モノポリーエッセイ

第12回 世界大会決勝(後半)

こんにちは。ペガサス百田です。

日本選手権も無事終わり、
いよいよ来年に向けてのスタートですね。
ところで最近ちょっと気になるのですが、
プレイ中に持ちかけた交渉がまとまらないからといって
苛立ち、いわゆるキレる人を見かけるのですが、
ちょっと考えものですね。

モノポリーを始めて1、2年、
そろそろ腕に自信が出てきた頃のプレイヤーに
よく見られるようです。
もう少し冷静になってほしいなぁ、と思います。
交渉がまとまらないのは相手のせいではなく
自分の持ち掛け方が悪かったからだと、考えてください。

また交渉の持ち掛け方、断り方、どれをとっても
言い方ひとつで相手に与える印象は違ってきます。
ロバータ・フラックの名曲
「キリング・ミー・ソフトリー・ウィズ・ヒズ・ソング」
じゃないけれど、ソフトな交渉で
気持ちよく相手を破産させてあげてください。

私も他人事ではありません。
「人の振り見て我が振り直せ」です。
これからも精進して
ベストネゴシエイターオブザイヤーを目指したいですね。
(本当にこのタイトル作ったらどうでしょうかね)。


さて、第8回モノポリー世界選手権の決勝戦です。
相手にカラーグループを揃えさせたものの
私はまだ反撃の糸口を見出せません。
つまり、
ニュージーランド----イエロー
プエルトリコ--------ダークブルー
イスラエル----------ライトブルー
スウエーデン--------ダークパープル
と、私以外のプレイヤーはすべて
カラーを揃えて家を建てているという状況になりました。

そのまま誰かが突っ走る可能性もあったのでしょうが、
不思議と均衡が保たれていました。
天は我を見放しませんでした。

ニュージーランドが
リコちゃんの経営するダークブルーに入り、
オレンジを私に500ドルで手放すことを
しぶしぶ了承したのです。
先ほどまで1500ドルだったのですから、
ずいぶん安くなりました。
果報は寝て待て、とはよくいったものです。

ようやくオレンジを独占した私は
家を2軒ずつ建てたところから始まり、
その後は順調に成長していきました。
クライマックスはまたもや
ニュージーランドのトニーが演出してくれました。

彼は、オレンジの手前にいて
今にもニューヨーク通り辺りに入ってくれそうでした。
ダイスは大きく出て、オレンジを素通りしていきました。
ニューヨーク通りの3マス先に着地です。
そこはチャンスカードのマスでした。
一安心の彼が引いたカードにはこう書いてありました。

「3マス戻れ!」

ニューヨーク通りに思わぬ来訪者です。
この頃には家も4軒建って、
レンタル料が1000ドルになっていました。
これによって彼は脱落し、
また、ダークブルーを経営していたリコちゃんは
イスラエルの土地にはまってこれも脱落。

このあとは、ダークパープル、ライトブルー、鉄道を
持っているイスラエル代表に対して、
オレンジ、グリーン、イエローを手にした私との
一騎打ちの様相です。

いま冷静に考えてみるとどう見ても、
私が圧倒的に有利な形勢です。
しかし、世界大会の決勝戦という
未だかつてない晴れ舞台で緊張し
判断力が鈍っていたのでしょうか。
私はやたらと家を買いまくって27、8軒の家を
3つのカラーグループに分散して建てていたのです。

この報いがついにやってきました。
「共同基金カード」で、家一軒当り40ドルの
「修理費」を引き当ててしまったのです。
目一杯家を建設していた私は
当然現金がわずかしかありません。家を売却して
1000ドルちょっとの現金を作る必要があります。
私は迷いました。
オレンジの家を売る気はありません。
グリーンか、イエローか、どちらを見捨てるかです。

迷っているその時、
バルコニーからある人の声が聞こえてきたのです。

(つづく)

1999-12-12-SUN

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