテというお祭りをします。
イヨマンテ、とも呼ばれますね。
ヨマンテというのは、
送るという意味です。
魂を向こうの世界へ送りかえす。

送りかえすと、
人間が私たちを
丁寧に扱ってくれたよという報告が
向こうの神様の世界に入りますから、
「ああ、そうかそうか、
 じゃあ人間の世界には
 また食べものを贈ってやろう」
と神様は思って、
こちらに贈り物がくる
という考え方があったようです。

だから、貝塚というのも
そういう場所であったと
考えたほうがいいように思うんです。

(明日に、つづきます)
 
2005-12-28-WED