ほぼ日・デリバリー版。

第57号 だいじな人・その2。


こんにちはー!!!
昨日にひきつづきまして、
「だいじな人」の2回めの特集を、お送りします!







・私が中学生の時に父が亡くなり、
 人が生きるということは
 必ず側に死があることだと知り、それからは
 大切な母や兄、その他の人々が、1日でも
 長く生きてくれるよう、祈るような気持ちでいました。
 兄が結婚し、兄の子ども誕生を目の当たりにすると、
 「死にゆく命もあれば生まれ出でる命もあるのだ」
 と様々なことを思いました。
 それまでは不思議なことに「死」にとらわれていたせいか、
 その当たり前のようなことに、まったく気づかずにいたのでした。
 そしてその種の「生まれる」という喜びは父の死後、
 自分には訪れるはずのない感情、と思いこんでいたので、
 自分が新しく生まれ変わったような感じもありました。
 すくすくと、元気にやんちゃにちょいアホに育っていく
 兄の子どもを見ると、本当に幸せな気分になります。
 (わ)



・30才を目前にして、若いというだけでは
 物事が乗りきれないと感じ始めていたころ、
 自分の生い立ちや育ってきた環境に
 悩んでいた時期がありました。どちらかというと、
 「こんな育ち方だからしょうがないよね‥‥」
 と他人に同情を求めていた時期かもしれません。
 そんな時、友人であり、
 その仕事ぶりを常日頃尊敬している女性が
 何気なく言った一言。
 「でも、もう自分で自分の人生を
  決められるぐらい生きてきたでしょ」
 彼女は周りから「箱入り娘」といわれている人で、
 その言葉を突き放す風でもなく、
 さらっと言ったことに、感動しました。
 (fukusuke)



・私のだいじな人はやっぱり母です。
 20歳で私を産んで22歳で弟を産んで、
 その後すぐに離婚。
 母は女でひとつで、母は水商売をして、
 私達を育て上げてくれました。
 片親ってのは珍しくもない話だとも思うのですが、
 水商売も立派な仕事だとも思いますが、
 まわりの目は厳しい。
 今の時代でも私の周りの人たちは、
 そういう事を特殊な目で見ています。
 「片親の子が多い学校だから、レベルが低い」
 「親がちゃんとした仕事(水商売)じゃないから‥‥
  親が親なら子も子」とか、
 すごく偏見をもった人が多い事にびっくりします。
 私は生い立ちを素直に話してはいません。話せません。
 今の世でもこうなのだから、母が私を育てた当時は、
 もっと風当たりが強かったのでは?と今更ながら思います。
 「お金の事で苦労はさせないから、何でもやりたい事やりなさい」
 母はそう、よく言ってくれていました。
 母は堂々を働いていましたし、いつも強い存在の人でした。
 でも私には、子供心にネガティブな感情が
 ついてまわっていた気がします。
 「片親だからって言われないように、
  水商売の子だからって言われないように」
 いつも一番気にしていたのは私自身だったのだなぁ。
 私にはあまり反抗期もなく、嫌々ながらも
 母の願う職業につき、今に至ります。
 母に嫌われたくないと思ってたのかなぁ。
 母を可愛がってるオバが教えてくれた事がありました。
 「お母さんはね、昔から
  文句ひとつ口にしないで頑張ってる人なのよ」
 そう言えば、子供の頃はそうだったなぁと思ったりしました。
 いつも「なんとかなるわ」と強く、
 頼れる人だったなぁと思っていました。
 私が大人になった今、母は同じ目線で話をしてきます。
 たくさんの愚痴も言ってくれます。
 今は再婚した母で、父はいろんな事情があって
 お金の苦労から逃れられないでいますが、
 楽しそうに暮らしています。
 私はそれで良いんだなぁって思います。
 大人になって良かったと思うことは、
 母の話(愚痴)が聞けて、
 多少のお金の援助も出来るようになって‥‥
 だいじな人をだいじに出来る事ですね!
 (な)



・私の大切なひとは、ばあちゃんです。
 亡くなってから気がつきました。
 よく言い争ってしまうのは、
 血が繋がった似たもの同士だから。
 「いつ死ぬかわからないなんて
  言ってるけど元気じゃん」と思っていたら、
 手術して目がよく見えるようになったと
 喜んだ1か月半後にはいなくなってました。
 しばらくは何も思わなかったけれど、
 半年ちかく経って思う。
 どうしてもう少し優しくなれなかったのかな、って。
 そしてばあちゃんには私の知らない秘密が沢山あって、
 いなくなった日から驚きの連続です。
 いちばんは、母が養子だったこと。
 確かに子供を産んだ雰囲気のないひとだったので
 妙に納得しました。
 それにしても、ばあちゃん、
 私たちが似ていたのは「血」じゃなかったんだね。
 (ほっしー)



・22歳の時、大失恋をしました。
 心が虚ろな状態で、元彼と一緒に通った
 居酒屋さんへ行きました。そこのオカミさんに
 「元彼のことが忘れられなくて苦しい」
 と胸の内を訴えていたら、オカミさんが
 「本当に好きだった人を忘れるには、
  好きだった年月の3倍かかるから
  今すぐ忘れようとしなくていいよ」
 と言ってくれました。
 付き合ったのは2年4ヶ月だったので
 「7年もかかるの!」とビックリしましたが、
 「そっか。じゃあ時間をかけて
  ゆっくりゆっくりと忘れていけばイイんだな」
 と思ったら、気持ちがスッと落ち着きました。
 その後は、悲しみ、未練、諦め、憎しみ、と
 いろんな感情とともに元彼のことを
 アレコレ考える日々が続きましたが、そのうち
 別の好きな人が現れたり、仕事が忙しくなったりして、
 ホントに全く思い出さなくなる迄には
 7年くらいかかったと思います。
 時が解決してくれる事を実感させてくれた一言でした。
 (ぐるんぱ)



・私は、看護婦をしています。
 看護学校では、実習というものがあり、
 1人の患者さんについてマンツーマンで
 いろいろと学ばせていただきました。
 私がついた患者さんは肺ガンで、手術を控えていました。
 流れを学ぶために、手術まで一緒に入るのですが
 なかなか大変な手術で、9時間にもわたる手術でした。
 手術が終わって、ICUに移動して意識がはっきりすると、
 患者さんから「今、何時?」と聞かれました。
 私が「19:00ですよ」と答えると、
 「じゃあ、もう帰る時間だなぁ。遅くなっちゃったね」
 と言われたんです。
 確かに、私の実習時間は17:00までだったのですが、
 ご自分が大変な時なのに、
 その患者さんは、私の事を気遣ってくれたんです。
 そんな時にも他人を思いやれる、その気持ち、
 大切なことを学ばせていただいたなぁと思っています。
 (やま)



・私が、結婚して初めての夏休み、
 ダンナと一緒にダンナのおじいちゃんに会いに行きました。
 帰り際、おじいちゃんは、5千円札を私に渡し、
 「これでクリームでも買いー」とおっしゃいました。
 それを見ていた主人が、
 「おじいちゃん、クリームにしては、多くないか?
  俺には、いつも100円とか1000円やったで」
 とおじいちゃんに聞くと、
 「アイスクリームと違うわ。
  若い女性を捕まえて、アイスクリームなんて言わへんぞ。
  化粧品のクリームのことや。
  これからは、なかなか買われへんやろうからな」
 とおっしゃったのです。
 おじいちゃんの、主人がおかしく思って
 聞き返すだろうということを予測してのクリーム発言は、
 まだ結婚して間もなく、緊張していた孫嫁の私にとって、
 思わず笑ってしまった懐かしい思い出なんですよ。
 (たぬき)



・今日は私の誕生日。28歳になりました。
 メールチェックをしたら
 母からハッピーバースディののメールが。
 「28歳おめでとう!
  ずい分永いこと人生をやってきたものです。
  私が28歳の時はもう貴女は小学生だったんですねえ!
  チョット急ぎすぎたような・・・。
  人生は永いけど一度きり、色々経験して、
  まあゆっくり丁寧に生きていってください。
  私もがんばりませう。これからもよろしく。
  カんパーイ!!」
 ‥‥なんでカンパイの「ん」だけひらがな?
 まぁ、幸せな幕開けの28歳です。
 (miya)



・明治生まれの祖母がいます
 もうかなり「違うところ」に行きかけていて
 運がいいと私の名前を思い出してくれる程度です。
 私はばあちゃんと呼ぶのですが 両親は
 「はすのさん」とよんでいます。
 祖母は名前でよばれるとうれしいらしい。
 にこにこして、たくさん笑って、
 父のことを早くに亡くなった祖父と
 間違えているようで、ちょっかいだされては
 「あはあは」と笑っています。
 こんなふうに笑って笑って
 残り少ない時を過ごせるって、ほんますごい人です 。
 (匿名希望)



・ドイツに住んでいます。
 今朝は青空が広がり、太陽が輝いていました。
 いつものように遅刻スレスレで、
 野っ原の通勤路を速足で歩いていますと、
 うしろから、もっと速足の人の足音が近づいてきました。
 私と並んだ途端にその人は、
 「あなたの髪はきれいねぇ」としゃべりかけてきました。
 ドイツに来てから、そんなことを言われたのは初めてです。
 たぶん、朝日がうまい具合に当たって、
 キラキラして見えたのでしょう。
 「日本に行くのが、夢なの。
  来年50歳になるんで行ってみたいけど、
  日本に行くのは高いから‥‥」
 とため息をついてました。私の職場の前で、
 「いい1日を」と握手して別れました。
 ああ、また今日も仕事かぁ‥‥
 という気分でいた自分を反省して、
 何だかほんとうにいい1日が始まる気になりました。
 (K)



・ニューヨークからメキシコシティに
 真夜中近く飛行機で向かっている時、ふと外を眺めると、
 ちょうどフロリダかメキシコ湾あたりだと思うのですが、
 機体の下には果てまで黒々と(夜だったせいもある?)
 雨雲が広がっていました。すると、にわかに雷が。
 時にどこかしこに雲のかたまりを明るく内部から照らし、
 時に縦横無尽の稲妻が走るのが眼下に見えました。
 頭上には明るい月。
 雷を上から見たのは初めてで、
 そのスケールの大きさと美しさに圧倒されました。
 そして数日前の「今日のダーリン」のようなことを思いました。
 この神々しいような美しさを、少なくとも
 地球上のどんな生物も見ることなどはなかったのだな、と。
 もしかしたら全く見られることなどなかったのかもしれない、と。
 考えてみると花も海も夕焼けも、
 「自身」は他者に美しいと思われることなど全く関係なく
 単に「自身」でいるんだなーと思い、
 なんだかとても嬉しくなりました。
 (美紀子)



・オーストラリアで卒論執筆中の学生です。
 同じ大学の先輩が今の私に特に大切なひとです。
 でも、もうすぐお別れ。
 別に、つきあっているわけじゃないんですが、
 毎日のように大学から家まで歩いて
 (二人とも学校の近くにすんでます)、
 私の愚痴とかをきいてくれて、
 間違っていることは間違っているって言ってくれて。
 ‥‥とにかく大切なひとです。
 今度の月曜日に彼は学会と調査のために
 東南アジアに出発します。3カ月はもどってこない。
 そして私のほうは、来月日本に帰るんです。
 彼は研究がとっても大事だそうで、
 年末年始もなく世界のどこかで調査を続けるみたいです。
 いつも身軽でいたいひとのようです。

 彼は学会準備で、私は卒論で忙しく、
 スウィートな雰囲気は、まったくないんですよ。
 きっと、お別れの日の日曜日の夜とかにだって、
 「じゃあ、またね」っていって、さようならなんでしょう。
 それを考えるだけで、涙がでてきちゃいそうです。
 彼は、私の将来も本気で心配してくれますが、
 自分がその一部になろうなんてぜんぜん頭になさそうです。
 とにかくのこった日を、大切に過ごしてみます。
 (saka)



・つい先日、手紙の整理をしていたときに
 達筆の文字がギュッと並んだポチ袋を見つけました。
 5年前にガンで他界した祖父が、生前にくれたものでした。
 「エリちゃんへ。
  お電話有難う。
  エリちゃんのことは、忘れたことがありません。
  永い将来の人生を有効に生きる為には
  常に今、今、今、今が大切です。
  今の続きが一生ですよネ。
  遠く離れた街で一人ぽっちで
  頑張っていることは大変と思います。
  ぢいちゃんは行けなくて残念です。
  時間を大切にネ」
 祖父は本当に仕事人間で、午前中から翌朝方近くまで、
 ろくに睡眠もとらずに仕事を続けるような生活でした。
 本当に熱心で、70歳を超えてもあちこち出張へ出かけ、
 別々に暮らしていた孫の私など、
 当然顔をあわせる機会はほとんどなし。
 たまに会っても、交わす会話は
 「姿勢が悪い」
 「魚の身がまだ骨についている」
 など、とにかく厳しくて、子どものころから
 そうとう苦手な、「イヤなオトナ」でした。

 ただ、私が就職のため、他県ではじめての
 ひとり暮らしをすることになったとき
 「困ったことがあったら、いつでも私に言ってきなさい」
 と声をかけてくれました。そのときは
 「こんな頑固じいさんに誰が相談するかい」
 なんて思ってましたが、
 いざ慣れないひとり暮らしをはじめると、
 夜中に急にさびしくなることがあり、一度だけ
 「そうだ、じいちゃんなら起きてるかも」
 と祖父の事務所へ電話をかけたことがありました。

 そのときが初めての祖父とのまともな会話で、
 なんだかぎこちなく、
 とりとめのない話しかできませんでしたが、
 祖父は、それをとても喜んでいてくれたようです。
 そのおこづかい入りのポチ袋は、
 祖母が後日持参してくれたのですが
 当時自分のことで精一杯だった私は特に気にもとめず、
 (おバカなことにおこづかいはちゃっかり抜き取って)
 祖父の言葉の存在すら忘れ、
 6年以上もしまいこんでしまっていました。

 なので今回、見つけたその文字を
 読み直したときは涙が止まらず、すぐに母に伝えました。
 すると祖父の生い立ちや戦中・戦後の生活などを教えてくれて、
 「戦争から帰って、残りの人生を充実させるのに
  仕事を選んだ人やったから、
  家族にとっては不満だらけやったよ。
  けど、じいちゃんの中では闘いやったんやなあ。
  何も言わずに死んじゃった、と思ってたけど
  これがじいちゃんの遺言みたいなもんやね」と。
 祖父の思いを受け取るのに時間がかかったことが、
 ちょっとくやしいけれど、でも人それぞれ
 「気づきどき」というものがあると信じることにして
 これからは祖父の思いをそばに置いていたいと思います。
 (eri)



・ひとり暮らしをはじめて、一か月。
 箱いっぱいに詰まった庭の柿が、実家から届きました。
 「こんなにいっぱい誰が食べるんだ?」
 と思ってはみたものの、
 小さな小さな形の悪い柿たちを見ていると
 なんだかいとおしい。
 わたしが働いている百貨店で売られているのは
 ぴかぴかで大きくて、1個1000円もする柿です。
 わたしは、大きな柿のようにぴかぴかきれいになりたい。
 でも、なんだかこっちのちび柿のほうが
 自分の分身のような気がしました。
 送ってくれた母の気持ちに思いをはせています。
 (ち)



・少し前に、わたしは目上の方に、
 「他人のことを思いやれないんです。
  ひとのためになにか自分がするときには、
  結局その人のためではなく自分の評価アップなど
  最終的に自分のことを考えています。
  こんな自分を変えたい。どうしたら変えられるか?」
 と、相談したことがありました。そうしたら、
 「人のためにしてあげる、ではなくて、
  させてもらう、させていただくものなんだよ」
 とサラッとおっしゃってました。なるほどなぁ。
 (エリー)



・カフェで、席の隣にカップルが座っていて、
 聞くつもりはなかったけど、会話が聞こえてきました。
 「いつも、仕事のグチばかりでごめんね」
 と女の人のほうが言うと、男の人のほうは、
 「構わないよ。
  何でもふたりで分けるって言ったでしょ?
  分けてもなくなりはしないけど、
  軽くなるからね。重い荷物は賢く運ぼうよ」と。
 うかつにも、わたしが惚れそうになりました。
 (M)



・アメリカで歯医者に勤めています。
 こないだ来院されたご婦人のことを書きますね。
 80歳は超えてるであろうそのご婦人(アメリカ人)は、
 心臓ペースメーカーを入れてます。
 その日も5メートル強の廊下をとても苦しそうに、
 2〜3歩あるいては休み、また少しあるいては休み、
 何分もかけて、ゼイゼイしながら、
 ようやく診察台に上がりました。
 治療が終わったあとも、
 行きの倍くらい時間をかけながらあるき、
 待合室に戻って、一休み‥‥。
 見ている方が辛くなるくらいなのに、
 息も戻らない状態で、お手伝いしてた私を見てにっこり。
 「あなたの靴は素敵ね。とても似合ってるわよ!」
 ‥‥二人暮らしのご主人も同じくらいの年齢で、
 正直言って、ご主人も決して頑強そうではありません。
 でも自分で運転をし、奥さんを歯医者さんに連れてきます。
 このご夫婦の周りには「二人の流れに合ったの暮らし」を
 感じさせる、優しいオーラが出ていました。
 無理して背筋を伸ばさなくても、
 普段の視界の中でいいものを見つけることはできる。
 それを表現すると、まわりも自分もちょっと幸せになれる。
 「もっと遠くへ行かなくちゃ、たくさん見なくちゃ」
 日頃から、そう焦っていた私には、大きな衝撃でした。
 小さな幸せを積み重ねていくと、
 私もあんな風な、優しい顔になれるのかなぁ。
 (たくらまかん)



・私にも、大事にしている「先輩ことば」があります。
 まだ、渦中のことなんですが、私は、
 交渉相手となかなかうまく交渉ができず、
 物事が進まない状態にいます。
 交渉相手には、なかなかこちらの意図が伝わらないし、
 「なんか、許せないよな」
 と思うこともたくさんあって、ムカついていたんです。
 そのとき、私の身近にいた、先輩のことば‥‥。
 「あまり一つにこだわらずに柔軟に柔軟に。
  いちいちムカついていたら、
  相手のペースにはまってしまいますよ。」
 先輩からこのメールをもらって、ハッとしました。
 交渉を進め、私達の目的を実現させるためには、
 相手のペースにはまっちゃいけない。
 柔軟に相手との交渉を進めなくちゃいけないなぁ、
 と改めて思いました。
 交渉事だから、目的の実現が最優先。
 そんな大事なことを忘れていたなあと思いました。
 「じーん」とする先輩ことばとは感じが違いますが、
 私が仕事を進めていく上で、大事にしている先輩の言葉です。
 (ぱんだ)



・会社に入って5年目。
 以前、大嫌いな人がいましたが、結婚して辞めました。
 お昼なんて、お湯を沸かしていようが、
 お茶っ葉を急須に入れていようが、
 コップを並べていようが、何をしていようが、
 な〜んにもしない彼女。掃除もしない。
 言わないとしないんです。
 一応、彼女が先輩ですから、
 まぁ、ひとりで黙々と準備する事もあり‥‥
 言えば、言われた事に関してはちゃんとやるんですが。
 彼女が辞めて、私にとってガンがなくなり、
 快適に会社で仕事ができる、と思っていたのですが。
 5年勤めて、随分見えなかったことも見えてきました。
 会社の、良い所も、悪い所も。
 どちらかと言えば、隠れていた悪い所が、
 ちょろちょろと尻尾を覗かせている事が多いと言うか…。最近、
 「あ〜あいつは、だから、
  言われた事だけをやっていたのかな」と、思う事があります。
 あの人は、あの人なりに、ここで、
 うまくやっていける方法を見つけてたのかもしれない。と。
 もっと、彼女と話してみれば良かったと、思います。
 そうすれば、只のずぼらだったのか、
 何か理由があったからなのかと言う事は
 わかっていたろうに…と、思います。
 今更、何も言えませんが。
 壁を作らず、道を作ればよかった。と。
 そうすれば、幾つかは解決していたかも…と。
 (Nob)



・わたしのおばあちゃんは、
 人の洋服をほめるときは必ず
 「まるで、あなたに合わせて作ったみたいだねえ」
 と言います。
 かわいいねとか、おしゃれだねではなく‥‥。
 洋裁を習い、紳士服の仕立てなどを
 していた人だからということもあるのでしょうが、
 大人になって自分で好きな服を買えるようになったとき、
 それってすごくだいじなことだなあ・・としみじみ思いました。
 (ha)






あなたにとってのだいじな人は、誰ですか?
明日の「だいじな人」特集に、つづきます。

デリバリー版への激励や感想などは、
メールの表題に「ほぼ日デリバリー版」と書いて
postman@1101.comに送ってください。

2002-12-14-SAT

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