イベント開催のお知らせ。

2003年度モノポリー日本選手権全国大会の結果詳報
(全5回)
〜第1回全国大会開始直前〜


こんにちは。
ちょっと古い話になりますが、
モノポリー日本一を決める国内最大の大会、
「モノポリー日本選手権全国大会」が、
昨年11月に都内で行われ、
新しい日本チャンピオンが決定いたしました。
いったいどのような人たちが参加し、
どのような熱戦が繰り広げられ、
そしてどなたがチャンピオンとなったのでしょうか。
前回同様、今回もそのレポートをしたいと思います。

ところで、「モノポリー日本選手権」には
どのような人たちが出場するのでしょうか?
例年は、選抜された30から40名くらいの選手によって
競われます。
今年は実出席人数で35名でした。
ではその選手に選ばれるためにはどうすればよいのか。
方法はいくつかあります。
前年度大会で上位に入賞する。
年間を通じて各地で開催されている
協会認定の主要大会で優勝する。
そして一番人数枠の多いのが、
例年秋ごろに全国各地で開催される地方予選で入賞する。
といった方法があります。
こう書くと
「ずいぶん難しそうだなあ」
「きっと四六時中モノポリーのことばかり考えている
 “濃い”人間じゃなくては勝てないのだろうなぁ」
と思われるかもしれませんが、
実はそんなことは全くありません。
確かに選手の中には
「ベテラン」や「常連」と呼ばれるプレイヤーもいますが、
その一方で、「初心者」「飛び入り参加者」でも、
予選を突破できる可能性が十分にある、
それがモノポリーです。
事実、毎年のように、
「モノポリーをはじめて
 まだ数回しかゲームをしたことがありません」
というような人が予選を通過しているのです。
このように、いつでも誰でも勝てる可能性があるのが
モノポリーです。
こういったボードゲームのイベントや大会に
全く経験がない方でも大丈夫!
ちょっとでも興味がわいたならば、百聞は一見にしかず、
一度最寄の大会に足を運んでみることをお勧めします。
あまりの楽しさに
“ヤミツキ“になってしまうかもしれませんよ!

さて、いよいよ大会の報告に入りたいと思います。
今年の大会は11月29,30日の2日間の日程で、
都内の中野サンプラザで開催されました。
まず、大会初日の昼間には、
誰でも参加できるモノポリーのミニ大会が開催されました。
名づけて、
「ラストチャンス大会」
なんと、その名の通り、
優勝者はすぐ直後にはじまる
日本選手権への出場資格が得られるという
「シード権つき大会」だったのです。

各地の予選敗退者が
復活をかけて参加される姿が目立ちましたが、
そんな中で、初めてモノポリーのイベントに
参加しますという方もちらほらいたようです。
大会のルールはいたってシンプルで、
数多くのモノポリー勝利を達成した人が優勝
(同数の場合にはより早い時刻に達成した人を優先)
というものです。
破産してもすぐ次のゲームに加われることがあるので、
とにかくたくさんゲーム数をこなしたほうが有利です。
ゲームの進行もいつになくスピーディで、
最後のほうはみなが立って
ダイスを振り続けるようなテーブルもみられました。
モノポリー勝利を達成した人には、
その印として自分のネームプレート(名札)に、
1勝につき1枚、星型のシールが貼られていきます。
つまりお互いの名札を見れば、
誰が何勝しているのかが一目瞭然なわけです。
大会が進行していくにつれて、
名札に星の貼られた人が次第に増えていきます。
そして最初に2枚目の星をゲットしたのが、
群馬から来られた金谷衛さんでした。
否応なく皆の注目が集まります。
続いて神奈川の野呂さんも2勝利目をあげ、
星2つの名札となります。
同点の場合には先に勝利をあげた人のほうが
優先されるルールですので、
この時点ではまだ野呂さんは金谷さんに並んではいません。
金谷さんよりも先に3勝目をあげて、
はじめて逆転しトップに立つことができるのです。
さて、残り時間も次第に少なくなり、
次の3勝目を最初にあげた人が
そのまま優勝する可能性がかなり高くなってきました。
そして残り30分をきった頃、
金谷さんが厳しいマークをものともせずに
見事3勝目をあげ、
名札の星の数を誰よりも早く3つとしました。
これで他の人が優勝するためには、
4勝以上をあげなければならなくなってしまったのです。
残り30分弱、これはサッカーならば
ロスタイムに突入といってもいい状況。
この時点で金谷さんの優勝がほぼ確定したと、
言ってもよかったでしょう。
かくして時間切れとなり、
金谷さんがそのまま3勝で逃げ切り、
ラストチャンス大会の優勝者となりました。
と同時に金谷さんは、すぐその晩から開幕する
日本選手権の出場選手となったわけです。
既に集合しはじめている他の出場選手たちも
「勢いがある、要注意」と、
この金谷さんをマークする動きがみられたようです。
確かに勝負事には「勢い」というものは重要でしょう。
思えば現世界チャンピオンの岡田さんも、
2000年の日本選手権では
一度は仮破産という絶体絶命のピンチに
追い込まれていながら、
その後「神がかり的な」逆転勝利で決勝卓へ進出し、
その「勢い」を借りて決勝でも勝利し優勝、
さらに翌日に開催された日本代表選考会でも
前日の「勢い」を持続させて勝利し、
日本代表となったのです。
そして1ヵ月後の世界選手権での優勝。
金谷さんにとって、
ラストチャンス大会のわずか数時間後に開催される
日本選手権は、
優勝したその「勢い」をそのまま持って挑める大会。
本人も「この勢いならば、勝てる」と
思っていたのではないでしょうか。

さて、そんなドラマの末に
35人目の代表に滑り込んだ金谷さんも含め、
いよいよ日本選手権の開会式がはじまりました。
まずは和やかに懇親。
みなお酒を控えめにして
この後のゲームに備えているようです。
ここで前年度優勝者の井元哲也さんからの
優勝カップの返還式。
井元さんには続けて選手宣誓も行っていただきました。
続けて、自己紹介を兼ねたテーブル決めが行われました。
これは昨年同様、予備抽選番号順に選手が
自分で1回戦のテーブルを決めていくというものです。
当然のことながら、
番号が若い人はテーブルは選べても対戦相手を選べない、
逆に番号が後ろ過ぎると希望のテーブルが
既に満席になっている可能性もあるということで、
真ん中よりちょっと後ろくらいの番号
(20番台前半くらい?)を引き当てることが
面白いと言われています。

ちなみに今年の予備抽選1番は、関東予選を通過した、
史上最年少の全国大会出場者である
小林哲君(小学4年生)です。
何も書かれていない真っ白な対戦表の前で
しばらく考えた上で、2番テーブルに記名しました。
続けて抽選で2番を引いた、
東北大会優勝者の中野大輔さん。
中野さんは隣の3番テーブルを選びます。
以下、次々にテーブルが決まっていきます。
自分が対戦したい相手を選ぶ選手、
自分よりも後にライバルが登場するため、
あらかじめマイクを通じて“逆指名”をしておく選手、
既に様々な“カケヒキ“が開始されています。

ちなみに、出場選手たちが
「この人と対戦したい」と名指しした中で
もっとも多かったのが、当然というか、
ディフェンディングチャンピオンの井元哲也さんでした。
しかし井元さんの引いた予備抽選くじの番号は
34番とかなり後ろのほうであったため、
なかなか本人が登場しません。
そこで直前の選手たちは
その時点で席が多く空いていた7番のテーブルを選んで
「ここで待っています」とラブコールする姿が
目立ちました。
井元さんは挑発(?)には乗らずに、
冷静にメンバーを吟味したのち、
5番のテーブルを選びます。
最後の35人目に登場した金谷さんが、
ただひとつ席が空いていた7番テーブルに記名をして、
テーブル決めが終了しました。
続けて全国から集まった
これまた選りすぐりのバンカーたちが、
やはり同じように
1回戦で自分が捌くテーブルを決めていきます。

さて、テーブルも決まり、
いよいよこの後すぐに1回戦が開催されます。
その様子は次回のお楽しみに。

2004-02-02-MON

BACK
戻る