「『おかあさんの写真』ができるまで。」

おとなが集まって、おとなの歌を集めたはなし。

おとなは、歌を嫌いなわけじゃない。
おとなたちは、歌を歌いたくないわけじゃないし、
聴きたくないわけでもない。
むしろ、おとなは、小鳥のように歌が好きなのだ。
しかし、そう思うおとなはたくさんいても、
歌が見つからないようになっている。
聴く歌も、歌う歌も、どこに行けばあるのだろうか。

宮崎駿も、おとなだ。歌の好きなおとなだ。
他のおとなと同じように、
聴く歌、歌う歌が、見つからないでいた。
よくよく探せばあるのかもしれないけれど、
どこにあるのだろうか、と少し怒ったりもしていた。

だが、宮崎駿は運がよかった。
山で知り合った友人、上條恒彦が歌手だった。
なにかの集いのときに、宴の終わる前に、
本職の歌い手である上條恒彦が歌ってくれた。
無伴奏だ、楽器は自分のからだからの声だけだった。
たましいの震えが、その場のおとなたちを共鳴させた。
こんな近くに、歌があったではないか。
宮崎駿が探していたはずの歌は、
隣人、上條恒彦の体内に貯蔵されていたのだった。

宮崎駿は運がいい、そして気が短かった。
これを、この歌を、歌い手を、どうしたらいい。
ここに、あったじゃないか。歌が。
その場と時を共有していた鈴木敏夫も、
宮崎と同じ気持ちだった。
上條恒彦は、いくらでも歌いたいと笑った。

その点のような瞬間に、このアルバム
『おかあさんの写真』は着床したのだった。

こうなったら、
さんざん山越え谷越えしてきたおとなは強い。
思いを共有できそうなおとなに連絡して、
あれよあれよというまに、曲も詩も楽隊も集めてしまった。
アルバムをつくる準備は、すぐに整った。
ああしようこうしよう、この曲がいい、これも歌おう。
集まっては相談し、散らばっては働いた。
さんざん修羅場をくぐってきたおとなたちが、
目的のある仕事をするのだ。
火事場でなくても力はみなぎっていた。
宮崎駿だけでなく、この連中の全員が運がよかった。
奇跡のようにいいことが続いて、
『おかあさんの写真』というアルバムは誕生した。

まぎれもなく、おとなの聴く歌が並んでいる。
まちがいもなく、おとなの歌う歌が聞えてくる。
じぶんの歌を探していたおとなたちに、これが届く。
集ったおとなたちは、解散して、
それぞれの仕事場に戻っていった。
手に1枚ずつのアルバムを持ってね。

おしまい。

(糸井重里)

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