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第56号 だいじな人・その1。
こんにちは。
昨日までの「言いまつがい」を
たのしんでくださったみたいで、うれしいです!
きょうからの3日間は、ちょっとしんみり系になるよ。
「だいじな人」という、冬に入りかけのころに、
メルマガのほうで流行っていたコーナーをおとどけです。
「それぞれの人にとっての大切な人」
について、しっとり話してくれたこの企画には、
パソコンの前でホロリときたというメールが、
たくさん、きていました。では、どうぞ!!!
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・私の祖父はパーキンソン病と
アルツハイマー病をもっています。
そのうえ脳内出血で倒れ、
体を思うように動かせません。
記憶力も弱くなってきて、
1分前のことも忘れてしまいます。
わたしは、2年ぶりに、
アメリカから帰国したので、わがじい様が
デイケアーをうけている病院に迎えにいきました。
じい様は車椅子にのって、
看護婦さんに押されながら玄関まできました。
私の顔をみたとたん、じい様は大粒の涙を流して、
おお泣きにないてくれました。
それを見ると、私も思わず涙が・・・
隣にいたばあ様が
「よかったね〜あんた。誰だか分るねえ〜?」
と聞くと、わがじい様は泣きながら、
「わからん」と首を横にふってくれましたよ。
悲しいんだかおかしいんだか不思議な気持ちになりました。
(夏みかん)

・わたしのまわりのていねいな人は「さえぐささん」です。
わたしは歯医者で助手のアルバイトをしており、
さえぐささんは患者さんです。
うちの歯医者は待合室と診療室の間のドアが自動ではないので、
患者さんをご案内したあと
あきっぱなしになってしまうこともしばしばなのですが、
さえぐささんはいつも、両手です〜っと
とちゅうまで閉めて一度とめ、大きな音がしないように
「とん」とドアを閉めてくれます。
ほんとうにていねいなんです。
さえぐささんがドアを閉めるところが好きで
いつも一部始終をじいっと見つめてしまいます・・
30歳くらいの男の方なんですが、
育ちがいいってこういうことなのかなあ。
(は)

・十年ほど前、母や兄弟たちと
はじめて大喧嘩をしてしまいました。
原因は私の転職の相談。
それまで、あんまり母に心配かけたくなくて
勧められるまま大手の某有名企業に働いていたのです。
それが突然興味を持ったある仕事に就こうと思いたったのです。
もちろん先行きまったく不安な職種だったもので
みんなが反対するのは当然だったのですが。
末っ子でしかも他の兄弟よりずっと年下なので甘えていたし。
そのくせ、生意気だったなあと今となっては感じます。
でもその当時は、誰も味方になってくれないと
家族からの電話にもでない日々がしばらく続いた後、
ポストに茶封筒が一通入っていました。
母からでした。
自営業で一日中働いていたために
全然私にかまってあげれなかっただとか
高校受験前、美術系に行きたかった私を先が心配だからと
普通科の高校にやってしまったことだとかを
許してほしいというような、予想もしなかった
いろいろなことに対する謝罪が切々と書きつづってありました。
なんともいえない気持ちになりました。
多少不本意でも、自分で判断して決めてきたつもりでしたし、
朝から晩遅くまで働いていて寝ているところを
見たことがないという母に育てられて大きくなった私には
感謝こそすれ恨んだりなんかしたことはありません。
それを何十年もずっと私に対して申し訳なかったと
母が思い続けていることがショックでした。
ボロボロ泣きながら何度もその手紙を読んでから、
ちょっと気持ちを落ち着けて母に電話をしました。
手紙を読んだこと、それと今まで何にも
恨んだりしていないこと、感謝してること、
普段言わないけれど誰よりも大好きなこと、
それを早口で一気にまくし立てた後、
電話の向こうの母と二人受話器を持ったまま大泣きしました。
その後は今までどおりの関係を続けています。
結局よくよく考えてそのとき考えていた転職はやめて
また違う職についたのですが
その一件があってよかったと思っています。
母からの手紙は引き出しにしまってあります。
時々、その手紙のことを思い出すだけで目頭が熱くなります。
(cheeky)

・「部署を変わることになって……
明日からこれなくなっちゃって」
半年間通い続けた場所とそこで頑張るみなさんに
お別れを言いに行きました。
1カ月ほど前から、言わなきゃ、言わなきゃと思いながらも、
寂しくて悲しくて言えませんでした。
「お世話になりました。ありがとうございました」
という言葉を口に出すと、涙が出る。
だから家で何十回も泣かないように練習しました。
練習の成果は発揮できて、笑ってお別れが出来ました。
帰り際、どうしてもご挨拶したかった人に会えました。
「部署を変わることになって……
明日からこれなくなっちゃて」
そして「お世話に…」という言葉を
練習通り言おうとしたら、その人の方から
「今までありがとうね」と言ってくれました。
私の方がいっぱいいっぱい
「ありがとう」と言わなければならないのに。
我慢していたのに、涙が出て来ました。
4年間通った大学の卒業式よりも、
住み慣れた実家を出る時よりも、寂しい気持ち。
仕事を通してこんな気持ちになることなんて
ないだろうと思っていました。
またみなさんにどこかでお会い出来る時、
「おーいい女になったな!」
と言われるように頑張りたいです。
(凛)

・今日は祖母のお通夜です。
104歳でした。長生きでしょう? 天寿マットウです。
「お葬式は、親族だけで質素にやろう」
と私の母を含むおばあちゃんの子供達は決めたそうです。
でもね。
おばあちゃんの子供は10人兄弟(私からみておじ・おば)。
さらに、孫が数十人(私からみていとこ)。
さらにさらに、ひ孫が数十人。
そして、玄孫までいるのです。
かるく見積もっても、親族だけで100人くらいはいそう。
「質素に」っていっても、弔問客だけでかなり派手です。
おばあちゃんは、この100人あまりの親族全員に 愛されていました。
足腰は利かなくなっていたけれど、
亡くなる数日前まで、まったくボケず、
昔のことまでしっかり覚えていました。
100人の親戚を作ってくれたおばあちゃん。
しっかりもので、面倒見のよかったおばあちゃん。
私が置き引きの被害にあったとき、
「赤口の日にモノを買うと『身につかない』から
今度ガマグチを買うときは、大安か友引の日に買うんだね」
って教えてくれたこと、忘れないよ。(ちょっとナゾ療法?)
104年間、お疲れ様でした。
私、おばあちゃんの孫でよかったよ。
(みずまる)

・休日であるはずの日曜出勤って、憂鬱ですよね.
私は生き物を扱う仕事をしてるので
休みの日でも会社に様子を見に行きます。
厳密に言うなら、「扱う」ではなく、「使う」なのでしょう。
私たちの行っている研究という仕事は、
動物や菌達の命の上で成り立っています。
彼等はスイッチON、OFFなんかできるはずがなく、
お世話をする人間が休んでも、生きるのを止めてはくれません。
就業時間内に実験させてよって言ったって、
成長を急いでもくれません。あたりまえですけど。
スケジュールは彼等にあわせて組まれてゆきます。
週末くらい、朝寝坊したいです。
平日も、スーパーが開いてる時間に帰りたいです。
有給取って、旅行に行きたいです。
人より長い間会社にいるのに、
残業代つけてない自分がバカみたいです。
大変だねって言われる度に
「でも、好きな仕事だから」って答えます。
ほんとは、自分に向かって言い聞かせている。
「好きな仕事だから!!!」って。
本当は、ほんとに好きかどうか、
もう分からなくなっちゃいました。
けど、一つだけ分かることは、私には
この仕事以外の仕事はできないだろうなあ、ということ。
今までも何度か立ち止まったり浮気したり、
違う道を選んだりして、でも結局今ここにいる。
‥‥こんなの書くのって、
「わたしこんなに頑張ってるの、頭撫でて誉めて」
って小ちゃな子が言ってる様なものですよね。
誉められるために仕事してるんじゃないですから、
気持ちを引き締めてまた明日から頑張ります。
好きな仕事だから。
そう、自分が選んだ仕事だから!ね。
(alexa488)

・私にとってのだいじな人は母です。
「親が大事ってそんなの当たり前」
って思うかもしれませんが
私と母は血のつながりがありません。
私が小学生のときに父親が再婚して、
私に新しいお母さんができました。
それからずっと、私と母との関係は最悪でした。
顔を合わせれば、何か理由をつけて怒る。
私は何で怒られているかわからないので、黙ってしまう。
すると、私が黙っていることが気に障り、さらに怒る。
という繰り返しでした。
当時、母の事は大嫌いでした。
私が高校を卒業して、しばらくしてから父と母は離婚しました。
理由は父と母のたわいもないケンカでした。
私は父に引き取られ、その何年か後に
父はもう一度、別の人と再婚しました。
父の再々婚を機に、私は一人暮らしを始めました。
あるとき、父にはどうしても相談できない問題が起こり
どうしようもなくなって、母に電話しました。
母は黙って私の話を聞いてくれた後、
「なんでそんなになるまで相談しなかったの!
10年も一緒に暮らしてたんだから、娘も同然よ!
昔はいろいろあったけど、
これからは何でも相談しなさい」
と泣きながら言ってくれました。
その母の言葉は、ほかの誰に
言われた言葉よりも、嬉しかったです。
問題も、母がいろいろとアドバイスしてくれ、
なんとか乗り切ることが出来ました。
本当は血のつながりもないし、離婚したから、
戸籍上でも他人になってしまったんですが、
そうやって私のことを「娘」と言ってくれる母が、
私のとてもだいじな人です。
(よ)

・ウチは4人家族で、仕事でいそがしく、
家にほとんどいない父。専業主婦の母。
寂しくて時々ずいぶん酔っ払ってしまう母。
兄が中学2年生。ワタシが小学5年生。
兄もワタシも 学級委員をしていて
友達も多く、部活を頑張り、
勉強を適当にしてそれなりの成績で、
俗にいう優等生タイプ。
母は兄をかわいがり、私はそれを当然だと思っていた。
なぜなら兄はとても素直で、思ったことを
ちゃんと伝えられるタイプだったから!
ワタシは家族には、ありがとうとかを言えない
かわいくない生意気な小学生だった‥‥。
ホントに母にとって、
「兄が1番でワタシはその次」というのを
その日までは自然に受け止めていたはずだった。
ある日、酔っ払った母はワタシの肩を抱いて言った。
「おまえもかわいいけど、どっちかと言ったら‥‥
ホントどっちもかわいいけど、
どっちか選ぶなら、兄ちゃんなんだよぅ」
もちろんロレツはまわってない。
ワタシは「そんなの当たり前じゃん」と思ったのに
それを聞いた途端、一緒にいた中学生の兄は泣き叫んだ。
「いっしょじゃないと ダメーーーー!!」
「同じじゃないとーーー!うわあ、あぁーーーん!!!」
ワタシは びっくりして、兄の涙に動揺して
「もういいよ。もういいよ」と涙が止まらなくなった。
ふと、そのことを思い出すたび、兄への感謝の気持ちで
涙がボロボロ出てくる。20数年経った今でも。
それ以来、ワタシも家族に対して「ありがとう」を
小さい声だけど言えるようになりました。
母はきっと、酔ってそんなことを口にしたとは
思ってもいないと思うけど
そんなことは知らなくて良いこと‥‥。
(nori)

・わたしは、へなちょこ駅伝ランナーでした。
へなちょこなりにもかけっこでお金もらっていたわけですが、
へなちょこチームだったので
不況の波にどっぷり呑まれて廃部になってしまいました。
企業スポーツは、大変ですねえ‥‥。
非常に嫌な思いをしてどろどろぐちゃぐちゃな、というか、
まあいろいろ通らずに済むなら通りたくなかった道を通って、
ほかの企業に移籍するような状態でもなく、
わたしは、どんより引退したのですけども。
そんなわたしがそのままその企業に残って
働くことになったわけです。
やりたい仕事のできるポジションが用意されていたのですが
「よろしくおねがいしまーす!」
なんて、フレッシュマンのようにはいきません。
チーム最後の駅伝時の失態と、調子の悪いカラダを背負って、
どんな顔で新しい部署に入っていけばいいのだろう?
‥‥ガチャリとドアを開けたとたん、
「お疲れ様!」
職場のみなさまが声をそろえてではなく
ばらばらに、でもいちどに、言うんです。
「お疲れ様!」‥‥???
わあ。はじめて言われた。
退いてからはじめてそのコトバを言ってくれたのが、
新たな道でお世話になる方々だなんて。
空きっ腹のビール以上に、沁みました。じわ。
ああ、そういえば、最後のレース応援に来てくれていました。
わたしはアンカーで、あと一人抜けば
全日本だったのに、ぼろぼろで‥‥。
その「お疲れ様」がなかったら、わたしずっと、
競技のことひきずっていたと思います。
365日×何年も注いできたものですから、
もちろん、ひきずらないわけないですけど、
その一言だけでものすごく軽くなったのです。
ハサミでチャキンとそこを切り取って、きれいにたたんで、
「大事にしまっておきなさい」と渡された感じでした。
(匿名希望)

・私は29歳、女です。
最近、だいじな人を一番に持ってくるのか、それとも
自分を守るかで、かなり辛い思いをしています。
私が今一番大事にしたい人は、
元は会社の男の先輩だった人です。
社会人になって仕事から社会人の心得から
一から教えてくれた人で、会社が倒産した時も
一緒に頑張ってお互い支えあって、
何とかしのぐことが出来ました。
彼が凛としてプライドを持って仕事をしているのを、
後ろから見習って同じように行動してきた感じです。
そんな時、彼は奥さんがいきなり出て行ってしまい、
今度は私が女性として精神的に彼を支えるようになりました。
裁判など、いろいろ有った末に、奥様との関係修復はならず
残念ながら離婚も成立し、私はそのまま彼女となりました。
でも、離婚の際、彼は自分の昔の彼女に相談し、
その結果、彼女とよりを戻す話が出て、
それが後で私に分かってもめたり、と色々有りました。
奥様のこと、子供のことを私より大事に思うのは分かる。
でも、いまさら昔々の彼女に「愛してる、かも」と言うなんて‥‥
いまでは、
「終わったことだから。気の迷いだ」
と言っていますが、やっぱり私は辛い思いをしています。
「私を大事に思うなら、昔の彼女と
縁を切って、電話もメールも着信拒否して」
とお願いしましたが、彼は自分を信じてくれ、と言います。
私のこの気持ちを単なる女の嫉妬だと考えているようです。
もう、このままで一緒にいても私も辛いし、
また私も彼を責めて傷つけるばかりなので、
いまは別れを切り出すのをいつにするか考えているところです。
ほんとに、私の社会人としての6年半、女性としての8ヶ月は
彼無しでは無かったと言える位大事な人ですが、これ以上、
この関係を続けていると自分もおかしくなりそうなので。
それでも、彼にいままでありがとう、と感謝しています。
ほんとに、大事な人を大切にするって難しいですね。
P.S. カーン様情報、楽しみにしております。
(匿名希望)

・私の大事な人はありきたりですが、父です。
小さいころは家庭を省みず、仕事を起こしては
お金が全くない日々が続いたゆえ、人を怒鳴り散らしたり
泣きながらふとんの中に籠っていたり。
そんな父に振り回される母と私と弟。そして離婚。
私はそんな父を疑い、そして
心の痛みをかんじながら育ってきました。
そして、私は仕事をする年になり
私なりに必死に、そうなるまいとがんばった結果が
心を病むことになりました(軽いもんだったんですが)
でも、ここでわかったこと。
父も必死でやってきたんだって、
だから故に自分を追い込んだ結果、
そういうことになったんだって。
このあいだ、事業が安定した父を前に、
わかってあげられなかった事をすなおに謝り、
「どんなことがあっても大丈夫、大好きだから」
といったとき、父は声をあげて大泣きしてました。
はじめてでした。
私は父も母も弟も大好きです。
でも、一番大事なひとは?と聞かれたら父ですって。
いまはね、そうじゃなかった年数分だけ言いたいなぁって。
そうおもいました。
(まめかん)

・私の実家、栃木では、相手を心配する時は
「だいじ?」と言います。大丈夫?という意味です。
私の父は、アキレス腱を切ってみんなに
「だいじ?だいじ?」とものすごく心配されても
「だいじだいじ♪」と一日中歩き回ってしまう
そんな「だいじな人」です。
(うみ)

・大切なひとはいっぱいいますがそのうちの一人を。
そのひとは合コンで一度しか会ったことのない人です。
「みんな好きなことで飯が食えていいねって言うけど、
自分の人生なんだから好きなことすればいいじゃないか」
と、その人は、何かの話の流れで言いました。
プロのスノーボーダーの彼は
がむしゃらにスノボに打ちこんで来たのだから、
何もアクションを起こさない人から
うらやましがられることに、
納得がいかないようでした。
私自身を批判する言葉ではなかったのですが、
私は相当ショックを受けていました。
やりたいと思うことをやらずにいる自分に煮詰まっていて、
でも待遇のいい職場をどうしても離れることが 出来ずにいたのです。
彼にはその後会うことはありませんでしたが、
私は10ヶ月後に退職し、今は兼ねてから
やりたかった料理に携わる仕事をしています。
彼のように自分の人生に対して
いさぎよい気持ちでいたいと思ったからです。
そして、好きなことを仕事にしている今、
彼の気持ちがとても良くわかります。
好きだからこそ、歯を食いしばって
頑張らなきゃいけない状況がたくさんあるということ。
本末転倒だけど、
「これが私の本当に好きなことなのだろうか」
という弱気な日も訪れるということ。
家族を心配させ続けているという負い目があること‥‥。
数えあげたらきりがありません。
しかし、この仕事を選んで本当によかったと思えるのです。
楽しくてやりがいがあるから。
今もくじけそうな時、どこかで彼も大好きなスノーボードに
打ちこんでいるのだろうと想像すると、元気になれます。
人生において通りすがりの誰かに、
こんなにも勇気づけられるなんて、思ってもみませんでした。
(のりこ)

・私のだいじな人は,やはり父と母です。
それまで、長女としてしっかりしなきゃ、
という思いが強く、両親の前で弱音なんて吐かない私でした。
しかし当時は教員なりたてで学級のことが上手くいかず、
どうしても辛くなってしまったある日。
帰宅し母の顔を見たとたん、
「わーん」と声を上げて泣きました。
泣きながら話す私の話に優しく耳を傾けてくれた母。
何か心に残る一言を言われたわけではないけど、
泣き終わる頃には「がんばってみよう」と思えました。
その話を母から聞いた父は、
それまでそんなこと1度も言ったことがないのですが、
「今日は2人で飲みにでも行くか」と言ってくれました。
直接は照れくさかったのか、母が
「お父さんがそう言ってるよ」と伝えてくれました。
結局、父のなじみのお店がお休みで
飲みには行きませんでしたが、今でも、
その日のことはずっと心に残ってます。
結婚するときは、両親に、この話をしようと思っています。
と言っても結婚の予定はないんですが‥‥。
(ともとも)

・だいじな人。これを読んで色々考えちゃいました。
親、友達、色々と浮かんだけど、
やっぱり一番大事なのは、ダンナさんです。
結婚して7年経ち、まだ子供もいませんが
7年たっても、最初のころよりも好きになってます。
恋愛と違って、結婚はドキドキするものがないぶん
単調だけれど、全力疾走して、
ゴールで手を広げて待っていてくれるという
何にも変えがたい幸福感があります。
手を怪我したとき、お風呂で体を洗ってもらって
親にはこんなこと恥ずかしくて無理!
‥‥と思ったときに
「あぁ、もう家族はこの人なんだ」
と実感しました。けんかして
「なんなのよー」って思うこともあるけれど。
(タマ)

・わたしのダンナは、残業手当なし、
その上クレームがガンガン回ってくる立場。
お客さんの質も昔より悪くなっていて、
理不尽な要求が多いようです。
ストレスからジンマシンに悩まされても、
毎日、12時間はたらいて、笑顔で帰ってきます。
愚痴も言いませんし、たまに話すことがあっても、
笑い話のように話してくれます。
世の中にはきっと、一生懸命仕事をしても
報われない人がたくさんいるんだろうなぁと思います。
自分も仕事をしていまして、ツライことは
日めくりカレンダーみたいに毎日やってくるけれど、
「一生懸命仕事すること」に誇りを持ちたいなぁと思います。
(しろたん)

・こないだヨーロッパ旅行から帰国した時のこと。
飛行機が遅れて、予定より遅く帰宅し、
おまけに時差ボケもあって、
「翌日の仕事を休もうかな」などと
甘えたことを考えていたらば、母から一言。
「しんどいと思うけど、休暇の翌日は肝心よ。
あんたはまだ若いんだから、
ちょっと無理しても大丈夫。
少々のことなら頑張って会社行くんよ」と。
もう30才になり、会社では複雑な企画や
難しい商談をこなしている私ですが、
社会人としての基本を、
専業主婦の母から今さらながら学ぶ情けなさと
ありがたさを感じました。
なにげない時々で、
背筋をピンと伸ばさせてくれるひとことを
言ってくれる母。わたしのだいじな人です。
(の)
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明日の「だいじな人」特集に、つづきます。
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