ほぼ日が、ヘアメーキャップアーティストの
岡田いずみさんといっしょに、
肌とメイクと道具の
トータルビューティブランドをつくりました。
名前は、Shin;Kuu。シンクーと読みます。

大手化粧品メーカーを経て、
フリーランスとして活躍してきた岡田さんには、
「きれい」の知恵とアイデアがたくさんあります。
こんな化粧品があったら素敵じゃない? と
夢中で話していたら、いつの間にか、
ひとり、またひとり、メンバーが集まって、
ほぼ日らしい形でチームが立ち上がりました。

Shin;Kuuのことを知ってもらうには、
岡田さんを知ってもらうことが近道。

塗り重ねるのではなく、魅力を引き出すメイク。
五感にふれ、ごきげんになれるスキンケア。
Shin;Kuuで大切にしようと決めたこれらの姿勢へとつながる、
岡田さんが歩んできた道を、全5回でお届けします。

前へ目次ページへ次へ

第2回  はじまりは、山あいの町の小さな店。

岡田
すっごく田舎に住んでいたんですよ。
その頃の同級生に
ヘアメイクになったんだって言っても、
誰も信じてくれないと思います。
──
本当に?
岡田
ぼーっと空を眺めている子どもでした。
なんせ田舎だから、木々も、星も、
すごくきれいに見えるんです。
豊かだけど、ほかになにもない。
そんなところにいたのに、
実家が化粧品屋さんだったんです。
──
なんと。
岡田
母は仕事にすべてを捧げているような人でした。
母のお店に行けば、
なにか楽しいことがありそうな、
夢のような世界が広がっていて。
大人の場所だから、子どもは出入り禁止でしたが、
お客様がいないときを見計らって、
こっそり香水を試したり、コスメを触ったり。
その世界に浸っていました。
──
目に浮かぶようです、
緑のなかの化粧品やさん。
岡田
資生堂の企業誌『花椿』も大好きでした。
月に一度、東京からファッションや
文化の風を感じられるのが、楽しみで楽しみで。
まず深呼吸からはじまって、1ページごと、
大事に、大事に、感じていましたね。

──
すでに、美しさについて
考えはじめていますよね。
岡田
美しいものは小さな頃からずっと好きでした。
その頃から、美しいものを生み出している
スタッフの側の世界には、
惹かれはじめていたような気がします。
──
お母様なくしては、今の岡田さんはなかった。
岡田
ものすごい影響力ですね。
もうひとつ、大きく影響を受けたのが、
高校生のときに出会った友人たちでした。
その中のひとりが、
演劇部に誘ってくれたんですよ。
「岡田ちゃん、高校2年最後の夏に、
青春しない?」って。
──
あぁ、とても素敵な誘い方。
岡田
私は照明とメイクを担当したんだけど、
そこで、みんなでひとつになって、
作り上げる面白さに目覚めて。
まあ、まぎれもなく青春でしたね。
──
メイクだけでなく、照明もですか?
岡田
照明を担当したことは、とてもエポックな体験でした。
「光が灯るスピードをもう少しだけゆっくりにしたら、
感情とリンクするんじゃないか」とか、
「ここで逆光にして、運命を感じさせたい」とか、
どんどんイメージが湧いて、
アイディアが形になることが楽しくて。
結局、その舞台で九州大会まで行けたりして。
──
より大きな世界を見られて。
岡田
そのときに、
本物の照明さんに初めて会ったんです。
逆光がうまくできないと相談したら、
いろんなアドバイスをくださって。
プロってすごい!かっこいい!と思いましたね。
こういう仕事で生きている人がいるんだ、
ということにも出会えたし。
──
世界を作っていく人。
いまの仕事とつながっていますね。
岡田
大学受験をするつもりでいたんですが、
自分がチームの役に立っているということのうれしさと、
舞台が生まれるときの、とてつもない、ときめきと。
その気持ちをストレートに、両親に伝えて。
──
それが、高校3年生のとき。
岡田
でも、自信がないことも正直に話しました。
今でも私って、誰かをきれいにすることとか、
誰かの役に立つことに興味があるだけで、
自分が着飾ったという経験がないんですよ。
私にはセンスがあるのかどうか、
自信がないんだっていう話をしたら、
「もとからセンスがあるひとっているの?」って。
──
逆に質問されたんですね。
岡田
「センスって磨くって言うじゃない。
だから、これから磨けばいいんじゃないの?」
って言ってくれたんです。
ああ、そうか、学べばいいんだ、
変化していっていいんだと、
初めて思えたんですよ。
──
そして、東京の美容技術専門学校に入って、
まずは美容師としてキャリアがはじまる。

(続きます)

2021-02-11-THU

前へ目次ページへ次へ
  • 肌とメイクと道具のブランド Shin;Kuu