NAGATA
怪録テレコマン!
hiromixの次に、
永田ソフトの時代が来るか来ないか?!

第49回 画家の門出

雑誌の仕事でイラストを描いてもらって、
何度も会ったりするうちに、
だんだん仕事以外の話もするようになった。
彼は美大を出たあとアルバイトをしながら絵を描いていた。
お世辞抜きで、才能のある人だと思っていた。

1年ほどまえに彼はアルバイトをやめて、
絵に専念し始めた。頻繁に外国へ行って絵を描き続けた。

とあるコンクールで入賞し、絵が流通し始めたと聞いた。
つまり、彼は、本当にきちんと画家になった。
すごいと思う。

ある日届いた招待状には、
美しいバラ色の建物が描かれており、
その下に大きく「蛯子真理央展」とあった。
要するに、彼の初めての個展が催される。

昼過ぎの銀座を僕は訪れた。
その画廊は3階にあった。
それほど大きな画廊ではないが、
銀座通りに面した一等地にあって、
彼の受ける順風を感じさせた。

彼は画廊の中央に姿勢よく立っていた。
礼儀正しすぎず、カジュアルすぎない、
清潔な白いシャツを彼は纏っていた。

彼は僕を見つけていつもより幾分ポジティブに挨拶し、
両手を広げてつぎのように言った。
テレコは回っていなかったけれど、
すごくいいフレーズだったのでよく覚えている。

「ちゃんと見せたことなかったですよね。
 これが、俺の絵です」

身内の判官贔屓を抜きにして、
というフレーズが無意味なことを承知で書くけれど、
身内の判官贔屓を抜きにして
絵はとても素晴らしかった。

僕は絵を評する知識を持ち合わせていないので
最低限の表現で書くとすると、
その絵はとても僕の好みだった。
僕は、来てよかったと思った。

僕は彼を銀座のコーヒーショップへ連れ出す。
ちょうど休憩したかったところだ、と彼は言った。

夏の陽射しが支配する往来を
行き交う人々は汗をかいている。
銀座の街も等しく暑い。
見下ろす窓際の席で、
丸いテーブルの上に僕はテレコを置く。
さも当たり前のようにテレコを置く。

彼はアイス・ラテを飲みかけて回るテレコに気づき、
「なんすか?」と聞く。
インタビューだよ、と僕は答える。
彼は少し笑うが大して気にとめない。

永田 すげえよかったよ。ホントに。
蛯子 あ、そうすか。ありがとうございます。
永田 どう? 個展。
蛯子 う〜ん、ずっと立ってると、考えますね。
画家は自分の絵を分析すべきじゃないと思うけど、
ああやってずらっと並べて、
4、5日見てると、いろいろ考えちゃうね。
永田 そう。ああやって並ぶとやっぱり違う?
蛯子 違うね。
永田 並ぶと、どう?
蛯子 並ぶとね……いいっすね(笑)。
永田 あははははは。
蛯子 自分で言うのもなんだけど(笑)。
アトリエの隅っこにごろごろ転がってるよりも。
並んでるとやっぱり決まりますよ。
自信過剰かもしんないけど(笑)。
永田 いやいや、そうじゃないと。
蛯子 並べた感じも、絵、一枚一枚も。
永田 いや、いいと思う。知り合いとかじゃなくて。
蛯子 うん(笑)。
狭い窓際の席で、周囲の雑音をものともせず、
僕らは深夜にのみ口にするような強い言葉を交わす。
初めての個展だし、テレコは回っているし、
照れくささは曖昧になる。
永田 あれだね。個展とかって案内が来ると、
本当にしっかり画家になった感じがするね。
蛯子 うん。でも、今回ちょっと思ったのは、
絵が売れるっていうことに関してですね。
いろいろと、考える。
永田 ああああ、それ、どういう感じ? 
画家の人って、俺も知り合いに何人かいるけど、
2種類いるよね?
売りたくないっていう人と。気にしない人と。
蛯子 売りたくないっていう人、いますね。
やっぱりね、その気持ちはわかるけど、
いまは、売らなきゃと思う。
永田 ふ〜ん。
蛯子 気に入った作品ほど、売らなきゃ。
まあ、人それぞれだけど。
芸術家はべつに売らなくてもいいと思うけど、
俺なんかは絵描きだから。
永田 うん。
蛯子 展覧会の前なんかは、
「これ売りたくないな」っていうのがあるんです。
ただ会期中に、買ってくれそうな人がいるときに、
いちばん気に入った絵を
買って欲しいと思うんですよ。
永田 あああ。
蛯子 それで、その作品と
二度と出会えなくなるかもしれなくても。
もちろん、今回出してる中で
気に入ってない作品なんてないんだけど、
やっぱりね、気に入ってる作品ほど
出て行ってほしいと思いますよ。
永田 ふううううん。
蛯子 今年の2月にあったコンクールで入賞して、
そのときに初めて絵が売れたんですよ。
その、知り合いとかじゃない人に。
永田 うんうん。
蛯子 そのときに、誰が買ったのかとか知らなくて。
あとで教えてもらったくらいで、
知らない間に売れてたんですよ。
・・・それで、
初日のオープニングパーティーのあと、
友だちと飲みに行って、朝、家に帰るときに、
「あの絵とこれから一生逢うことがない」って、
初めて気がついたんですよ。
永田 ・・・うん。
蛯子 それまでは、プロでやっていくなら、
自分の絵が売れるのは寂しいけど、
みんなそういうもんだろって
軽く思ってたんですよ。
でも、そのときにあらためて、
「ああ、もうあれとは逢えないんだ」って。
永田 どんな気持ち?
蛯子 ……10分くらい。深刻に。ジンと来ました(笑)。
永田 ふうううん。
蛯子 つーのはやっぱり、
細部のこまか〜いとこまで覚えてるし。
それ描いてるときの自分の心境っていうのも
はっきり覚えてる。
また見たいな、って思うじゃないですか。
でももう見れないのか、って。
永田 なるほどなあ。
蛯子 でもいまはもう、吹っ切って。
別れた彼女みたいなもんで(笑)。
元気でやってるんだろうな、と。
永田 寂しさもありつつ。
蛯子 うん。いまはもうぜんぜん。
絵が巣立っていくことには抵抗はない。
あの絵とはおさらばか、
けどまあ、つぎも描くんだし、
これで終わりじゃないんだし、って。
永田 いい状態だね。
蛯子 え?
永田 いい状態だね。
蛯子 そうっすね(笑)。
主役が会場を長く留守にするわけにはいかないので、
僕らはアイス・ラテをずずっと飲み干して
窓際の狭い席を離れた。

外に出ると強い陽射しで視界が白い。
銀座街を斜めに横切る彼の背中が
ピンと伸びているように見えた。

さあ、僕もがんばらなくては。


2002/07/25      銀座

2002-08-13-TUE

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