モノポリーエッセイ

第1回 温かい目で身ごもってください。

はじめまして、百田と申します。
糸井重里日本モノポリー協会会長のご好意で
モノポリーのことを書かせていただくことになりました。
このコーナーでは「モノポリー」をご存知ない方にも
モノポリーの魅力を知っていただこうという
無謀とも思える野望を胸にをいだいております。
ちょっと立ち寄って読んでいってくださいませ。
力不足ではありますが、がんばって連載を
続けていきますのでどうか温かい目で
身ごもってやってください。
いきなりボケるなって?
いえいえ、温かい目で「モノポリーの種」を
身ごもっていただきたいと思っているのです。
すばらしいモノポリードリームが
生まれますように、ということなのですが、、、。

すでにモノポリーの面白さをイヤというほど知っている、
このコーナーを読んでモノポリーに興味を持った、
モノポリーの大会に出たい、などという皆さんには
各種告知やQ&Aのページ(建設中かも)を
用意してあります。そちらも是非ご覧下さい。
(そういえば、「日本モノポリー協会会長杯」
などというありがたい大会も近々あるらしいですぞ)
また、別コーナーで、モノポリーが強くなるための講座や
面白い読み物・資料などのページも開設する予定ですので
お楽しみに。

さて、第1回目は、
モノポリーの歴史を簡単にご紹介しようとおもいます。
そうでした。モノポリーとは一体なに? というところから
先にお話すべきでしたね。
「モノポリー」とは、ひとことでいうと「1935年にアメリカで
生まれたすごろくタイプの不動産売買ボードゲーム
(交渉・取引あり、しかも運とテクニックも必要)」です。
全然、ひとことではなかったですね。(汗)
セットには2人から8人用と書いてありますが、
実際には4人から6人くらいでプレイされることが
多いのではないでしょうか。
意外と「夫婦で2人ゲームをやってました」というかたが
多いのですが、これではモノポリーの本当の面白さは
わかって頂けないような気がします。
ぜひ、4人くらいは集めてくださいね。
1935年という年号はモノポリーの缶入りのセットにも
書かれているのでちょっと有名ですが、
モノポリーの誕生年ということですね。
正確にはこの年にメジャーデビューを果たしたと
いうことなのですが、ま、1935年に生まれたということで
いきましょう。実際にはその何年も前から
考案者のチャールズ・ダロウ氏が自費出版で
売っていたらしいです。
一説には1929年の世界大恐慌でダロウ氏が失業して
暇になってから作り始めたということです。
大恐慌で仕事もお金もなくなったダロウ氏が
せめてゲーム中だけでも
不動産王になりたいと願って作ったというのは
いかにもマスコミ的受けしそうな逸話ですが、
そう間違ってもいなさそうなので
私もそう思おうと思ってます。
この時にゲームに使用する駒(トークン)を
身の回りのものから適当に集めて使用したということに、
やはり伝説では、なっております。
(下の写真をご覧下さい)
例えば、「ユビヌキ(シンブル)」なんかその典型ですね。
ただ、この伝説に異論を唱えるようですが、
その他の駒の「靴」や「大砲」、「アイロン」や
「ハンドバッグ」などのミニチュアが本当に
最初からあったかどうかは疑問です。
暇ができて、もし「チャールズ・ダロウモノポリー記念館」
(あるという話は聞いたことがありませんが、、、)
に立ち寄るチャンスがあれば
是非はっきりさせたいところですね。
(そういえばこの件については糸井さんから、
ダロウ氏の奥さんのネックレスをばらして駒にした
というお話を伺いました。あるいはこのほうが正しそうですね)
いずれにせよ、この駒がなかなかかわいく出来てて
モノポリープレイヤーの心を和ませていることは確かです。
ちなみに糸井さんも私もお気に入りの駒がかぶってまして
「靴」なんです。
もちろん一緒にプレイさせていただくときは
私が師匠に敬意を表してセカンドジャージー
(大抵は「馬」)に着替えることになります。

このゲームは発売以来アメリカのみならず全世界に普及し、
いまでは、なんと、一億セットも販売されている
というから驚きです。1973年からは
世界大会まで開かれるようになりました。
手前味噌ながら私が参加した1988年の第8回大会では
運良く優勝することが出来ました。このときの様子は
近々このコーナーでお伝えしたいと思います。
さて世界的には非常にポピュラーな「モノポリー」ですが、
日本ではなかなか人気が出ませんでした。
ところが、そんそんなな状況を劇的に変えることが
1986年に起こったのです。

1999-06-15-FRI

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