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第19号 海外心。
こんにちは!!!
今日は、デリバリー版から流行った
"海外心"というミニコーナーを、ご紹介しますね!
「イギリスに留学していて、
いちばん目にしている日本語メディアは
明らかにほぼ日です!
せっかく留学しているのだから、
日本語から離れる方がいいのですけど、
ほぼ日だけは、つい見てしまうのです(Kay)」
たとえば、昨日にも、このようなメールを
いただいているのですが、海外にいる時、
ふだん着の日本語に触れるメディアとして、
「ほぼ日」をたのしんでくださっている方は、
うれしいことに、いつも、かなり多いようなんです。
そんな方たちの、
「海外にいる時に、ふと思うこと」
をたくさん書いていただいたのが、
9月ごろ、デリバリー版紙上でちいさく流行った
「海外心」というコーナーでした。
一時、本紙「ほぼ日」にも、ミニコンテンツとして
掲載されていましたので、そちらを
覚えてくださっている人も、いるかもしれませんね。
今日はまとめてお送りしますので、
ぜひ、読んでみてくださいませ!!!
ちょっと、ハードボイルドな感じが、心地よいですよ。
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・今日、昼にラーメン作って食べました。
少しだけ残ってたカチカチのフランスパンを
ラーメンの汁にひたして食べてみたら、
ちょっぴりコンビニ肉まん風の味に。
でも、変な食べ方自慢でも、
「おためしあれ」と言っているのわけでもありません。
「コンビニ肉まん風で嬉しがってる自分って…ホロリ」
と思ってしまったもんで。
そろそろドイツに住んで3年。
いちど、日本に帰るかなぁ。
(ぷでぃん)

・今あたしは高校生で、オーストラリアに留学中です。
この前、カラ揚げを作ってみました、食べたくなって。
お母さんのやってた通り「こしょう、卵、小麦粉」って、
散らかしながらやっと揚げ終えて、
ブサイクなカラ揚げに、嬉しくなってました。
すぐに後片付けをしようと、
まだ熱い油に新聞紙をつっこんで、
捨てようとした時、油が手の甲を流れてつたい、
おたまじゃくしのような形の、真っ赤なやけどをしました。
熱くてびっくりして、その時叫んだのが、
「お母さんっ。ちょっと来て!!!」
・・・・・あ。
海のむこうだもん。「ちょっと」じゃいかないんだ。
腫れ上がった手でから揚げをつまみ、一口。 味気ない。
カラ揚げって、こんなだっけ。
・・・ねぇお母さん、ちょっと来て。
(え)

・スウェーデンに住んで3年経ちました。
スウェーデン人の主人と息子に囲まれて
けっこう楽しく過ごしています。
今つわりの真っ最中なんですが、
食べたくなるものが
玄米、味噌汁、梅干、納豆、
小さいころ憧れだった日清カップヌードル。
見事に日本のものばかり。
しみじみ「私って日本人なのね~」と
自分の日本人度を自覚しました。
日本語の本とかビデオを見ているときに、
窓の外を近所の人が通ると、
「あ、ガイジン」と思う自分に苦笑します。
「おいおい、自分がガイジンだろー!」って。
この調子じゃ、何年住んでも
日本人度は増すばかりですね。
(かなか)

・今は、カナダに住んでいます。
たまに、夜になって
暗くなってさみしくなった時、
「大好きな人のいる日本に朝を届けてあげよう」
と思います。
(は)

・おばあちゃんと久しぶりに電話で話をしました。
電話をする度、その日にあった事を話してくれます。
そして、最後にはいつも、
「夜、寝る前にね、お月様にいつもお願いしてるんよ。
**ちゃん(私の名)が元気でいられますように、って。
朝、起きたら、おてんとうさま(お日様)に
**ちゃん、今頃何してるかなぁ、って話してるんよ」
と言います。
私は、この言葉を聞く度、目頭が熱くなります。
日本と7時間の時差があるところに住んでいる私。
でも、おばあちゃんの言葉を思い出し、
寝る前にはお願いをしてくれたお月様を見て、
温かい心で眠りにつきます。大丈夫、元気にしてるよ。
(イタリア在住・らら)

・先週、半年ぶりにお刺し身を食べた時は、
なんとも言えぬ幸福感に浸ってしまいました。
まず魚屋さんに入って、そこの生臭いような
潮臭いような匂いをかいだ途端、なつかしい……!
そしてあじを買って家に帰り、お刺し身にしました。
そこでも、魚をおろす時の、あのごりごりした感触や
洗っても洗っても魚臭さが取れない自分の手。
ほんの少し、ちょこんとお皿に盛られたあじの刺し身。
刺し身が美味しかったのは勿論ですが、
遠くの魚屋さんに行く前の期待感から始まり、
食べるに至るまでの全てが懐かしく、贅沢に感じられ、
まるで過ぎてしまった
小さい頃の夏休みを、追体験しているような気分でした。
(ナツ)

・日本に無性に帰りたくなる瞬間、あります。
温泉に入りたくなる時と真夏です。
特に今年の夏は日本に帰省することができなかったので
ひどく淋しい夏になりました。
パリでは30℃を越える事は殆どないので……
自分が「夏らしい」と思えたのは、
せいぜい一週間ぐらいでしょうか。
汗をダラダラかこうとやはり
「夏」のない季節は本当に淋しいものだと思います。
それと対照的なのは、温泉の季節です。
東京に住んでいても少し田舎の方にいけば
温泉を見つけることができますが、
フランスには日本のような温泉はありません。
(鉱泉がたま~にあるぐらい)
冷えた体を時々芯から暖めたくなりますが、
こちらではかなわぬことです。
(さがん)

・アメリカのスーパーでは、
もうハローウィンを意識してか、
巨大なカボチャがゴロゴロと売られています。
一つ50円くらいで。
それを見るたびに、カボチャの煮物が食べたい…と思います。
日本にいたときは、煮物なんて、しょうがなく
食べていたのに、今では恋しくて仕方がない。
カボチャだけでなく、ナスビやトマトなども
アメリカのは大きいだけで「あまみ」がないから、
自分では母の味は再現できません。煮物、食べたいなあ。
(りんご)

・ドイツに住んで、2年とちょっとですが、
最近思ったのは、
「ドイツ人と一緒のプログラムで
運動するべからず」です。
この間張りきって「アクアジョギング」っていう
水泳スポーツのクラスに参加したら、首の筋肉を痛め、
10日間手がしびれるという恐ろしいことになりました。
運動メニューがハードすぎたのです。
まわりは50歳近いおばちゃんばかりだったのに……?
ドイツ人は、とても頑丈なのです。
(ラン)

・いろいろな出会いや偶然や必然が重なりあいましたが、
日本を離れて暮らしているのは自分が選んだことなので、
大変なことはいっぱいあるけど、これが私の生きる道と
常々思ってはいるのですが、
日本を離れて7年経った今でも、
仕事を終えて日本では絶対見られない
きれいな夕焼けをみながら車を運転している時とかに
「なんで私ここにいるんだろ?」と思います。
(えり)

・イギリス在住です。
この間、風邪で数日間会社を休んでいたある朝、
「会社休んでるし、パチンコでも行こうかなぁ」
となぜかふと思ってしまい、そのあと、
「あれ、俺、最近なんでパチンコに行ってないの」
と愚問が浮かんでしまいました。
日本を離れ10年近く経っているのに……。
今は、一児の父で家族もいますが、
海外生活で、一番ひもじくさびしい瞬間は、
やっぱり、体調を崩した時ですね。
そんな時は国際電話をかけて、平日昼間の母に
「おまえ、なんやこんな時間に」
と言わし、ちょっと帰国した気分に浸ってみます。
(た)

・あさって、海外初挑戦の母が、
わたしのいるパリまでやってきます。
荷作りで忙しい母に、父は呑気に、
ハヤシライスを作っていけと命じたそうです。
今、「ほな、あさってな!」と電話をきりました。
ほんとに会えるんだなぁ。
とりあえず、おいしそうなお総菜屋さんでも、
探しておこうかな。
(こんぽ)

・私は昨日、25歳の誕生日を迎えました。
去年の誕生日には、アメリカにいても
日本のともだちからメールもたくさん届きましたが、
今年は数通でした。やっぱりこの歳になってくると、
みんな仕事で忙しいみたいです。
私はまだ大学生で、今年一応今の大学は卒業です。
なにを思ったのか、アメリカに来て
小学校の先生になる勉強をしてて(初等教育)、
火曜日からは実習が始まります。
アメリカで小学校の先生になろうとは思ってないので、
卒業すると、アメリカで私が今住んでいる州での
教員免許はもらえるのですが、日本では使えません。
大学院に進もうかなぁとも考えてて、
今は来年の事で頭がいっぱいです。
いい経験はさせてもらってるなぁとは思いますが、
日本で実際に社会人になるには、
まだまだ道のりは遠くなりそうです。
こっちには学生ビザで来てるため、バイトもできません。
だからまだこの歳になって親に援助してもらっています。
いつ親離れできるのか、それも気になっています。
まぁなんだかんだいっても、自分の人生。
じっくり考えて、歩んで行きたいと思ってます。
……って言葉ではかっこいいこといってても、
内心は、めっちゃあせりまくりです。
(匿名希望)

・「ドイツ人の気合いはすごい」という話題ですが、
カナダで一週間のカヌー&キャンプツアーに参加した時。
ツアー参加者はドイツ人またはドイツ系が多く、
インストラクターの方もドイツ系のかたでした。
やっぱり、なぜかとってもハードスケジュール……。
初心者ばかりなのに、一日8時間、
カヌーを漕ぎっぱなしの日もあるくらい。
くたくたになりました。
その後イタリア系の人の多いカヌーツアーに参加したときは
みんな漕ぐスピードも遅く、何とか
サボろうとしていたのが、印象に残っています。
お国柄なのでしょうか・・・・?
(よ)

・ドイツで、もうクリスマスのお菓子を
売ってるのを見かけたというメールがありましたが、
僕が今住んでいるここフィリピンでも同じような事が……。
というか実はこっちは、もうクリスマスムードです。
デパートにはすでにクリスマスツリーが売ってるし、
昨日乗ったタクシーのラジオからは
「クリスマスソング」が流れていました。
タクシーの運ちゃんに聞くと、
こっちの人はクリスマスを祝うために
1年間がんばって働いていると言っても
過言ではないらしいのです。
10月には、クリスマスパーティの準備に入るらしいです。
(た)

・トルコの首都アンカラ在住です。
先日、トルコ人の友人の田舎に
家族で遊びに行きました。
郷土料理の数々、素朴に土地にあった
季節の野菜や果物を一緒に収穫して、
それを車のトランクいっぱい!に
お土産として持たせてくれて、
2歳と4歳の娘たちは、
家畜のヒツジを追い掛け回し、あんまり
素敵で、楽しく、引き止められるままに
遊んで、気がついたら日暮れ時。
そこは、まさにミドル・オブ・ノーウェアの村で
暗くなると、帰る道も見えない・・・。
そんな訳で、日帰りのはずが、友人の
お父様のおうちに泊めてもらいました。
私たちが泊まると決めたら、
今まで遊んでたヒツジを指して
「あなた達のために、1匹屠って、
マンガル(BBQ)にしよう!」
と言ってくれるおじさんや、
娘たちに庭の花やハーブを摘んで、
塀越しに何度も持ってきてくれるおばあさん。
近所の家の窓には、
外国人のお客を珍しがる目、目、目。
裸電球1つを灯して、広いポーチでの夕食。
すぐ前の道を、ロバに乗った農民たちが
家路を急いでいます。
きゅーっとビールを飲みたくなっても、
ここは敬虔なイスラム教徒の村なので、
アルコールはどこにも売っていません。
泊まったお家は、昔ながらの作りで、
1階は家畜部屋、
人は2階で生活するようにできています。
これで、暖がとれるのです。
翌朝は、家畜の鳴き声で目を覚まし、
ポーチに出ると、近所のウシたちが、次々と
牧場に「出勤」している場面に出くわしました。
ウシの持ち主たちは、村の茶屋まで見送ると、
あとは牛飼いの少年に預け、
自分の仕事にかかります。
How simple we can live!
暇さえあれば、パソコンの前に座って、
「ここ」じゃない所を覗いている自分自身を反省。
トルコは、文句ナシ、本当に大好きな国です。
(けいこ)

・香港に住んでいます。
先日謎の蕁麻疹にやられ、
左右の頬が赤く爛れ、
腫れ上がってしまいました。
誰にも見られたくない思いで、
帽子を目深に被り
タクシーに乗り込み、
伏し目がちに行き先を告げました。
下を向き憂鬱そうにしていると、
香港人の運転手さんが
ふいにラジオを止め、
ダッシュボードから
1枚のCDを取り出し、かけました。
ドビュッシーの『月の光』です。
香港のタクシーで
ドビュッシーが聴けるなんて、
本当に、本当に珍しいことです。
有り難くうっとりさせていただきました。
それに、このCD、海賊版のようで、
3曲目が何故か『昂』のカラオケで、
ジ~ンの後に、フっと笑ったり、
憂鬱な気分が和らいだ20分間でした。
見知らぬ人に、言葉の壁を越えて
優しくされたことが
何より嬉しく、癒されました。
(赤仮面)

・ここインドは
水不足や水道のない家のために
様々なサイズのバケツが売っています。
かつてここの夏で水が出なくなったときに
購入した大人一人入れるバケツ。
いまでは週1でお湯をいれ、
家族かわるがわる入っています。
いつもはなんでもないお風呂の窓なのに、
このバケツ風呂からみるとなんだか
外の景色がほっとするものに見えるんです。
(まや)

・友達が遊びに来て
持って来てくれたビデオとか
とても大切に、楽しみに見てしまいます。
日本にいた頃は見もしなかった
2時間サスペンス物まで・・。
見終わった後、満足感に浸っている私って・・
とふと悲しくなります。
でも日本語というだけで、
とってもありがたく思えちゃうんです。
(ナオ)

・1年と少しフランスへ留学していましたので
みなさんのメールも
「うんうん」としみじみします。
留学生活は楽しかったけれど、
海外で一人で暮らすのは
正直とても寂しかったです。
フランスの生活はシンプルでとても快適です。
食べ物は安くておいしいし、
情報や流行に振り回されることなく
芸術に関しても気軽に楽しめます。
とてものんびりしていて
暮らすならフランスがいいですが、
でももう一人では
暮らしたくないなぁと思います。
初めて家族と離れたからでしょうか。
海外にいると、
やはり結局頼れて大切なのは
「家族」だなと思います。
フランスで、1年間帰国しないで
家族に会わないと言ったら
どの年齢の人にも驚かれました。
日本は大人になると、
家族と一緒に過ごすなんて……って
恥ずかしいような、変な理由なき
カッコつけがあるような気がしますが
自分の親でも、結婚して新しく作る家族でも
やっぱり「家族」は大切!家族は好きです。
うちは、私も妹も一時期日本を離れていたので
以来家族がより仲良しになりました。
ところで、留学7ヶ月目に、夏期講習で
1ヶ月間寮生活をしていました。
たまたま日本人はほとんどいなくて
ヴァカンスで来ている欧米の学生とともに
毎晩飲みに繰り出し、賑やかな日々でした。
ある晩、その町に住むクラスメイトの
アパートで3時くらいまで飲んでいたところ
(会話はもちろん全てフランス語)、
私は眠くなったので
「もう寮に帰る」と言うつもりが
「もう日本に帰る」と言って笑われました。
その頃はまだ楽しい盛りで、
帰りたいとか寂しいとかは
感じていなかったので
自分でも少しびっくりしました。
(とんちー)

・今は日本だけど、留学と調査で、
マニラで暮らしていたことがあります。
でも、「日本に帰りたい」って
思ったことは一度もありませんでした。
皆さんの話を読んでいると、
もしかして私は辛くなるほど
勝負の日々を送ってなかったのかもなあ、
と、寂しくなりました。
でも、逆に言えば、マニラにいた間、
必ず誰かに助けられ、
支えられていたということかなあと思って、
あらためて下宿先の皆さんや
学校の皆さんにありがとうって思います。
そんな私ですが、
マニラで日本を思うのは、
おにぎりとざる蕎麦が食べたいときと、
桜の季節。
カレーやラーメンといったものは
日本と同じ味がリーズナブルに味わえるし、
お金を出せば刺身もあるけど、
おにぎりとざる蕎麦は食べられない。
あと、桜の色。
フィリピンの自然はとても色鮮やかで、
私はそれにべた惚れなんだけど、
満開の桜を思い出すと、
胸が締め付けられるほど
日本の自然も愛してることに気付きます。
桜が白に近い薄紅色だということに、
思い出して初めて気付きました。
(うちこ)

・アフリカに旅行に行く前は
「海外に行って、
日本食を食いてぇなんて信じらんねぇ」
と思っていましたが、ケニアで
茶畑と茶摘をしている人たちの姿を
乗合バスの窓から見たら、
「うまいお茶のみてぇ」と思っちゃった。
やはり静岡県人です。
(い)

・2年間アメリカに留学していた頃、
もうあと数ヶ月で日本に帰る、
つまり自分の英語力が
いちばんノっていた時に
台所でマカロニチーズを作っていました。
そのとき突然、ホストブラザーに何か言われ、
とっさに口を突いて出た言葉が
「なんで?」だったんです。
当然ホストブラザーは
英語で質問をしてきたので
私も英語で返そうと思っていたのですが、
全くの素の状態で「なんで?」と
日本語で返してしまった。
あの時はびっくりしましたです。
(とと)

・今私はアメリカはアリゾナ州、
ツーソンという町で
勉強しているのですが、
友達と買い物に行った帰り道、
ふと見上げた空にはまん丸の月が。
そういえば、日本では
中秋の名月だったのだなぁと思い出し、
そのまま公園へとお月見へ行きました。
ほのかな街灯だけがともされた公園の中、
ぽっかりと回りを木に囲まれた
芝生の真中に立ち月を見ました。
日本で見ていようが、
ここで見ていようが、
私たちの目に映る月は
同じ顔をしているのだなぁと
気持ちが和らぎ、来週末の夜には
シートとおやつとお茶を持って
夜のピクニックへ来ようと計画を立て、
帰ってきました。
月曜からの授業の大変さも、
週末のピクニックのことを思えば
頑張れてしまいそう。
久しぶりに気持ちが満たされることを
実感した夜でした。
(あき)

・ロスの大学に通うものです。
1度でも訪れたことがある方ならおわかりのように、
この街では車がないとどこにも行けません。
それでも車のないあたしは
毎日不便なバスと徒歩で学校に通っています。
日が沈んでからは、危なくて外に出られないし、
飲料水を買うのにも、誰かの車に
乗せてもらわなければなりません。
毎日憎らしいほどの青い空に
バカヤローって叫びたくなるときもあります。
トボトボと夕日を背に、
重い荷物を抱えて、
誰もいない道を歩いていると
涙がこみあげてくるときもあります。
だけど、その空の青さに毎日救われます。
そして、その荷物の重さは夢の重さです。
(りんご)

・私はロンドンに住み始めて丸6年経ち、
言葉にも生活にも大分慣れてきました。
現在は看護婦として働いています。
ロンドンの病院って
本当にいろんな国の人が集まるんです。
患者の割合としてはイギリス人が
もちろん60%くらいは占めていますが、
あとはイギリスに住む外国人ですね。
文化も違えば生活習慣、
宗教なんかも絡んでくると大変です。
働きはじめたときは、
ちょっと戸惑うこともありました。
今でも言葉の全く通じない患者など、
向こうが何を言いたいのか分からず、
「どうしたらいいの・・・?」
なんて困りながら仕事してます。
でも、人間って患者さんって、
どこの国でも
だいたい同じことをいうんです。
あれやってくれとか、
これして欲しいとか。
嬉しいときとか文句をいうとき。
表現方法は違っても、
言ってることは同じなんです。
そんな時、人間って同じなんだ。
面白いなぁと思います。
病気になったときとかって、
人間の本質のようなところが
見えるんですよね。面白いです。
(maki)

・イギリスはロンドンに住んでいます。
前はカナダのトロントに住んでいました。
海外に住むとなんだか自分の国について、
変に批判的になるのは何ででしょうかね。
日本はこれだからああだとか、
イギリスではそんなことはあり得ない、などなど……。
友人のドイツ人も、ドイツに対して
批判的になっている面もありました。
でも、だからといって
日本が嫌いとかと言うものでも
ないんだと思います。
ご飯は日本の方がおいしいと思いますし。
電車やバスなどもきっちりと時間通りに来ますし。
銀行でも変に待たされることありませんし。
こちらに来て、いろいろな物事を、
ああそういうものなんだと
受け入れることが
できるようになったような気がします。
違うものを、違うと認めて受け入れること。
イギリスも、カナダも、日本も、
それぞれ好きなんですけどね。
(Ryu)

・この間の金曜日、
ミネアポリスの映画館で
千と千尋の神隠し(spirited away)を
みてきました。内容だけでなく、
「Team宮崎駿」の仕事の
極め細やかさに圧倒されました。
それらが、私の心の奥底で眠っていた
いろーんな思い出や、
言葉にはできない感覚みたいなものを、
「これでもか」「これでもかっ」
と引き出してくれるものですから
映画館を出るころには、
不覚にも涙がぽろぽろとまらない。
自分でもこんな気持ちになるとは
思ってもみなかったので
正直驚いてしまいました。
こちらの人と比べて、
自分の考えを発するタイミングが
遅かったり、心の中の感情が
むくむくと熟すまでの時間が、
こちらの人と比べて
時間がかかるように見えたことも、
それでもいいんだなあ、と思いました。
そういうことを、もっともっと大切にしていこうって。
私は日本で育ってよかったな。
こう思える幸せを感じた時間でした。
(T)

・おもしろい小説を
夢中で電車の中で読んでいて
フト顔を上げた時
「わ!なんでこんなに外人が!?」
とびっくり。
……外人は自分じゃっ。
日本語で書かれた小説の世界の中に
浸っていたので、ここが
ドイツだという事を忘れて
アタマとココロは、すっかり
日本へ戻ってしまっていたのでした。
(みみ)

・今日の海外心で、
イギリスの住む方のお話で、
「海外に住むとなんだか
自分の国について、変に
批判的になるのは何ででしょうかね」
と言う文を読んで、なんだか
「はっ!」とさせられたので、
メールしました。
私は韓国人と2年前に結婚して、
現在ソウルに住んでいます。
この2年間、思い起こすと私の場合は、
日本の批判どころではなく、
日本と韓国を比較しては、
「日本がいい!」と言いまくり、
うちの旦那が日本の悪口を
少しでも言うものならば、
どうにか理由をつけて
「日本がやっぱりいい。
すばらしい。優れている」と
凄い勢いでまくしたてていました。
そして、今日も、うちの前の
バス停でバスを待っていると、なぜか、
バス停より遥か先のバス停のないところで
バスが止まるのを発見し、激怒!
降りる時も、降りたいバス停よりも
遥か遠くで降ろされ、またまた激怒!
したところでした。
でも、不思議なもので、
「こちらに来て、いろいろな物事を、
ああそういうものなんだと
受け入れることができるように
なったような気がします」
って言う気持ちは私も同じなんです。
自分が住んでいる国を批判することって、
よく考えて見れば、よくないことですよね。
それにしても、自分の国に対して
批判的になれることって、
ある意味、羨ましいなあ。と思いました。
でも、やっぱり、バス停は許せない!かな。
(さちえ)

・こないだの海外心を読みました。
僕もその人と同じように
いま、ロスに留学してます。
本当にこっちは車が必要です。
僕は車で週に一回ほど
友達に乗せていただき
御飯食べに連れて行って
もらったりしてますが、
普段はバスで行ったり近所と行っても
まあ遠い所まで歩いて
水や食料を買いに行きます。
ほんまに重たいです。
でも、昨日の
「その荷物が、夢の重さなんだ」
っていうのにほろっときました。
「俺と同じようにやってる人が
それもほぼ日読んでる人が
ここにおるんかー」と思えたら、
なんだかちょっとばかし感動したっていうか
ポジティブなもんをもらいました。
(し)

・アメリカ在住10年目です。
少し前、こっちの大学で働いていた時、
パレスチナ人の学生と
話をする機会がありました。
彼もその兄弟も皆、
アメリカやヨーロッパに移民、
移住している中、ご両親だけは
エルサレムに残っているそうです。
激化するイスラエルの状況の中で
“この間の自爆テロは
両親の家のすぐそばだった。”
と言った彼に、
”ご両親は移住を考えてないの?”
と聞くと彼の答えはNO。
ご両親は長く親しんだ土地や友人を
今更離れたくないといっていると。
たとえ銃弾が行き交う街でも
ご両親にとってはそこが愛する故郷。
住めば都なのか。あと何十年か経った時に
私はこの国を故郷と呼び、
たとえ何があっても住み続けることが
できるのだろうかとふと思う
今日この頃でした。
(ニキ)

・友達が遊びに来て
持って来てくれたビデオとか
とても大切に楽しみに見てしまいます。
日本にいた頃は見もしなかった
2時間サスペンス物まで……。
見終わった後、
満足感に浸っている私って……
とふと悲しくなります。
でも日本語というだけで、
とってもありがたく思えちゃうんです。
(ナオ)

・私は、米国での暮らしが通算10年弱で、
このまま一生こちらに住む予定ですが、
国籍は日本ですし、
自分のアイデンティティも日本人なので、
アメリカ人に日本の話をする時、
「私の国では」という
言い方をすることがあります。
数日前の夜、いつものように
夫(アメリカ人です)に
「私の国ではね...」という話をした後、
取り入れ忘れた新聞を取りに1人で
郵便受けのところまで行った時に、ふと
「将来、米国での年月が
日本で暮らした年月より
ずっと長くなっても、まだ日本を
『私の国』って呼べるのかな」
と思いました。日本が
自分の国ではなくなる日が
来るような気がして急に涙が出てきてしまい、
少しの間、家に入れませんでした。
(ミシガンりりまる)

・遠距離恋愛をしています。
私も彼も在外邦人で、
それぞれ別の国にいます。
彼は仕事で忙しく、
私は公用で赴任中のため
訪問できる国が限られています。
私のパスポートが行けるとしている国に
彼がいる国の名前は記されていません。
偶然ながら私も28歳で、
そろそろ結婚してもいいころかな
と考えています。
でも今の仕事が本当に好きだし、
彼のいる国では
今の仕事は続けられそうにないし、
大体彼がいつまで
その国にいるつもりなのか
わからないので、
先行きは全く見えません。
忙しいながら、とりあえず
連絡は取り続けているんですが。
連絡がない間は本当に長くて長くて、
なんでこんな人を
好きになってしまったのだろう、
現地のボニータに
たぶらかされてんじゃなかろうか、と
色々なことが頭をかけめぐります。
仕事で抱えるストレス、
異文化接触で抱えるストレスに
恋愛ストレスが加わると、
なかなかしんどいです。
でも、こんなの私だけじゃなくって、
けっこうありふれた悩みなんでしょうね。
書かせてもらってありがとうございました。
(大)

・ずいぶん前に、
旅行会社に勤めていたときのことです。
あるお客様が、息子さんご夫妻のいる
東ベルリンに夏休みを利用して
出かけられる相談に見えたときのこと、
まだ統一されていないドイツへの旅、
おまけに初めての海外いろいろ
不安材料がそろっていました。
そこで乗り換えのご案内などを、
かの有名な鶴○の航空会社の
お姉さまにお尋ねしたところ、
本当に丁寧に教えてくださり、最後に、
「あとは、大和魂で頑張ってください」
と言われました。
そのお客様は無事に帰国され
とても喜んでいらっしゃいました。
海外で活躍する方々を見ると、
みんな大和魂で頑張ってるのかなぁ、
と思います。
(よしよし)

・もう2ヶ月も前になりますが、
今住んでいるドイツの街から
車で南フランスに行った時、
高速道路をおりて料金所で
支払いをしようと車の窓を開けると、
せみの大合唱が。
思わず涙が出てしまいました。
日本ではうるさくてうっとうしい、
とさえ思う事のあるせみの声。
涼しいドイツの夏ばかり
過ごしていた私には、
ただただ懐かしく、
夏休み、昼寝をしながらよく
せみの声を聞いた事を思い出しました。
やっぱり、夏は、じっとしてても
汗が出るくらいが一番です。
(rika)

・カナダでは英語と仏語が公用語です。
国としてはそうでも州それぞれで
第一言語が変わってきます。
私が住んでいるモントリオールは
仏語が公用語で、英語は2の次です。
努力して英語を使えるようになった私に、
仏語は今でも手強い相手。
買い物に行って仏語では
コミュニケーションが難しいと思う
会話の時、英語を使う事が多いのですが、
「仏語が駄目だから英語ね」
という感じが、とてもつらーい。
英語だって努力の末身につけたもので、
自分の母国語じゃない。
でもそれが仏語のバックアップに
なっているのが、悲しい…。
仏語が出来ても当たり前、
英語は仏語が出来ないから喋ってる、
そういう環境はつらいよ、
と思っている日々ですが、
日本から来た友達が
「すごいねー、英語も
出来るだけでもすごいのに、
仏語もべらべらじゃん」
と素直に誉めてくれて、
「そっかーすごいかー」
と素直に嬉しくなりました。
日本語以外の言語が出来たら、
日本ではちょっと
誉められちゃったりするのなーと
思っていたので、非常に嬉しかった!
(あさ)

・カナダの大学に留学中の
現在大学2年生です。
昨年の冬に日本に帰ったときに
「お土産になにかカナダの物を」
と思い、買い込んだのが、
メープルシロップ、メープルクッキー、
メープルティー等などメープルだらけ。
そうか!カナダは建国135年。
まだまだ若い国、
でも日本は歴史があるから
多種多様な文化、芸能がある。
これって、真似したくでも
絶対できない誇れる物と思い直しました。
日本を離れて初めて
日本の文化のありがたさを経験しました。
日本に帰ったらなんらかの文化を
是非体得したいと思っている
今日この頃です。
(G)

・海外に住むということは
何かと大変なこともあるけども、
やっぱり日本にいては気づかないことや
ちょっとしたことで嬉しくなったり、
おもしろいものですよね。
海外心を読むと、
ほんとにたくさんの人が、
がんばっているんだなあ、
と元気がわきます。
私は今は日本にいるのですが、
ちょっと前まで
ある東欧の国に留学していました。
東欧ということで、情報も少なく
日本人にはイメージが昔のままで、
未だに並んでトイレットペーパーを
買っているのか、町はくらーーいのか、
などと聞かれます。かくいう私も、
最初は不安いっぱいで行ったのですが、
なんのことはない、
かわいいお店はいっぱいあるし、
大きな外資系のスーパーマーケットは
たくさんあり、かっこいいクラブはあり、
きれいな女の人やかっこいい男の人は
ばんばん歩いてるし……。
たくさんの人が
私と同じようことに悩んで、
がんばって生きていました。
行かなきゃわからないことが、
たくさんですね。
現地でとつぜん
素晴らしい景色を発見したり、
日本にいたら行くことは
なかったであろう国や都市に旅行に行き
素晴らしい景色や町並みなどに
感動したりすると、世界には
たくさんのおもしろいものが
まだまだ潜んでいるんだろうなあ、
と思っていました。
メディアや世間で有名な場所の他にも
たーーーーくさんの魅力が転がってる。
世界ってほんとに広いなって思いました。
(あやのすけ)

・海外に住んでいるからこそ、
実感として思うことが
沢山書いてあって、心にしみます。
「いつか、この国を、
わたしの国と、呼べるのかな?」
の話など。
毎日心の片隅で思っているけど、
口にだして言えない事があります。
現地の友達にはなかなか言えない。
それぞれの国に住んでいて、
幸せだけど、
日本と自分を思った時に、
胸がきゅーっとなるその気持ち。
自分の骨は、いったい
どこに埋めるのだろう……?
(あさ)

・昨日の海外心で
「自分の骨はどこに埋めるんだろう」
と書いてらっしゃる方がいましたね。
私もボンヤリと考えてるんです。
もしこの地で(ドイツ)死んだら
私は土葬されるんだろうなあって。
そう思ったら
「いや、やっぱり火葬がいいかも」
なんて考えが浮かんだり。
(暗い話でごめんなさいっ!)
でもドイツ人の主人は、
「私は火葬にしてもらう」
と言ったら顔をひきつらせて
「イヤ!」と言いました・・・。
やっぱり習慣の違いですかねえ。
土葬か火葬・・・・・う~ん。
(み)

・ウチの両親はあまり電話も手紙もくれません。
メールも用事があるときだけ。
常に手紙も電話も私からの一方通行。
逆に私の周りの日本人の友人は
来仏はもちろん、電話や手紙も
とても小まめに来るみたい・・・。
マメにコンタクトを取るのが
愛情の大きさと比例するとは思いませんが、
率直に羨ましかったりします。
そんな両親がもうすぐフランスに来ます。
私に会いにというわけではなく、
会社関連の旅行の日程に
パリが含まれているからです。
なので、1日半くらいしか
一緒に居る時間はありません。
まぁそれでも久々に会えるのは
とても嬉しく、旅行の日程から
パリでの観光希望地まで詳細を
メールでやり取りしています。
パリでは両親と共に私もホテルに
宿泊できるよう、手配した
とのことだったのですが、
両親のパリ到着初日は夜11時ごろ。
その日も私は一緒にホテルに
泊まるのかどうか聞いたところ、
父からの返信メールはこうでした。
「到着が遅くなるけど
ホテルに来て下さい
(1時間でも一緒にいる
時間が長い方が良い)」
嬉しいのと、あ~、やっぱり
自分のことばっかり考えてるなぁ、
と切ないような情けないような
気持ちになり、涙があふれてきました。
パリでの観光案内役、完璧にしようと
意気込んでいたけれど、
素の自分で両親と過ごせる時間を
大切にしようと思います。
(Simon)

・ドイツ人の熱のさまし方が
すごい、という話がありましたが、
アメリカ人はもっとすごいよ。
一軒家をシェアして同居していた男は
40度くらい熱が出たとき
一生懸命冷たいシャワーを浴びてました。
テレビでは、熱を出した
赤ん坊を氷水に漬けていました。
・・・熱いものは
冷ませばいいという単純発想!
こっちが、ふるえそうでした。
(いわ)

・アメリカカリフォルニアにきて3年目。
父の50歳の誕生日が今年もやってきた。
メールで、おめでとうの一言をおくると、
次の日に、
「僕がカルホルニアに来た時に
一緒に泳ぐ海みつけといてください」
という返信がかえってきた。
いまどきカリフォルニアを
「カルホルニア」って言う人いるの?
でもこのメールで
「父健在」をあらためて感じました。
(夏みかん)
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一度に読みかえすと、なんか、
「なつかしい友達から、
遠くから手紙をもらっているような感覚」
に、似たものを感じました。
いま海外にいらっしゃるかたは、
どのようなことを、思いましたか?
「海外心」というテーマで
こういうことを思った、などなど、
メールをいただけると、さいわいです。
では、次回のこのコーナーで、またお会いしましょうね!
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