ほぼ日・デリバリー版。

第73号 ホロリもの・その8。


「ホロリもの」には、割と、
じっくり長めのおたよりをいただいているので、
特集のほうも、かなり長期戦になっております。

1通1通に、それぞれの方の暮らしの実感が
すこしずつあらわれているので、どのメールを読んでも、
いつも、「なるほどなぁ」と思っているんですよ。

じゃ、今日も、たくさんのメールを、さっそくどうぞ!!!







・私失恋をいたしまして。
 いわゆるひとつのハートブレイクです。
 しばらくぶりの恋だったので、
 けっこうキツイものがあったです。
 双子なので、友達が少なく
 (↑仲良しの双子はきっと
   わかっていただけるはず)
  何でも双子の姉に相談してまして。
 今回のどたばたも
 一部始終姉に相談してたのでした。

 多分その会話を聞いたのだと思います。
 父が「この本おもしろかった。読め」
 と渡してくれた本が、失恋話でした。
 「すきだったら
  全身で体当たりしないといかんよ。
  決着をつけんといつか後悔するよ」
 というような内容でした。

 彼に彼女がいることが分かり、その彼女と
 一緒に暮らしていることが分かって、
 傷つくの怖さに自分の気持ちを伝えずに
 彼と離れてしまったのですが、
 なんだか心にがつんと響いたのでした。

 父と好いた惚れたなんて話、
 一度もしたことがなかったので、
 (そして娘の恋愛話は父親として
  あんまり聞きたくないものかなと
  思っていたのです)
 そんな風に思ってくれていたのかと
 じわんと心が熱くなってしまいました。
 気づいた時には、私の部屋から
 その本がなくなっていたので、
 本の感想とかありがとうとか
 言ってないのですが、そんなとこにも
 父のダンディを感じて
 じわんとしてしまいました。
 要するに父が大好きなのです。
 (もめん296号)



・前に紹介されていた、
 「空を飛ぶシーンで泣ける人」の話、わかります!
 私は「ET」を高校生の時に観たのですが、
 友達の感動シーンがおおむね
 ”ETが死んじゃう時”と
 ”ラストお別れの時”という中で、
 私はひとり”自転車で飛んだ時”でした。
 思い出すだけでぐぐぅっ〜ときますが、
 あの悲しくもない、うれしいのでもない、
 他の何にも例えようのない心の反応。
 しかもとてつもなく深くて大きい。
 不思議です。
 タケコプターで泣けてしまうあききさん、
 きっと「ET」では、
 大変だったのではないでしょうか。 
 (ふゆみかん)



・「ET」の自転車が、追い詰められて
 フッと空に飛ぶシーンに感動した、
 という方がいらっしゃいましたが、
 わたしもなん一緒です!!!
 空を飛ぶシーンにホロリとくるタイプ。

 いやぁ、ETの自転車は、
 予想だにしなかった感情の一気胸満タン。
 あったかくて、やわらかいような何かが
 心いっぱいになり、目には熱い熱い涙が。

 以来、「トトロ」が飛ぶところや、
 「猫バス」が空を行くところなど、
 言うに言われぬ感動が、ありました。 

 人に言っていない感情のツボなんですが、
 実はわたしは、中学生ぐらいの時に、
 眠りに入る前に目を閉じると同時に、
 フッと漆黒の宇宙空間に浮いてるような
 感覚がして、何とも言えず心穏やかに
 幸せな心持ちになりました‥‥って、
 きゃッはじめて公けにしちゃった!
 (おちゃぼん)



・ETの自転車が空に浮かぶシーンで
 一気に気持ちが溢れてしまうお話!!
 そうそう、そうなんです。
 わたしもホロリでした。
 と言いたいのに‥‥
 初めて「ET」を見たのは
 小さい試写室で、
 隣にはなんとあの淀川長治さんが!!
 緊張しながら見ていたせいか
 こんなとこで泣いてはいけないと
 思ったせいか、あのシーンで、
 溢れる思いは
 吹き出すような大笑いになって
 狭い試写室に響いてしまいました。
 頭が真っ白になってしまって
 そのあとの事は憶えていないのですが、
 20年目の『ET』は、
 そんな懐かしさと共に
 素直に見る事ができました。
 (かお)



・私は北海道民で、
 現在は関西に住んでいます。
 我が北海道の誇る航空会社、
 エア・ドゥのことを
 書かせていただきたいと思います。
 エア・ドゥは札幌⇔羽田のフライトのみの
 民間航空会社で、昨年まで東京の大学に
 通っていた私はよく利用していました。
 このエア・ドゥが私は大好きなのです。
 まず、カウンターが
 他の航空会社の半分以下の大きさ。
 今はカウンターがありますけれど、
 設立当初は、他の航空会社のカウンターを
 手続きの時だけ一時的に借りていました。

 そんなエア・ドゥの
 イメージキャラクターをご存知ですか?
 くまなんです。名前はベア・ドゥ。
 茶色の、テディベアのような
 かわいいくまさんです。
 今は変わってしまいましたが、
 当初のエア・ドゥのホームページでは、
 ベア・ドゥが答える
 質問コーナーのようなものがあり、
 これがたまらなくかわいかったのです。

 「困ったドゥ」「わからないドゥ」とか、
 ちょっと難しい質問に悩んだり、
 「そうだドゥ!」と誇らしげに答える
 ドゥくんの姿が、もう!
 ドゥくんは「〜ドゥ」という
 口癖で話すのですが、その時の
 同居人との間で当時大流行しました。
 エア・ドゥはお金がないために、
 当初子供のプレゼントなど
 用意できなかったのですけれど、
 この間乗ったときには紙でできた
 ドゥくんのお面を
 子供たちに配っていました。
 搭乗して機内を見たら、
 所狭しとたくさんのくまさんが!
 とてもとてもかわいい情景でした。

 新聞や読み物を乗せていない代わりに、
 社員が描いた絵本を読ませて貰えますし、
 スタッフの態度もいいです。
 何から何まで、心から応援したくなるような
 頑張りを感じるんです。
 着陸する前にスタッフが
 「ありがとうございました!」
 と全員で頭を下げるシーンは
 芝居のカーテンコールを観るようで、
 涙ものです。
 里帰りするたびにエア・ドゥに乗るのが
 楽しみだったのですけれど、
 今年から関西に来てしまい、
 それもかなわなくなってしまいました。

 現在経営難に陥っているエア・ドゥですが、
 これから札幌⇔東京のフライトが
 ご入用の方がいらっしゃったら、
 ぜひ乗っていただきたいなと思います。
 経営難な中、いろんな工夫を凝らしたり、
 最高のサービスをしようとする姿勢にも
 グッときます。
 応援したくなるし、上向いて欲しいなあ、
 とほんとに思うのですよね。

 一応書いておきますが、私は
 エア・ドゥの回し者ではないですよ。
 今度乗ったらこっそり座席に
 応援の手紙を置いてきたいと思います。
 (わんこ)
 


・今日、仕事場(病院)で
 患者さんが亡くなってしまいました。
 病院という場所柄、
 当たり前かもしれませんが、
 私の好きな人が、亡くなった知らせを
 いちばんに受け取ってしまって、
 しかも彼は、うちの病棟の
 管理責任者のひとりなのです。
 
 もちろん、彼のせいでその患者さんが
 亡くなったわけではないのですが
 (誰のせいでもなく、病気の結果です)
 亡くなった後のさまざまな手続きを
 行っている彼が、
 私の真横に座っていたのですが、
 なんと声をかけていいのか、
 私にはわかりませんでした。
 
 ただもくもくと、
 その患者さんの主治医と一緒に
 事務手続きから、
 家族の方へのお知らせの電話とか、
 病院への報告とか、
 院長先生への報告とかを
 行っているその人に、
 何か手伝いたいのですが、
 なぜか声が出ない。

 どうしていけばいいのか、
 まったくわからずに、ただ横顔を、
 姿を見ているだけなんです。 

 私も一応専門職といわれている
 人間なんだから、できそうなんだけど、
 なんだか姿を見ているしかできなくて、
 申し訳ない気持ちと、 
 自分に対して「ああもう!」みたいな、
 そんな気持ちでいっぱいになりました。

 なんかくやしいというか、
 さみしいというか、
 そういう気持ちのときに
 デリバリー版を
 メールボックスに見かけたので、
 メールしました。
 読んでくれてありがとうございました。 
 (さ)



・NYの朝の風景に弱いみたい。
 映画の冒頭なんかで、朝のNYの風景に
 勢いのあるBGMが流れたりすると、
 ホロリどころかぶわぁ〜っと
 涙が噴き出してしまうんです。
 「フラッシュダンス」や
 「ワーキングガール」ならまだしも、
 ラブコメの「ユー・ガッタ・メール」でも
 いきなり涙が出そうになり、
 映画館でかなり恥ずかしかったですよ。
 でもまだNYには行った事がないんですけど。
 憧れの街です。
 (ぼのぼの)
 


・私の父方の祖母は、今年95歳。
 朝は畑仕事、終わったら
 ゆっくり朝ご飯を食べて、
 拡大鏡があれば老眼鏡も必要なく
 新聞を毎日じっくりと読む、
 マイペースで元気で、賢くて、
 皆に好かれてるおばあちゃんです。
 私は、難産(双子で逆子。妹は死産)の
 上に生まれた子だったので、帰省すると
 妹のお墓参りへは、一時期、
 「行かないといけないんだ」
 とうなされる位、思春期の頃は
 罪悪感に思っていました。

 そして大学への進学が決まった時、
 祖母は私を畑に連れて行き、
 一緒に畑の雑草を抜きながら、
 「おれは、○○子(妹)の分の
  寿命をもらって、今まで生きてるんだ。
  だから、おみゃあが心配することは、
  なんもありゃせん」
 「ええ事をしても、悪い事をしても、
  おてんとさんが見とる。
  おれの一番の自慢は、8人の孫全員が、
  まっすぐに、悪い事せんで
  育ってくれた事だ」と。
 その後、畑から戻って二人で飲んだ
 麦茶の味は、今まで飲んだ麦茶の中で
 最高においしかったと、今でも思います。
 私は先月、結婚式を挙げたので、次の連休、
 おばあちゃんにダンナと一緒に会います。
 きっと喜んでくれると思います。
 (shaker)



・旦那も子供(1人)も有りの働く主婦です。
 つい先日までの約半年間、
 別の男性と恋愛のような友達のような
 関係が続いていました。
 そして、昨日、恋愛のような感情をお互いに
 捨てることに決め、これからは友達として
 やっていくことにしました。

 私達はお互いに恋がしたいのではなく、
 お互いが一緒に会話をしたり、ご飯を
 食べたりしている時に生まれる安心感や
 楽しい気持を共有したかったんだなぁ
 と改めて気付きました。
 そのことをもう1回思い出して、
 友達としてこれからも、やって行こう
 と言ってくれた彼に感謝しなくちゃ、と
 思います。
 
 「苦しい、悲しい」
 「なにやってんだ、私のバカ!」
 って気持もあるし、
 「彼を追いかけたい」
 「そのまま恋に走ってもいいじゃん」
 って気持も正直あります。
 でも、追いません。
 私の胸の中で全部涌き出てくる気持を
 今は丸ごと受け止めて、
 浄化させていきたいと思います。
 (匿名希望)



・もうすぐ私のだいじな人の
 誕生日がやってきます。
 その人とは一時期つきあっていましたが、
 いろいろあって、いったんお互い
 距離をおくことにして、そのうち彼から
 「私の存在を負担に感じるようになった、
  もう好きじゃなくなった、
  ひどいことを言って許してほしい」
 と告げられました。
 もう彼にたわいもない言葉ひとつ、
 かけることも許されないような気がして、
 それきり私から連絡するのをやめました。

 まだつきあっていた頃に
 貸してもらったものを返さなくちゃ、
 私はあなたをうらんだり責めたりなんて
 絶対しない、
 人が人を許すとか許さないとか、
 許せないことなんて、
 この世にほんとにあるのかな?とか
 ちゃんと伝えなくちゃ、
 私からも「さようなら」を言って
 区切りをつけなくちゃ、
 いろいろ思うのですが、
 今でもまだ彼を好きな気持ちに
 変わりはないので、
 ぐずぐずと何もしないで
 泣いてばかりいます。 

 彼は今も私のだいじな人だから、
 何か私にできることを
 彼にしてあげたいのですが、
 何もしないことが、
 それどころか離れていくことが、
 私にできる彼の望むことなのだなあ、
 と思います。
 やっぱりまだつらいです。
 (つ)



・祖母は、亡くなる二年くらい前から
 ほぼ寝たきりの状態で、
 わたしの顔を見るといつでも、
 「来年は高校?」と聞いていました。
 しまいには自分が未婚で,
 実家にいると思いこんでいて、
 実の娘であるわたしの母に
 「縁談を世話してほしい」
 と頼むまでになりました。
 わたしはそういう祖母と
 どう接していいかわからず、
 徐々に足が遠のいてしまいました。
 その祖母が最後に言ったことが
 「〇〇(わたし)のところに産まれた
  赤ちゃんの名前はなんと言ったかねえ」
 でした。
 人はいつ死ぬかわからないのだから、
 いつでも後悔しないでいよう、たとえ
 喧嘩してひどいことを言って別れたあと
 この人が死んでしまっても、
 後悔しないようにしよう、
 と常に思っているつもりでした。
 でも、祖母の最後の言葉を聞いたとき、
 わたしは激しく後悔したし、
 自分を責めました。 

 でも、それと同時に
 (とても身勝手かも知れませんが)
 とても嬉しく、
 力が湧くような思いもありました。
 人間の意識の奥の深さ、
 途切れない肉親への思い、
 そういうものに
 ふれたような気がしたのです。 
 そんなことを思い出しました。 
 (n)
 


・最近、二十歳になりました。
 「あー、大人になったのかなぁ」
 と最近思います。
 今までは家族って
 そこに空気みたいに存在してて、
 ずっと、甘えていたり、
 鬱陶しく感じた事もありました。
 私も一人暮らしをするようになり、
 家族と離れてみて、父や、母も
 一人、一人の人間だったんだなと
 気づきました。
 両親は離婚し、
 円満な家庭ではなかったけれど、
 40年近く、
 休まずに働き続けている父も、
 ずっと、家族の問題を抱えながらも
 頑張っていた母も、
 周りから見ればそんなに
 いい親ではなかったかもしれないけれど、
 私にとってはとても尊敬できる存在です。
 定職になかなか就けない兄の気持ちも、
 学校を休みがちになった弟の気持ちも、
 実家で余生を過ごしている
 祖母の気持ちも、
 離れているからこそ分かりました。
 最近はみんなのことを「好きだな」って
 思えるようになりました。
 
 これからも色々な事があるだろうけど、
 「好きだな」「だいじだな」
 っていう気持ちには負けないと思います。
 私たち家族はよく、
 メールを活用しています。
みんな、バラバラに住んでいても
 メールがあれば遠くも近くに感じます。
 メール様様って感じです。ほんとに。
 今なら、恥ずかしくもなんともない
 「家族が大事な人」
 って、胸を張って言えます。
 (花)



・私の祖母は今はもういないのですが、
 小さい頃から本当に良く
 私をかわいがってくれました。
 お菓子を一緒に食べる時も、
 祖母は自分の分には手を付けず、
 必ず私が食べ終わるのを見ていて、
 「こっちもお上がり」
 と言ってくれるのです。
 夏の暑い日、蚊帳の中で、
 私が寝付くまで、いつも団扇をあおいで
 歌を歌ってくれました。
 自分よりも何よりも、私のことを
 いつも考えていてくれた祖母でした。
 
 今でも祖母の手の
 ぬくもりとかをふと感じます。
 祖母の背中におぶってもらった時の、
 あの何ともいえない安心感と
 においや暖かさを、
 45歳になった今でも時々思い出し、
 なつかしく、なぜか
 せつない気持ちになってしまいます。
 ひ孫の顔を見せてあげられたことが、
 一番の恩返しだったのかしら‥‥。
 今でも祖母の存在を身近に感じて
 生きている私です。
 (ひろこ)



・先日急にたくさんのことが
 頭をかけめぐり
 バイトが終わった瞬間に
 イスに座り込んでしまったんです。
 そのときそっとそばに
 来てくれたオーナーの奥さん。
 ものすごく落ち込んだときって
 何か言いたくても
 言葉が出てこないじゃないですか。
 黙ったまま下を向いている
 私のそばにいてくれたんです。
 だんだん落ち着いて、
 すこし話せるようになって、
 今までのことや将来が
 どうしようもなく不安なことを、
 途切れ途切れに話しました。すると、
 「自分を責めたらあかんよ。
  自分を好きになってあげんと」
 と何度も何度も言ってくれました。
 今までそれこそ
 何度も言われてきた言葉だけれど
 改めて心にしみました。
 ただのバイトの私に、
 仕事の手を止めて‥‥。
 「泣くな、泣くな」と抱きしめてくれた
 腕のあたたかさ、
 もたれかかった肩のあたたかさ。
 (ゆ)



・もうすぐ8回目の結婚記念日。
 付き合い始めたころから数えれば、
 夫とは10年以上の付き合いになります。
 だからかな、最近はイヤなところが
 たくさん目について、
 私の小言が多い毎日でした。

 その夫が、今は出張で家にいません。
 晩ごはんは子供と二人、
 「手抜きでもOK!」と思っていたのに、
 買い物に行けば、
 夫の好物を買おうとしているし、
 夜になると帰ってくるはずもない
 夫の車の音を待っているし、
 何より一日中、何だか変な気分なんです。

 そして出張6日目の今日、
 夫が出張先から電話をくれました。
 いつも聞きなれている声の
 「もしもし」が聞こえてきたとき、
 何だか胸がぎゅーっとなってしまって、
 とっさに返事ができませんでした。
 その後普通に話し始めたから、
 相手は何も気づかなかったみたいだけど。

 今度は私から電話をかけてみようかな。
 「帰ってくるのを楽しみに待っているよ」
 って言ってみようかな。 
 (Kanako)






あなたの「ホロリメール」も、お待ちしております。
それでは、また、明日のこのコーナーで!

デリバリー版への激励や感想などは、
メールの表題に「ほぼ日デリバリー版」と書いて
postman@1101.comに送ってください。

2002-01-08-WED

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