モノポリーエッセイ

第13回 世界大会決勝(後半の後半

こんにちは。アイク百田です。
のんびりしていたら、おめでとうともいえない季節に
なってしまいました。今年もマイペースではありますが
何卒よろしくお願いたします。

新年早々おわびと訂正です。
前回、ニューヨーク通りの家4軒で
レンタル料を1000ドルと書いてしまいました。
正しくは800ドルです。
ついうっかり過大申告してしまいました。
本当に申し訳ありません。
皮肉交じりにご指摘を頂いた
多数のモノポリーフリークの皆さんに
心から御礼を申し上げます。これからもよろしく。

さて、世界大会決勝も「いいところ」です。
わたしが調子に乗ってオレンジ、イエロー、グリーンと
3ヶ所にも家を建てた報いで
「修理費」を引き当て困っているところに
バルコニーからある人の声が聞こえてきたのでした。
糸井さんがわたしをリラックスさせようと
「○んこ!」とか叫んでくれた訳ではありません。
それは、紛れもなく英語でした。

「Ike! Sell Yellow!」

声の主は、アメリカ代表のギャリー・ピータースでした。
Ikeというのはイケではありません。
アイクというわたしの愛称?です。
前夜祭で彼と話したときに
そう呼んでくれといっておいたので
それからはずっとアイク、ギャリーと呼び合う関係です。
(まるでロン、ヤスのような・・・)。

そういった地道な営業活動が実ったのか、
どうやら彼はわたしに加勢してくれているようです。
イエローの家を売却し抵当に入れたら
ちょうど修理費分の現金が捻出できそうなので、
結局、わたしは彼の助言通りに進めました。
後から考えるとどっちでも大して
変わりがないようでしたが、応援してくれている人が
いるということを再認識しうれしく思いました。

それにしてもあの喧騒の中、
興奮して前後の見境が無くなっているはずのわたしが
彼のメッセージを聞き取れたというのは
ちょっと不思議な感じがします。
思ったより冷静にゲームを進めていたのでしょうか。
無理やりこのゲームの勝因を探れば
このあたりかもしれませんね。

この後は特に危ないところもなく
最終の局面までやってきました。
イスラエルの少年の駒がベントノールに止まりました。
家2軒で330ドルのレンタル料です。
彼はバンカーと一緒に金のやりくりをしていましたが
突然バンカーが破産の宣告をしました。
わたしは当然彼が支払えるものと思っていたので
面食らいました。

しかし、一呼吸後に事実を認識できました。
わたしの優勝が決定したのです。
同時に大歓声が上がりました。
120分間の死闘(というほどじゃないですけどね)に
ピリオドがうたれました。

この後の何時間かはわたしも
生涯忘れることのできない興奮した時間を過ごしました。
(「生涯忘れることのできない」という修飾語は
 「時間」ではなくて「興奮」に掛かります。
 その時どのようなことがどういった順番で
 行なわれたのかは正確に思い出せないのです。
 残念ながら)

まず、その場でいきなり表彰式です。
金メダルをかけてもらい、銀の皿を持たされました。
そうです。
あのウインブルドンで優勝するともらえるようなやつです。
わたしは銀の皿を両手で掲げてカメラに向かいました。
その当時ですから、
ボルグかベッカーになったような気分です。
その他にロシア版モノポリーの試作第1号が
出来あがったということでそれも頂きました。

そして何より「賞金」ですね。
もちろんその場でキャッシュを貰えるわけはないのですが、
シルクハットにドル札を詰めこんだものを
これも持っただけでした。ちなみに「賞金」は
スタンダードなモノポリーセットに入っているお札と
同額の15140ドルを後で頂戴しました
(その当時のレートで190万円くらいだったと
 記憶しています)。

その賞金の使い道ですか?
その当時はそればかりよく聞かれました。
タイミングよくNTT株の放出があったのでそれを買い、
3倍になったので今度は「任天堂」を買って5倍になり、
などととしているうちにどんどん増えて
3年前に「ヤフージャパン」を買いました。
これは100倍にもなってこの前計算したら
30億にもなっていたので驚きました。

それはさておき、表彰が一通り終わると
プレスのインタビューが待ちうけていました。
最も思い出したくない忌まわしい思い出です。
次回はそこからしぶしぶお話することにいたします。

ちなみに今回の話には真っ赤なウソが混じっております。
お取り扱いにご注意ください。

(つづく)

2000-01-12-WED

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