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第66号 ホロリもの・その1。
こんにちは!
昨日までは「なごみ」についてお届けしてきましたが、
こんどは、おなじコーナーから「ホロリ」を特集です!!!
すこしじーんとするようなメールばかりを、集めてみたよ。
デリバリー版をきっかけに
今年6月にはじまった「なごみとホロリ」コーナーから、
やはり半年ぶんのバックナンバーを、
次々とお届けしてゆきますので、おたのしみに‥‥。
では、さっそく、どうぞ!
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・夜店で買った小さな鯉を池で飼っていて、
2匹が生き残って、
10年ぐらいで30センチぐらいに
大きくなっていました。
ある日一匹が弱って
アップアップし始めました。
そしたら、もう一匹が付き添って、
横に浮かないように
支えてぐるぐると泳ぎはじめました。
ずーと泳ぎつづけていました。
鯉にも感情や思いがあるのかと
感動したこといまでもおぼえています。
(nanohana)

・ほぼ日の金魚のような、
普通のオレンジの金魚を
「金魚すくい」でとってきてから、
大事に大事に育ててきた私。
そのかいあって「きんた」と名づけた金魚は
ミニ鯉のように大きくすくすく育ちました。
私が来るとすぐに寄ってくるほどで、
それはそれはかわいがっていたのですが、
なにせ狭い家住まい。
そうそう大きな水槽を買う余裕もなく、
主人の
「会社のすぐそばに鯉みたいなのが
たくさん泳いでる川があるから、
そこに放してやれば、こいつも幸せ」
という話に、のってしまったのです。
後で、飼われていた魚は自然に戻したら、
生きていけないということを知って・・。
動物飼育に詳しくなった今は、
そんなことは当たり前と思いますが
それにしても、きっと彼は流される時
「何するんだ!」と飼主に裏切られた思いを
叫んでいたことでしょう。
もうかなり前のことですが、
金魚を見るたびに
「きんた」を思い出して胸がきゅんとなり、
「ごめん、きんた」と心の中で謝る私です。
(ひろまり)

・私は一人暮らしで
文鳥を4羽飼っているんですけど、
その子達、私の足音を
聞き分けて鳴くんですよ。
夜中、仕事を終えて
電車を乗り継いで自宅に帰り、
薄暗い廊下をドアに向かって
コツコツ歩いていると、聞こえるわけです。
ドアの向こうで「ピピピピピ」と言う声が。
部屋は真っ暗だし
もう寝てるはずなんですけどね。
ドアを開け、
「はいはい、ただいまー」
と言って籠の前に立ち、
布をかけてやるとおとなしくなります。
ちなみに以前、
彼氏が家に来ているときに
彼氏をおいて買い物に行ったんですが、
彼によると何人かが部屋の前を通ったけど
「ピッ」とも言わなかった。
でも急に文鳥たちが騒ぎ出したと思ったら、
私が帰ってきたそうです。
う〜ん、かわいいっす!
(さと)

・失恋するたびに私に泣きついてくる
ともだちがいます。
彼女は、いつも相手から
付き合って欲しいといわれるのです。
でも付き合っているうちにいつのまにか
彼女の「好き」の方がおおきくなって
相手にとっては重くなるみたい。
そして、ふられて、別のおとこの人に相談。
そうすると、その人が彼女に告白するの。
「今までの君を全部受け止めてあげるよ」。
いつも同じこと、
くりかえしてるだけじゃん。
本当に好きな人ができるまで
適当な男の人についていくのやめなよ。
・・・って言えない私は
彼女のこと心配しているのか
彼女に私のこと悪く思われたくないのか
よくわかんない。
男の人のことで女の友達を失いたくないし。
(匿名希望)

・春に引っ越しました。
駅の近くに住んでいます。
寝台特急「北斗星」を
日常的にみられることに感動しています。
特に、夕暮れ時に、子どもを
自転車の後ろに乗せて「北斗星」と並列して
走ったりなんかすると、ホロリとします。
そういえば、故郷で過ごしていた幼い日、
夜に貨物列車の音が聞こえると泣けました。
おばあちゃんの家から
2両編成の電車に乗り、姉と2人で帰る時、
途中で黄色い丸い電気が灯るのもホロリ。
ついこの前、廃線になってしまいました。
(あさ)

・時々ふらりとやってきては
暫く逗留していく野良犬がいました。
私がお出かけする時は、
つかず離れずついて来て、
フイに踵を返して何処かへ消えて行きます。
野良犬の癖に車が大好きで、
バンの後ろを開けると飛び乗って、
着いた場所からまた何処かへと去ります。
他の犬に喧嘩をふっかけられても
相手にしない、妙に漂々とした犬でした。
首輪をつけて繋いだ事もあったのですが、
見事に脱走するので好きにさせていました。
けれどある時、やはり、というか、
近所から苦情が来て、私の知らない間に、
父が山に捨ててしまったのです。
大変悲しかったですが、
繋がれて生きるより、彼にとっては
しあわせかも、と思うことにしました。
そして3週間程経ったある日。
従兄がうちの車を借りて隣の市の
国道を走っていた時のこと。
なにやら車の外が騒がしい。
周りの雰囲気がおかしい事に気づいて、
もしかして、知らないうちに
何かを引っ掛けてしまったのか!と
大急ぎで車を止め、ドアを開けた瞬間、
その犬が飛び込んできたのです。
遠くからうちの車を見つけた彼が、
必死で車を追いかけて
走って来ていたのだそうです。
そして彼はまた漂々と
風来坊を楽しんでいましたが、
ある日とうとう保健所に収容されてしまったらしいです。
知っていたら貰い受けにいったのに、と皆で泣きました。
(ミケ)

・私が中3の春に警察犬訓練学校から買った
売れ残りの耳のでっかいシェパードは
頭が良いのか悪いのか、
ドッグフードの袋に頭をつっこんで
食べてる姿を母に見つかり怒られたのですが
袋の中で食べるといけないと思ったらしく、
次の日は、口の中に頬張れるだけ頬張って、
自分の小屋まで運んで行き、
食器に入れて食べてました。
そして再び母に怒られてました。
おまけに高所恐怖症で、
病院の手術台にのせると
足がブルブル震えて耳をペトンと垂らし
私の腕と身体の間に頭くっつけてきました。
獣医さんも笑ってました・・・。
障害物を飛び越えることもなく、
もちろん我が家の高くない塀も
越えた事が無く家の中とお散歩の大好きな
気弱なシェパードでした。
そんな気弱なシェパードも14年前に
一番大好きだった父の休みの日に、
病院に連れていってもらい
(きっと病気で苦しかったはずなのに)
病院から帰ると小屋の前で
きちんとお座りして、
父が家に入る為背中を向けた途端
崩れるようにして
息を引き取ったのだそうです。
父はもう二度と犬は飼わないと言ってます。
(むー)

・私が好きなのはおばあちゃんの匂いです。
それは古い家の匂いと同じかもしれない。
この間総武線に乗ったら、
この匂いがしてきたので目をやると、
私の理想のおばあちゃんが座っていらっしゃいました。
まるで絵本の中から出てきたみたい...。
他にも席が空いていたけど、
私は、おばあちゃんの前のつり革に移動し、
電車の中のつかの間の幸せをいただきました。
まったくの他人の私だけど、
「ずっとずーっと、長生きして」と、
祈りました。
(さつき)

・今日、うちの猫が余所の猫と喧嘩をして、
どろどろに汚れていたので、
お風呂に入れました。
まず、唸る。
威嚇のために、低音で鳴く。
シャワーを掛けた所で、
思いっきり手に噛み付く。
噛み付いたところで、
放さないと解ると、後ろ足で蹴りを入れる。
蹴りを入れたところで、
逃げられないと解り、
前足で引っかこうと、空を切る。
とうとう、全体重で押さえ込まれると、
ぎゃーと大鳴き。
以上で、お風呂が終わりました。
猫と私の間には、
不信という川に血が流れました。
人間のおせっかいは猫に通じないことを
再認識した日です。(涙!)
(なち)

・仕事で、1週間に1度、
土曜日しか帰ってこなかった父。
土曜に家族全員で
「ドリフ」を見ていた時には、
番組中はとても楽しいけれど、
あの「ババンババンバンバン」という
歌が流れて、又来週〜!って聞こえると
「お父さん、又いなくなるんだ・・・」
いつも父のひざの上が指定席だった
小学校低学年の僕にとって
楽しいけれど、
とても寂しくなる時間でした。
(コウジ)

・小学生の頃、休み時間に鉄棒をしていて疲れると、
よくおなかに鉄棒を当てて、
ぶらーんとぶらさがり、ぼうっと
校庭を眺めたりすることがありました。
そんな時突然、周りの景色が
さーーっと引いていき、
そして唐突にも、
「あぁ、自分は結局ひとりぼっちなんだ」
と実感するのでした。
そんな時は家族の顔を思い出しても、
大好きな男の子の事を
考えようとしてもどうにもならず、
ものすごく寂しい気持ちになりました。
(ちなみに私は元気な
普通の小学生だったんですよ!)
あれはいったいなんだったのか、
今でもとても不思議なのですが、
「孤独」というものを感覚的に知った
初めての体験だったように思います。
大人になった今でも鉄棒にぶら下がったら
同じ感覚を味わうものなのか、
知りたいような気もするのですが、
自分では試してみる気にはなれません。
誰か試してみてくれないかしら?
(蓮)

・わたしは、夕方の音が好きです。
室内で働いていても、外の音の響き方で、
「ああ、もう、夕方だな」
ってわかるくらい、
独特の音の響き方があるのです。
急にシーンとなった感じの中から、
すべての物音が、今までと違って、
妙に淋しく響き始めるのです。
あの妙に淋しい音の響きかたは、
何故か、小さかった子供の頃の
夕方の心細さに似て、
胸がキューンとしてきてしまいます。
さんざ遊んで、
気がついたら夕方になっていて、
妙に家が恋しくなり、
母の待つ家に走って帰ったころの
懐かしい思いがこみ上げてきます。
(mine)

・うちのビッキー(犬)は
家族の誰かが窓ごしにいると、
網戸に鼻をこすりつけます。
そしてよりかかり、犬のなのに
なが〜い歯ぐきを見せてくるんです。
見るたんびに犬ってこんなに
歯ぐきが長かったんだ・・・と
いつ見ても感心しちゃいます!
(あや)

・脳のにおいを感じる部分は
記憶の部分と近くて
匂いから出てくる記憶は他に比べ
古いものでもしっかり結びついてる
って聞いた気がしますが、
「ほぼ日」で読んだのかな?
夏の夕暮れ時、網戸越しに外を見ながら
扇風機にあったて、
蚊取り線香の匂いをかぐと
幸福感に満たされます。
自由時間いっぱいだった、
学生時分の下宿暮らしを
思い出しているのかもしれません。
(す)

・実家で猫を飼っていたのですが
足の指先に癌ができてしまい、
何度も手術しました。手術のたびに
指を切断し、晩年はちょうど手首から
先がないような状態でした。
痩せこけて動くのも
つらそうにしていた彼女ですが
家族の者が家に帰ると足を引きずりながら
玄関まで迎えにきていたものでした。
ある日私とこたつに入っていると
「にゃあああ」と叫ぶような声で鳴くので
コタツを覗くと
中でおもらししておりました。
「気にしないでいいよ」と、声をかけ
掃除してまた一緒にねていますと
私の顔のそばまで近寄ってきて甘えた声で
「にゃにゃ」と泣くのでした。
また一人と一匹でこたつにねころんで
おりますと再度
「にゃああああああ」と
先ほどよりも大きな声。
なにか様子がおかしいので
見てみると息をしておりませんでした。
普通は猫は人に
死に目をみせないといいますが
最後まで人間のそばで過ごした
あまえっこの猫でした。
今思うとさいごのおもらし、
あれは死に水だったのでしょうか
見守ってあげながら
最後の瞬間を迎えることができて
良かったような気もします。
(Chibita)

・十二年前に亡くなった
実家で飼ってた犬を、よく思い出します。
父が近所のスピッツだったらしく、
真っ白で毛足の長い可愛い仔犬でした。
頭の良い犬で
一度教えたことはきちんと守り
無駄吠えもしない、本当に賢い犬でした。
毎年、夏になると、1週間ほど
家族でテント生活をするという
アウトドアな家庭だったので、
この犬も毎年強制参加で
乗り物酔いする犬だったのに、
母が言い聞かせて車に乗せると、
じっと耐えているのがけなげでした。
ある年のキャンプで、夕方、
私達が帰り支度をしている時
その犬は今までならその辺りを
ウロウロと散歩しているのですが
その年に限って、きちんと座って、
夕焼けを眺めていたのです。
まるでこの世の見納めという風情でした。
その時、父は
「あいつも帰りたくないんだろう」
と笑っていましたが、
その犬はほどなくして交通事故に遭い、
この世を去りました。
事故のあった早朝、
犬がぐったり倒れていると
知らせを受けてから
寝巻き姿で現場まで走っていき、
ひとまず家に連れ帰ってから
必死になって動物病院に電話していた父。
あれほど車に毛がつくと嫌がっていたのに
無言で病院まで車で運んだ父。
「次の年にあの夕焼けを
見れないのがわかってたんだろうか」
と、動物嫌いだった父は
いまだに涙ながらに話します。
・・・と、ここまで書いて、
その当時を思い出し
涙が止まらなくなっちゃいました(笑)。
本当に長々と失礼しました。
ここまで読んで頂いてありがとうございます。
(積木)

・私がかつて西麻布でぶらぶら遊んでいたころ
矢沢永吉さんはそのお店によくきてました。
何度か顔を会わせることがありました。
矢沢のすごさとか、えらさとか、
偉大さとか、な〜〜んにも
わからんちんの状態で話しかけられました。
はじめはそこそこ適当な話しでした。
最後に会った時
その日は私が東京を離れる2日前でした。
東京を離れるのは実は結婚だったのだけど
BARやCLUBに一人で行くような私が
結婚なんて似合わない気がして
お店の人には言っていませんでした。
俺の『東京』って歌知ってるか?
へ?知りませんスミマセン・・・
東京は成功した者が住む街だよ、でもな、
お前は負けたから帰るんじゃあないよな?
なにかに失敗したから
帰るんじゃあないよな…(中略)…
お前の人生だ、九州に帰ってもがんばれよ。
いつでもいい顔でいろよ…
私のお別れ会にたまたま来たと思うけど、
永ちゃんは、もっと励ましてくれました。
ここで書けないくらい涙ものでした。
お店で何度か顔を会わせた私に…
いりこの入ったおつまみを食べながら、
熱く語ってくれました。うれしかった。
東京をアカペラで口ずさんでくれました。
忘れられない思い出です。
そんな私は、離婚して今じゃあ
また東京に舞い戻り暮らしています。
送り出してくれたのに、
ごめんね矢沢さん。
「いい顔でがんばって」
という矢沢さんの言葉残ってます。
自分である為にいつも思い出す言葉。
「いい顔でいろよ!」って。
連載「53」楽しみにしています。
(LIKO)

・中3の時の担任はとても厳しい人で
みんなから嫌われていました。
クラスで私だけが受験した高校の発表時、
「ちょっと来い」と呼ばれて
職員室で結果が告げられるのかと、
こわごわついていくと、
途中の渡り廊下でクルリと振り返り
「あそこなぁ、ダメだった」と一言。
私は即号泣してしまい
(なんでこんなとこで言うんだろう・・・)
なんてその時は思ったけど、
気付けば騒がしい学校の中、そこだけは
誰もいない静かな場所だったんです。
それから先生はそっけなく
「次をがんばれ」とその場を後にしました。
今も先生が振り返った時の
悲しそうな顔が忘れられません。
優しい言葉なんてかけられたことは
なかったけど、本当に生徒の気持ちを
考えてくれてたんだなぁ・・・と
今更身に染みて感じてます。
(HMX)

・「浦島太郎の歌が切ない」
という人のメールがありましたね。
プール上がりも
何となく寂しい気分になるんですけど、
今回はこっちに反応してしまいました。
浦島太郎ではないのですが、
私は「犬のおまわりさん」がダメなんです。
子供の頃からこの歌が流れてくると
物悲しい気分におそわれて
大声で泣いていました。
急に泣き出す子に驚いて、
母に理由を聞かれても
うまく説明できずに泣くばかりでした。
今もイントロを聞くだけで、
鼻の奥がつーんとします。
困ってる犬の方じゃなくて、
どこにも行けない子ネコの
心細さにたまらなくなるのです。
(……と、今は思います。)
(みね)

・くりんくりんの金髪で、
青い目をした、ちいさな女の子を
街で見かけました。
ピンクときいろとしろが渦を巻いた、
嘘みたいにおっきな
ペロペロキャンディーを舐めてた。
すごい大事そうに、握ってた。
・・・あれって、わたしは結局
全部食べきることができなくて、
小さいときよく母に叱られたっけ。
女の子がおかあさんに
くっついて歩いてるのを見たら、
わたしもなんだか、
おかあさんに会いたくなった。
(アサ)

・「東京においで。一緒に暮らそう」
と彼に言われたけど、
どうしても地元を離れられません。
どんなに逆立ちしても
今年の仕事は詰まっているのです。
仕事はもちろん私じゃなくても
できることかもしれません。
かけがえのない彼かもしれません。
しかし、どうしてもいけない。
どこかで彼を諦めてるの?
「そうなったらそうなったで仕方ないさ」
と思っているのか?
なぜ、大事な人を追いかけられない。
この自問自答にまた苦しむ。
自分のことが、わからないです。
(千花)

・夏から秋のうつりかわりの時期かな。
夕方、自転車で帰っている時、
いつもだったら、夜び
7時頃まで明るかったのに、
ある日気が付いたら、
5時なると、すでに暗くなっいる。
この時の自転車に乗って
家に帰る時の風景と、
ふっと匂う香りがある。
その時に、
「あぁ、さみしいなぁ」って
おもってしまって泣けるのは私だけかなぁ。
社会人になってからも、
免許もってるくせに、田舎で不便なくせに
自転車での通勤がやめられない私。
毎日、草花の匂いをかぎながら、
旬をあじわってます。
今日は、雨の香り。
26歳の良い女が、
上下のグレーのカッパ着ながら、
豪速急で、自転車こいでます。
(まな)
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明日の「ホロリメール」も、おたのしみに‥‥!!!
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