モノポリーエッセイ

第7回 日本代表に決定!

♪おっちゃのみずぅ ひなげしの花で♪
こにちは! アグネスです。(うそ)
いよいよ次の日曜日(8月29日)は
トミー杯モノポリー大会ですね。
そうです。
トミー杯は「お茶の水スクエア」で行なわれます。
お間違いのないように。
予約無しでいきなり来ていただければいいですからね。
初心者初出場者大歓迎です。

さて、ひとりで「百田包囲網」の影におびえる私は、
緊張しきったまま、第3ラウンドへと突入するのでした。
第3ラウンドの対戦相手には、
あの第0回モノポリー名人戦(次の年から正式に
第1回が始まった)の覇者、亀和田俊明さん、
小学生のときからモノポリーをやっている田中瑞穂さん、
そしてモノポリーをTVの深夜番組で取り上げて以来の
ファンであるTVマン大塚さんなど、今までよりも
はっきりと手ごわいメンバーが集まりました
(この大会ではあらかじめ、
3回戦分の対戦相手が決められていましたので、
いわゆる勝ちあがりではありません)。

いよいよゲームスタートです。
緊張していた私もちょっと救われたのは、
このゲームで何位に入れば優勝ということが
事前にわからないことです。
つまり、3ゲーム終わって獲得ドル数を計算し、
最高ドル獲得者が優勝になるのです。
順位よりドルを残すことのほうが大事でした。
他のテーブルのライバルがどうなっているか
わからないので、いわば運を天に任せるしかない
という状況でした。このほうがかえって
プレッシャーはなくなりました。

ところが、ゲーム展開は思わぬ方向へと進みました。
開始早々、亀和田さんが猛スパートを見せました。
まず最初に5を出して1つ目の鉄道をゲット。
次のターンに10で、2つめの鉄道、
またその次のターンで3つ目の鉄道に止まり、
その時ゾロ目だったのでマービンガーデンまで進む。
次のターンに6を出して4つ目の鉄道をゲット!!
なんだか、既にゲームオーバーという感じです
(鉄道4つを独占していると
どこに止まっても200ドルずつもらえる)。

私はというと、残念ながらこれといった見せ場もなく
無難にまとめあげることが残された方法でした。
ゲームは亀和田さんの独走かと思われましたが、
流石に鉄道だけで勝たせてくれるモノポリーでは
ありません。大塚さんがきわどく何ドル差かで指しきって
トップとなりました。
亀和田さんが2位。
私もあきらめずに細かい交渉を続けたのが
効を奏したのか2000ドル以上残して3位
(今思うとこの2000ドルは大きかったですね)。
このゲームで私より上位に来ないと優勝のない田中さんは
必死に仕掛けましたが、武運つたなく4位となりました。
(よく大昔のことを覚えてますねっていわれますけど、
実は忘れてることも多いのです。
この文章を書き始めた先程、全く偶然に電話をくれた
トンデヒニイル亀和田さん、
どうもありがとうございます)

結果発表となりました。

「優勝は百田郁夫さん!」
やりました。
苦しかった3ゲーム目、
田中さんや亀和田さんの攻勢を最小限のロスで
凌ぎ切ったのが勝因ともいえるのでしょう。
それにしても私の人生で優勝なんて
初めての出来事でした。
「万年2位」的なキャラクターの私が
こんなことになるなんて、、、。
優勝カップと大きな花束を抱えて、
恥ずかしさとこみ上げてくるうれしさとの
複雑な感情の混ざり合いを経験しながら
帰りの地下鉄に一人乗り込んだことを
なぜか今でもはっきりと覚えています。

後日、入院している父を見舞ったときに、
モノポリーの日本代表になって
世界大会に出ることを報告しました。
父はこの当時痩せ始めてはいましたが、
まだ意識ははっきりしていました。
「おまえは、おもろいやっちゃなぁ」。
これが、厳格で決して私を誉めることのなかった父の
最初で最後の、また精一杯の誉め言葉でした。
「悔いのないゲームをしよう」。
私の意識は世界大会へ向けて走り出しました。

(つづく)

1999-08-28-SAT

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