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第93号 ふつうのおたより大特集。
※ほぼ日デリバリー版に、ときたま掲載している、
さまざまな「ふつうのおたより」を、まとめてご紹介!

・仲良しの先輩から
さっきもらったメールに感動しました。
「テンション高い時だけ会うんじゃなくって、
話したい時に話す仲間でいたいわ」
人間関係で悩んで、
相談したらメールが返って来ました。
そのメールの最後に、
今度一緒に飲もう、というお誘いとともに
さりげなく書かれていた言葉です。
この人に相談してよかった、って思いました。
(匿名希望)

・近所の温泉によく行きます。
先日、私とおばあちゃん
二人きりになった時がありました。
おばあちゃんがスポンジ片手に
「すみません、ここだけ手が届かないので
背中流していただけますか?」
私はシャンプーを終えてビショビショ頭の状態でした。
つい面倒くさい口調で
「ちょ、ちょっと待ってもらえます?」
おばあちゃんは、寂しそうに戻って行きました。
そして、落ち着いてから声をかけました。
おばあちゃんは、嬉しそうにして背中を私に向けました。
ツルツルしていてふくよかなきれいな背中でした。
(お尻は当然下がっちゃってますけど・・)
今のおばあちゃんて、
胸もふくよかな人が多いような気がします。
その背中を見て私は既に他界している
自分のおばあちゃん思い出しました。
背中を流してあげるとやっぱり嬉そうだったけど、
うちのおばあちゃんは痩せこけてて骨皮筋子さんだったので、
背中も骨がゴツゴツと出ていたいたなぁ。
胸もしなびた風船だったよなぁ。
生きていれば100歳は超えてます。
どんな背中になっていたのかな。。
(こけこっこ)

・2月に結婚するので、準備に追われています。
先日招待状をを発送したら
返信用はがきと一緒に、
近所に住むおばあちゃんから手紙が届きました。
おばあちゃんから手紙をもらうなど
初めてのことだったのでちょっとびっくりしました。
手紙にはおばあちゃんのちょっと読みずらい古い漢字で、
「これから2人で手を取りあって
嬉しいこと、悲しいこと乗り越えて欲しい。
あなたがた2人の幸多かれと祈っています」
というような内容が書かれていました。
この結婚をおばあちゃんがどれほど
喜んでくれていたのかいまさらながら実感しました。
(匿名希望)

・保健室の先生をしています。
高校3年生が保健室に来て「早退したい」。
聞いてみると、
彼女と喧嘩して、今、仲直りしないと
絶対に戻れない瀬戸際なんだと、真剣に訴える。
そりゃ行っておいで、と、
「風邪」と書いた早退届を持たせた。
話を聞くと、もうすでに彼女は
愛想尽かしてるかもなぁとも思ったけど、
とりあえず自分の思いを行動にうつせた実感が、
人生1回でもあればその後の人生、
ちょっとは違うんじゃないか、と思ったので。
この時期、こんなことしてて
ま、受験はかなり厳しいだろうとは思うけど。
それも人生、なぁんて。
(保健のセンセ)

・昨日、半年ぶりくらいに前の彼氏に会いました。
その人の支えになるはずが、
私が一方的にひどく傷つけてしまった恋でした。
もう2人は会話もできないだろうと思っていたのに、
今朝彼から突然「仲直りしよう」のメール。
急いでおしゃれして待ち合わせの店に走る。
震える声であいさつをして、そのまま
よく2人で行ったお寺へ紅葉を見に行くことにした。
始めは緊張した2人だったけど、
色づく紅葉を見るうちに、友達のような会話をしてる。
お互い違う道を歩み始めてるけど、
なんか前とは違った優しい関係になれる気がした。
(古)

・じいちゃんと私は、78歳違うんです。
だから、彼にとって、私は
「いつ別れてもおかしくない人」だったようです。
私の生まれる前の年に、脳梗塞もやっていましたし。
私が生まれたときには、本当に喜んでくれて、
いつもいつも、散歩に同行させたそうです。
そのせいか、私は34年前には
珍しく日に焼けた赤ちゃんだったそうで、
そのうちに皮がむけて痛がり出したので、
じいちゃんには私の父から散歩禁止令が出てしまい、
ひどくがっかりしたようです。
私が成長して、小学生になると、
ふたたび、一緒に散歩に行くようになりました。
じいちゃんがいつも何か買ってくれたからです。
そう、私は本当に悪い孫でした。
いつもいつも、じいちゃんに何か買ってもらい、
そのために一緒に散歩に行っていたようなものでした。
ある冬の日、
いつものように一緒に散歩に行ったのですが、
私(小2)のペースにあわせて歩いたせいか、もしくは、
急に暖かい部屋から外に、行ったせいかもしれません。
なんと、じいちゃんが急に倒れてしまったのです。
しかも、胸を押さえて。
自分が医者である今なら、心筋梗塞か何かだろうから
何とか病院へ行って‥‥など考えるんですが、
当時はいかんせん小学生ですから、
ただおろおろするばかりなんです。
通行人もすごい集まって、
「救急車!」ということになったとき、
なんと、じいちゃんが立ち上がって、
「いやいや。大丈夫です。
絶対救急車なんて、呼ばんでください」
といったのです。
ただし、すでに80代ですからふらふらしていたのですが。
そして、何事もなく散歩は続き、その一年後、
じいちゃんは同じような冬の日に亡くなりました。
つい最近、父母とじいちゃんの思い出を話していたのですが、
なんと、二人はこのことをまったく知らなかったのです。
救急車にしても、倒れた話にしても、
きっと話したら、私が叱られると思ったのでしょう。
寒くなってきたせいか、祖父のことを思い出しました。
(さ)

・冬の日のお話を読んで、母を思い出しました。
去年の2月、日曜日に大雪が降った日のことです。
私は職業がSEなので、土日かまわず出勤していました。
夜7時も過ぎて、雪がまだまだ激しく降ってきたのを
窓から眺めながら、仕事をしていました。
「電車止まってないか、聞いてみよう」
と軽い気持ちで家に電話したら、誰も出ない。
兄の携帯に電話しました。すると兄は、
「落ち着いて聞けよ。お母さんが駅で倒れた。
今、救急車でお父さんが
付き添って病院に向かっている。
お前はとりあえず、すぐ帰ってこい」
と言いました。
頭の中が雪のように真っ白になり、
一歩も動けなくなりました。
とにかく仕事を全て先輩にお願いして、
帰途につきました。
その日が峠だと言われて、一睡もできない長い夜でした。
雪が降っていて、家中が不気味なほどしんと静まりかえり、
兄と私は、じっと居間で犬をなでながら黙っていました。
翌日、とりあえず面会はできることになり
10分だけICUに入ることができました。
そこには、管をたくさんつけられた母の横たわる姿。
母は一生懸命
「なに、そんな顔しているの」と笑ってみせたのです。
ああ、生きてるんだなあと思った瞬間、
涙が止まらなくなりました。
ぎゅっと母の手をにぎって、
温かさを感じ取るのが精一杯の10分間でした。
部屋を出て、自動ドアが閉まる瞬間まで、
隙間から母をじっと見詰めていました。
母は心筋梗塞で体内の3分の1の血液を凝固させてしまい
どうなるか分からなかったのですが、
奇跡的に元気になりました。
もう大丈夫だと分かった2週間後の夜、
父が居間でブランデーを飲んでいました。
そのブランデーは、父と母が結婚した時に買ったもので、
「息子も娘も家を出て、二人だけになったら飲もうな」
と大事にとっておいたお酒なのだそうです。
母が倒れた翌日に栓を抜いたんだと。
「このお酒を、今すぐ母さんに
持っていかなくてはならないかもしれない、
と思って、その時に栓を抜いたんだ。
今こうして飲んで、ようやく味がわかったよ‥‥」
母は今では退院し、特にリハビリもなく経過は良好で、
普通の生活ができるほど回復しています。
今年は私も結婚し、家を出てしまっているのですが、
12月になり、寒さが日に日に増しているので、
すぐに、実家に電話をしてしまいます。
「おおげさねぇ」と、
笑いながら言う母の声が聞きたくて。
(イ)

・会社では経理の仕事をしています。
はじめのうちは、お金の出入りを
記録するだけじゃない仕事内容に、ちょっと疲れました。
お金が出て行ったぶん、
代わりに会社の備品が増えました、とか。
「お金の管理ができていれば
他に何が増えたっていいじゃん!」
とイライラすることもあったのですが、
何年かするとラクなものです。
そのうちに、職業病みたいに、
心にふしぎなクセがついているのに気づきました。
ある日ちょっと恥ずかしい失敗をしてしまったとき、
「これは話のネタとして入って来た物」
とか、そういう「仕わけ」をしてしまうのです。
先日、お付きあいをしている人とお別れしたのですが、
泣きながら、
「彼氏がいなくなったことによって
私にもたらされるもの」
が頭の中ではじき出されてきたのには
ちょっとウケました。
『ケータイを忘れて出かけてもはらはらしない!』
『男友達と飲みに行っても怒られない!』
『休みの日におもいっきり寝坊ができる!』
『(彼に関する)心配を一切しなくても済む!』
‥‥それはそれはたくさんの「収入」があるのです。
たった一人いなくなるだけなのに。
そしてやっぱり寂しいのに。
でも、今はそれらのおかげで
けっこう楽しく過ごしています。
この「収入」が全部なくなってもいい位
すごい奴が現れたら、もっと楽しくなるのかしら?
(キナコ)

・南アメリカはアマゾン在住・9か月目に入りました。
プロペラが一つだけの11人乗り飛行機に乗った時のこと。
定期便なのですがとても小さい飛行機です。
操縦席と客席の間に仕切りはなくて、
その日一番前に座った私には
パイロットの手元が丸見えでした。
機械制御の安定飛行に入り、
しばらくするとパイロットが
リング綴じのノートのようなものを取り出しました。
かなり真剣に読んでいます。ちょっと見ると英語。
マニュアルと思い、好奇心からよく見ると
英語のテキストでした。
でも超初級。
is not:isn't are not:aren't does not:doesn't
などなどの表を、彼は真剣に見つめていました。
パイロットするような人が
そんなに英語わからないものなの?
そして、私の町に着くまで二ヶ所の空港に止まり、
私はその都度外に出て深呼吸をしていたのですが、
パイロットをしていた彼が近くにきて、
「自分は外国語を勉強するのが大好きだ。
今のところ英語しか話せないが勉強は楽しい」
と話しかけてきました‥‥え?
ブラジル人(アマゾン人)の自己アピールの仕方には
ある程度慣れたつもりでしたが、それなら私も
プロフィールに、英語と中国語を加えてもいいのかもね。
ちなみに、この会社のフライトはなかなか楽しく、
飛行中にパイロットが操縦席に座らせてくれたり
アメをくれたり、
無線で地元FMを聞かせてくれたりするんですよー。
(るんた)

・3年前に私の会社は、
ヨーロッパの会社に吸収合併されました。
とは言っても私の部署は、
まったく変わりなく、顔ぶれも同じだった。
まぁ、それが最悪なんですけどね。
上司は、外人に
自分のポストを奪われないように肩をいからせ、
鼻息も荒く、部下に怒鳴り散らす。
しかも、怒鳴る内容は、
自分の感情のままに発せられる‥‥。
そんな毎日で、ちょっと生意気な私は
上司との反りが合わず、大激突しています。
私の説明を聞きもしないでいきなり怒鳴りつけることが
何回か続いたある日、もう我慢も限界と、
社長(外人)さんにメールをうちました。
「もっと、管理職の教育をしっかりとしてくれ!」と。
社長は、私の顔も知らなければ、
名前も初めて聞くに違いない。
けれども、真剣に話を聞いてくれて、
改善していこうと言ってくれました。
そして、びっくりしたことに、ある日、
社長が私の働いている事務所に見回りにきたんです。
社長はみんなの働きぶりをみた後、
社長室へと帰って行き、その直後、
なんと私宛に社長からのメールが届きました。
「あなたがどんな所で働いているのか見に行きました」
‥‥多くの社員の中の
たった一人の社員のことを気にしてくれる。
私は、本当に感動しました。
職場では、日本語が通じる人たちばかりなのに、
誰も話を真剣に聞いてくれません。
しかし、外人のしかも社長が
ちっぽけな存在の私の話を真剣に聞いてくれた。
尊敬してしまいました。
(匿名希望)

・友だちのおばあちゃんは80歳ですが、
ある日鏡を見ながら
「気持ちはまだハタチのままなのに
こんなにしわくちゃになっちゃったねぇ‥‥」
と言っていました。
とってもかわいかったです。
気持ち、わかるよ、おばあちゃん!
(ちょんち)

・私は、仕事が好きです。
私は小学校の教諭をしています。
子どもたちを帰してからも、たくさんの仕事があり、
毎日15時間労働で、
週休二日制もぶっとばし、
休日出勤はあたりまえです。
「どうしてもやらなくちゃいけない仕事」はやります。
でも、
「やらなくてもいいけど、これをやったら、
子どもたちのためになるよな。きっと奴らも喜ぶよな」
という仕事をしようと思うなら、
当たり前だけど、時間を費やすことになります。
でも、このごろ、それはただの自己満足ではないか?
と思うようになりました。
やればやるほど、子どもたちからも、保護者の方からも
喜んでもらえます。
それが自分の新たなエネルギーに
つながっていることは確かです。
でも、それは、本当は、自分が「評価されたい!」
という欲求なんじゃないか?と思いました。
自分が満足するために、仕事をしている‥‥。
そう思ったら、年中忙しいと感じている自分や、
挙句の果てに、他の先生方に対して、
「あんたは、何のために先生になったの?
本当に子どもがかわいいの?
じゃ、なんでもっと遊んであげないの?
もっと話してあげないの?
あんたの学級の子が、
あんたのことを何ていってるか知ってるの?
そんな手抜きしてるあんたは、教師失格よ!」
と心の中で思っている自分は、
かなりかっこわるいなぁと思いました。
仕事って、自己満足するためのものなのかなぁ。
それでいいのか?悪いのか?
まだ私には、わかりません。
(はっしー)

・夜かみなりが鳴ったとおもったら
ガタガタガタ
なにやら不気味な音。
外に飛び出したわたしの見たモノは‥‥
犬小屋を2メートルほど引きずってまでも
家に助けを求めてくる最中の
わが愛犬の涙ぐましい姿でした。
(すみれ)

・今年、30歳になりました。
誕生日当日の朝は、
職場に着いたらメールが届きました。
「もうすぐあなたの誕生の時間です。
なかなか産まれてくれなく、ずいぶん気をもみました。
予定日を3週遅れての誕生でした。
少し小さめの赤ちゃんでしたが、
丸々とした元気な子でした。
顔を真っ赤にして元気に泣いてたのを忘れません。
体調を崩すことのないように充分気をつけて、
これからも元気に里香らしく‥‥」
母からでした。泣けました。
職員室(私は教師です)で、
見えないように涙をぬぐいました。
今年、私のわがままで離婚して、
ずいぶん両親に心配をかけていましたが、
どんなときも、無条件に愛してくれる人が
こんな私にもいてくれた。ありがたかった。
(りか)

・デリバリー版417号の「ふつうのおたより」の
「彼氏がいなくなったことによって
私にもたらされるもの」
についてのメールを読んで、ちょっとホッとしました。
わたしの場合、つきあっていた人ではなく、
祖母なのですが‥‥。
数年前、最愛の祖母が亡くなりました。
その当時、私は25歳でした。
弟がかなり病弱だったせいで手がかかり、
小さい頃から、一人、母方の祖母のいる田舎に、
休みという休みは、送られていました。
小学低学年の頃から、一人で夜汽車に揺られ、
15時間位の旅を繰り返し。
祖母は明治生まれで、何にでも好奇心たっぷりの、
本当に明るく、豊かな人でした。
「台所は戦場だと思え」が口癖で、
家事一般を厳しく躾られ、
でも、愛情もたっぷりもらい、
身内ですがまさに育ての母、でした。
そして物心が突き出してから、
私は、とにかくその祖母が、
この世から居なくなってしまう事が、本当に不安で、
依存とか通り越した感情を抱くようになったんです。
その事を考えると、涙が止まらず、気ばかりが焦る。
自ら祖母の元へ通い、
付き合っている人が居ても、正月も、
部活のある時以外の春・夏・冬休みはずっと、
働き出してからは、週末をかけて、
関東から、中国地方へ、
もう数え切れないほど、通いました。
母もいつも驚いていました。
外国で仕事をする話をもらった時も、
大きなチャンスだとは知りながらも、
「祖母に何かあっても、駆けつけられない」
と即、断りました。
その祖母が突如逝き、数年経つ未だ、
完全には受け入れられずにいます。
しかし、日々の生活の中で、
その「祖母を亡くしたら‥‥」と
思わず考えてしまう依存状態からは、
解き放たれてもいます。
依存しなくなってホッとしている自分に気づくと、
「なんだかそんな自分は嫌だな」と思っていました。
でもそのぶん、行き場の無い哀しみから、
開放されてもいたんですね。
「‥‥それはそれはたくさんの収入があるのです。
たった一人いなくなるだけなのに。
そしてやっぱり寂しいのに。でも、今は
それらのおかげでけっこう楽しく過ごしています」
という「ふつうのおたより」の言葉に、救われた私です。
(Swan)

・東京の市部、自然公園の隣に住んでいるのですが、
いろいろな生き物と出会えます。
子供と一緒に夜の8時過ぎに
カブトムシを採りに出かけたときは、
ツクツクホウシが殻から出てきたばかりの、
白くて少し蛍光色の緑色がかっている状態のものを
3匹も見つけました。
見てはいけないものを見てしまったような、
神聖なものを感じました。でもうれしかったです。
そのあと、息子が地面から穴を開けて出てきた
アブラゼミの幼虫を発見。
近所の子たちと皆でいつの間にか
「せみさん、がんばれ! せみさん、がんばれ!」
と応援していました。
(ぽ)

・実は夏になるといつも思うことがあるんです。
「セミは人間の役に立ってくれているなぁ」
ってことなんですけど……。
セミって、抜け殻が漢方薬になるんですよ。
「消風散」(しょうふうさん)っていって、
アトピー性皮膚炎によく効く薬なんですが、
僕は高校生になってから、ひどい皮膚炎になり、
苦しい思いをしていたんです。
全身がボロボロで、腕を曲げただけで
皮膚が切れて、血が出てくるほどでした。
しかしながら、横浜のとある漢方診療所で診てもらい、
消風散を飲んだところ、あんなにひどかった皮膚炎が
2週間ほどでかなり落ち着き、本当にラクになったんです。
今も服用を続けていますが、皮膚の状態は、
ほとんど昔のようです。きれいな肌に戻りました。
それで、夏になると、いつも思い出すんです。
セミが「ジージー・ミ〜ンミンミン……」
などと鳴いてうるさいなぁとは思いますが、
セミがいなかったら当然抜け殻もないわけだし、
漢方薬としても用いられていなかったんだなぁって。
やはり自然のなせる業ってのは、すばらしいですね。
年々、鳴き声が響かなくなっているような気がしますが、
セミ諸君にはがんばってもらわないと……ねっ?
(et)

・私の妹はすでに二人の子持ち。
夏休み遊びに行ったら、下の子に母乳をあげる時、
ワンピースを着ていた妹は、いきなりスカートをたくしあげ、
パンツを見せながらお乳をあげていた。
我が妹ながら、すごい。絶句してしまいました。
こんな親に育てられた子はどんな子になるんだろう?
(カンキツ系ミカン星人)
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