モノポリーエッセイ

モノポリー米国チャンピオン決定戦に
行ってきました(7)
「番外モノポリー編」



このたび、私こと
岡田豊@2000年モノポリー世界チャンピオンは、
モノポリー米国チャンピオン決定戦
「2009年モノポリー米国選手権」を見るため、
米国時間4月13〜16日、ワシントンDCにいってきました!
今回はその七回目の報告になります。

このコラムはモノポリー米国チャンピオン決定戦の
ものですが、日本ではすでに
モノポリー日本一決定戦「モノポリー日本選手権」が
始まっています。
今週6月7日(日)は関東地区大会が東京で開催され、
地区大会最大のヤマ場を迎えます。
いつものことではありますが、
モノポリー日本選手権も関東地区大会が近づくと
より一層モノポリーが世間の注目を浴びるようになります。
メディアの取材も徐々に増えてまいりました。

その一つがJ-WAVEの「〜JK RADIO〜TOKYO UNITED」
6/5(金)9:30頃から私が登場します。
この番組の司会者はジョン・カビラさん
私がジョン・カビラさんのラジオ番組に登場するのは
二回目なのですが、
このジョン・カビラさん、
ジョン・カビラさんのお父さんの著書
『わが家の子育て記録 犬はだれだ、ぼくはごみだ』
(岩崎書店、2007年)によると、
沖縄に住んでおられた子供の頃、
一家団欒の時間にモノポリーを盛んに遊ばれたとのこと。
私もモノポリーをしていなかったら、
ジョン・カビラさんをはじめ
こんなに様々な人と関わることもなかったでしょう。
モノポリーで人の輪が広がるのは、本当にうれしいですね。

過去に少しでもモノポリーを遊ばれた方は、
ぜひモノポリーのイベントに参加されて、
モノポリーを遊びながら
他のプレーヤーとのコミュニケーションを通じて、
人の輪の広がりを実感してくださいね。
詳細は大会申し込みサイトをご参照ください。


さて連載の続きです。
モノポリー米国チャンピオン決定戦は
予選1回戦が終わったところです。

この大会、過去の米国チャンピオンが
3人も参加されていますが、
ゲストとしてさらに2人も、
過去の米国チャンピオンがいらっしゃいました。

一人は'82年の米国チャンピオンで、
「仕事があるのでさすがに平日の大会は無理、
 見学だけでもと急いできた」
とのこと。
そしてもう一人は'73年優勝、
それって実は初代米国チャンピオンにて、
初代世界チャンピオン!


過去の世界チャンピオンは合計12人
(アメリカ、アイルランド、シンガポール、
 イタリア、オーストラリア、イギリス、オランダ、
 日本、ホンコン、スペインの10カ国)出ていますが、
国別で2人出しているのは
アメリカ(1973、1974)と日本(1988、2000)だけ。
アメリカは最初の2回の世界選手権を制して以来、
これまで全く縁がありません。
したがって、初代アメリカチャンピオンにして
初代世界チャンピオンは
アメリカモノポリー界では
「レジェンド」に分類されるべき、
メチャクチャ偉大な方ですね。


現在74歳とのことですが、本当にお元気で、
娘さんと一緒に見学に来られていました。
でもお気持ちはまだまだ現役で、
見学だけでは物足りないようで、
“Yutaka, Let’s play monopoly”
と誘ってくれます。
もう一人の仕事のために見学を余儀なくされた
'82年チャンピオンも同様で、
やはりモノポラーの血が騒ぐのですね、わかります。


▲'82年米国チャンピオン。
仕事が忙しくて大会に参加できなかったものの、
見学を思う存分楽しんでおられました。



▲右がMr.Monopolyで、左が初代世界チャンピオン、
つまり「レジェンド」です。お年を感じさせない、
元気シニアの代表のような方でした。


予選1回戦終了が21時すぎ。
選手とゲストは翌日早朝7時集合と、
主催者のハズブロから通達があったばかり。
でも一度騒ぎ出したモノポラーの血はおさまりません。
ついさきほどまで予選1回戦を戦って疲れているはずの
3人の米国チャンピオンも実は同じで、
ここらで「空前、そしておそらく絶後の」
豪華メンバーによるモノポリーをしよう、
ということになってしまいました。
つまり、5人の米国チャンピオン、
そのうち一人は初代世界チャンピオンですが、
に私@2000年世界チャンピオンを加えて、
番外のエキシビションをやろうというわけです。

大会に参加している
3人の米国チャンピオンの体力を気遣って、
この番外勝負に消極的な振りをしている私ですが、
本音では血が騒ぎましたね。
というわけで、度重なる誘いに折れて、というか、
この機会を逃してなるものか、とばかりに
一転して積極的に参加表明です。

会場はホテルのスタッフなどが
片付けモードに入りかけたところでしたが、
もはやこの6人には目に入りません。
どこからとなく、
大会で使用していたモノポリーが出てきて、
準備を始めます。
ゲストも含め、ギャラリーも一斉に注目し、
予選1回戦を取材していたメディアまで「延長戦モード」。

最初はちょっと呆れていた
主催者ハズブロのスタッフの方も、
これはおもしろいとばかりに徐々にノリノリになって、
「会場をそのまま使ってよし」
とお許しも出ました。

ここについに今回の最大のサプライズ、
過去のチャンピオンだけのガチンコ勝負
「番外モノポリー」が開始されました。

がちんこ勝負ではありますが、
21時過ぎからのゲームなので、
早期決着が誰にも望ましいはず。
ハズブロには悪かったのですが、
米国選手権で採用されていたスピードダイスは、
このメンバー全員不評で却下。
早期決着はテクニックでもたらすしかありません。

よって、乱戦を目指し、徹底的に暴れようと、
すばやいゲーム展開を志向する私。
ある米国チャンピオンから、
「それは日本流かもしれんが、
 俺はアメリカ流でゆったりいく」
とまで揶揄されたりしましたが、
そんなことはお構いなく、ガンガン日本流で行きます。

個人的にはテクニック、戦略眼を見せつけようと、
多くのプレーヤーにカラーグループを
大した対価を得ずに揃えさせます。
そのうえで私は最も経営にテクニックが必要で、
かつ外国人には絶大な人気があって
なかなか手放してくれない
「グリーン」に狙いを定めます。
ちなみに私はこのグリーンを
これまで世界選手権では一度も経営したことがありません。
よほどのことがない限り、
外国人はグリーンの権利書を
他人に売ってくれないからです。

そうして、ライトブルー、ライトパープル、レッド、
イエローがそろう中、
私は少ない手持ち資金でグリーン勝負。
私のねらい目は32軒しかない家が売り切れ寸前となり、
家の競売になることで、
私が比較的に安価に購入できるようにすることでした。
建たないはずのグリーンなのに競売を利して、家が林立。
他のプレーヤーに驚嘆と警戒の表情が浮かびます。
なかには競売という普段あまり使わないルールを利用して
浮上する私に、
「そんなことがありえるのか」とばかりに取り乱し、
ホテルの自室に戻った大会の審判長にわざわさ電話して、
ルールの確認を取る者まで現れる。
うーん、その状況、プレーヤーの反応を見ることが
できただけでも、私的には十分満足!
「やることはやった」的な満足感ですね。

まあ結果は負けましたが。
自動車メーカーのGMではありませんが
「盛者必衰」を地でいく、運の無さでした。
「策士策におぼれる」的でもありましたが、
テクニックをみせつけるという
当初のミッションを果たせたという点で、
私的にはなかなか楽しめました。
勝ったのは、私のゲームの進め方に驚き、
取り乱したプレーヤーです。
このあたりもモノポリーの神様はよく見ていますね。


▲ゲーム開始前の様子。こころなしか、
2003年米国チャンピオン(右)、
険しい表情が目立ちます。
現役米国チャンピオンの意地が去来していたかも!?



▲初代世界チャンピオンがゲーム中に
ギャラリーの要請でボードにサインしているところ。
つい先日、将棋の羽生名人が対局中にサインをねだられ
話題になりましたが、ここはエキシビション。問題ありません。
かえって、豪華メンバーに期待して、
「このチャンスを逃すな」とばかりに
サインをまとめてもらおうとするギャラリーが多数発生!



▲右から四人目、風船を背景にしている方が
このガチンコ勝負を制しました。
実は私の競売テクニックにやや不満だったのがこの人。
勝ってからはニコニコでした。わかりやすい方です。


次回は予選2回戦を紹介いたします。


(文章:日本モノポリー協会専務理事・
 2000年モノポリー世界チャンピオン 岡田豊)

2009-06-04-THU

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