(これまでの「はじめての中沢新一」連載はこちらです)




  第5回 東京は縄文につながる

(中沢新一さんの、イベントでの
 ひとり語りをおとどけしています)
ある日のこと、
ぼくは何気なく
神田川のほとりを歩いていました。
これは『アースダイバー』に
書いたことですけれども、
そのときその住宅街のまわりに
ぽつんぽつんと
縄文遺跡が点在しているのに
気がついたんですね。

ふと気がついてみると、
この神田川の流域っていうのは、
両わきが縄文遺跡で
びっしりうめつくされていて、
井の頭公園までたどりついてます。

そして井の頭の奥のところは、
今は
ちょっと下から
水をくみだすことに
なっちゃいましたけども、
もともとは
湧き水になっていました。

この湧き水を中心として、
あそこに非常に大きな
縄文の村ができていました。

いまの
スタジオジブリのあるあたりは、
かなりいい村だったと思います。

あとはあの井の頭公園の背後の
動物園のあたりだと思いますが、
あそこは、東京の全域の中でも
たいへん重要な水源の地域で、
そこから神田川が、まあ昔は
神田川と言わなかったと思いますが、
流れ出していて、
もっと渓谷が深かった……。

それが東京をえぐって、
江戸前の海まで流れ出していくわけですね。
そのことに気がついたのです。

もう1本近くを流れているのが
善福寺川という川です。
この善福寺川のほとりを
歩いているうちに、
ぼくはなんどもなんども
不思議な気持ちになりました。
善福寺川のほとりを
歩いたことのある方は、
お気づきと思いますけども、
大きく湾曲しています。

湾曲している部分というのは、
東京の地形を考える上では、
とても重要なんですね。

川が湾曲して、
大きいつきだしが出ていたり、
あるいは、
岬のようなかたちで、
海の中へつきだしている部分、
というのがあります。

この部分が
すごく重要だというのは、
民俗学が教えてくれてましたけども、
東京の場合は、
そういうところに、
かならず、重要な神社や
お稲荷さんが作られています。

この善福寺川のあたりになると、
大きく湾曲した
ひとつの大きな聖地を
形成していたことが、
ありありとわかってきたんですね。

それ以来、
ぼくは東京の全域を
この発想によって、
東京の深層地理を
解読してみる試みを
はじめてみることにしました。
縄文時代の東京は、
かなり奥の方まで
水が入りこんでいて、
フィヨルド状の
地形を作っていたということは、
これは、考古学の方面でも
明らかになっていたことです。

水につかっていたところは、
沖積地という地帯です。

長いこと岩盤が高くて、
陸地になっていた部分というのは、
洪積世というのを作っています。

このことが
東京の非常に複雑な地形を
作っていたというのが
縄文時代の研究でわかっています。

この縄文時代の地形というのは
現代の生活になんか
およそ連続性がないし
つながりなんかないと
思われているんですが、
東京ではそうではない、
というのが
わかってきたんですね。

他の都市では、
こういうことは
ほとんど起こりません。

ところが東京の場合は起こります。
縄文時代に作られたこの地形が、
今に至るまで、影響しているのです。
この都市に作られている
さまざまな建物の構造だとかいう
かなり深いレベルまで
地形が規定しているな、
ということが見えてきたんです。

(明日に、つづきます)
 
2005-12-24-SAT