坂本美雨のシベリア日記。
一日一日が、かけがえのない一日。



1/3/2002
シベリア鉄道の旅 DAY 8
バイカル湖、湖底の音。


旅が始まって以来初めての雪の日になった。
イルクーツクからリストリビヤンカへ、
ロケバスで一時間くらい移動する。
なんとバスの中にも風花が舞っている!
隙間風どころではなかった・・・。
バスの中から、バイカル湖が見えて来るところを
撮ろうということだったけれど、
今日は雪が降っているので、
あまりドラマティックには見えなそうだ。

バスで起こった今日の事件1)
西野さんがトランクの鍵を無くしてしまった。
バスで起こった今日の事件2)
撮ろうと思った途端、藤井君の機材が断線した。
工具を取り出して、その場で直していたけれど、
バッテリーは壊れたままで、結局修理に出したらしい。
そういえば今日は初めてシベリアで猫を見た。
バスから、黒猫が道をトコトコトコ・・・
と歩いているのが見えて、トキメいた。

バスがアンガラ川沿いを走ると、
小さな家が集落のようにポツポツと見える。
霧ではっきりとは見えなかったけれど、
シャーマンロックが少しカオを出している。
名前の響きはミステリアスだけど、
雪をかぶって控えめで、
上野さんに言われなければ
車からでは気付かないくらいだった。
シャーマンの石には、
バイカルと、アンガラと恋をした海との、
恋物語の伝説があるらしい。
バイカルが、その元を走り去るアンガラに向かって
石を投げたのがそのシャーマンロックで、
そこがバイカル湖から唯一流れ出る
アンガラ川との境目になっている。
そしてついにバイカルが現れる。
果てしない灰色で、最初に列車から見えていた
真っ青な海とは表情が全く違い、
今日は無愛想で厳しいカオをしている。



バイカル湖の研究所と
ミュージアムが一緒になった建物に着き
(バイカル生態学博物館)
コートを着ずにバスから降りる。
(肺を凍らす冷たい空気が新鮮だけれど、
 自分の中で“このくらいの寒さ、へっちゃらさ”と
 意地を張っているふしもある・・・。)
 


建物は、あまり資金がないのだろうか、
内装がかなり凄く、
壁の中身が剥き出しだったりする。
撮影前にトイレに行ってちょっとショックを受け、
その後薄暗い廊下を歩いていたら、
なんだかよくわからない負の感情が
喉の奥まで込み上げてきて、涙が出そうになる。
マイナスのかたまりが襲ってきて、
自信が急激にしゅるしゅるしゅる・・・と
消えていってしまう。
知らない人に会う事も、
そこで色々な会話を交わす事も。
ただの軽い社交ではなく本心を見せてくれる
シベリアの人々と出会うことが
プレッシャーになっていたように思う。
そして、大きすぎる景色を
うまく吸収できていないことも。

その研究所で、バイカルの研究を長年続けている
イーゴリーさんと出会う。
40歳くらいだろうか、スッと高い鼻が特徴的。
外は灰色なのに、
「今日はそんなに悪い天気じゃないよ」と言う。
縦長の窓からバイカルが見渡せる彼の部屋は、
膨大な資料に囲まれ、年季の入った顕微鏡が
いかにも研究室らしい。
まず彼の長年の研究についてほんの少し話を伺う。
その研究所ではバイカル湖自体の観測と、
バイカル湖の歴史と生態の研究を行っているという。
深い話は後にして、陽がおちる前にボートに乗って
いざバイカル湖へ!



一緒に車に乗って坂を降り、
5分ほど走ると港町へ着く。
手前でバスを停め、ボートまでの数十メートルを
突風に飛ばされぬよう慎重に歩いた。
見送りに来てくれたかのようにひょっこり姿をみせた
灰色で足だけが白いスマートな犬も、
暴風に耳を吹かれてパタパタいわせていた。



港にいる船はどれもそんなには大きくはなく、
乗り込んだボートは15mくらい。
船の上は薄く凍っていて、滑る滑る・・。



うねる灰色のバイカル湖を見た時から
何か悪い予感はしていたけれど、
船が走り出した途端急に怖くなってきて、
走っている時はまだマシなのだけど、
エンジンを停めた瞬間海のような色の波と
揺れに負けてしまった。
寒いのは当り前だけれど、船酔いで気持ち悪くなり、
情けなくて泣けてくる。
機材を背負った撮影隊のほうが
何倍もツラいに決まってるのに・・・。





イーゴリーさんとお友達二人が
バイカル湖の中の音と映像を
撮って来てくれることになり、
極寒の水の中へダイビングするのを見送る。



なんともないように見えるけれど、
ウェットスーツを着ていたって
たぶん凍える冷たさなのだろう。
帰りを待っている間も
うずくまってしまうほどの船酔いで、
結局船室で少し休ませてもらうことにする。
急な階段を降りると暖かい船室にはソファーがあり、
ダウンジャケットに埋もれたまま
どさっと座り込む姿はたぶんダルマのようだっただろう
(雨宮さんにしっかり写真を撮られてしまったけど)。



20分ほどして、イーゴリーさん達が帰ってきた。
極寒の水中から戻ったばかりのイーゴリーさんが
気を使ってくれて、お茶をくれたりして・・・
あぁ自分が情けない。
でもおかげで少し落ち着いたので、
船の上で今録ってきたばかりの
湖底の音を聞かせてもらう。
波に揺られながらヘッドフォンをして
静かな湖底の音にひたる。
波の音などは湖底にはなく、
ただただサーーーーーっという音が
途切れることなく続いている。
アンガラ川へと流れ出る音なのだろうか?

船を再度走らせ、港へと帰る。
地上に降りても足元がふわふわ。
オミヤゲに、海綿を手渡される。
ブニブニした緑色のスポンジみたいなもの。
あまり喋らなかったアシスタントの人(?)から
もらったのでうれしかった。
(ケド、虫のような小さな生き物が
 たくさんくっついていて、怖くなってしまった。)
寒さで震えが止まらない。風があるので余計に。

イーゴリーさんが水中から戻ってきた時に船室で
ぐったりしてしまっていたことも恥ずかしく、
ますます申し訳なくて、気持ちが重い。
研究所に戻ってから、アシスタントらしき女性に
あったかい紅茶(チャイ)をいれていただく。
こっちの紅茶は、
カップに半分くらいお茶を注いでから、
お湯で薄めて飲む。
濃いめに出してミルクたっぷりの紅茶が好きな私には
最初少し薄い気がしたけれど、
慣れるととても美味しい。
この寒さの中で、
チャイはただの紅茶以上の意味を持つ、
身体と気持ちを落ち着けるための薬のようだった。

廊下で子供達がたくさん行き来しているので
学校の見学か何かが来ているのかと思ったら、
研究所の従業員の子供達が集まって
「もみの木祭り」
というイベントが行われているらしい。
別室で劇が行われるみたいなので少し覗きに行く。
色とりどりのキラキラをつけ
ドレスアップした子供達がすっごくかわいい。

再度、研究室でイーゴリーさんにインタビュー。
バイカル湖の、その世界一の深さと透明度、
夏の輝く美しさ、一面が凍った世界の雄大さ、
そして彼の家族のことなどについて、
教えてくれる。
彼は、何年も研究を続けてきているが
「知れば知るほど、わからなくなる」
と言っていた。
その言葉はストン、と身体の芯におちた。
痛いほど分かる気がする。
独自の生態系を有するバイカル湖は常に変化していて、
研究が200年続いているにもかかわらず
新しい発見がいつもある。
私達はたった一つの湖のことすら、
一生かかっても理解しきることはない。
彼に
「自分の生きている間に
 何らかの答えが見つからなくても、
 研究を続けるんですか?」
と訊ねた。
彼は
「どんな科学者もそうだ」
と答えた。
その一種の虚しさと、
小さな奇跡を毎日見届ける歓びとは、
常に背中合わせなのだ。

リストリビヤンカでのホテルは、
“バイカル”といって、
バイカル湖が見渡せる高台に建っている。
目の前に壮大な景色が広がっていて、
思わず柵まで駆け寄り
両手を広げる。
(さっきの具合の悪さはどこへ・・・。)
大きな熊の剥製がロビーに置いてある。
今日の客はどうやら私達だけのよう。
バイカル側の部屋にしてくれる。

バイカル湖の音。
ずっと、ザーーーッという、静かな、でも激しい、
ゴーーーーッという音が鳴っていた。
人間の血液の流れる音は体内ではものすごい轟音で、
胎児はそれを聞いて育つそうだ。
耳をふさぐと耳鳴りのような音がするのが、
それなのだろうか?
その音に、似ていると思った。
バイカルは人体のようだ。
バイカルも、湖に生息する何千種の生き物も、
その周りに暮らす人々も含め、一つの生態系だ。
そこに流れる血管の音。
鼓動の音まで聞こえる気がした。
バイカルを愛する全ての人々の血の音。
船の上で目を閉じて音だけに包まれて揺れている時、
自分が胎児になったみたいだった。
バイカルは生と死を受け止め、
人間の一生なんて軽く飲み込んでしまう。
その大きさを愛する人々。
イーゴリーさんのような人が
生涯を費やすほど人間を魅了するバイカル湖を、
ただ眺める。


坂本美雨オフィシャルホームページ
「stellerscape」
坂本美雨さんプロデュースのアクセサリー
“aquadrops”が誕生しました。
aquadrops(アクアドロップス)は、
坂本美雨さんがデザイン・製作、
トータルプロデュースを手がける
オリジナル・アクセサリーです。
美雨さんからのメッセージをどうぞ!
aqua drops...

揺れる水の粒。
したたる、春の慈雨。
冷たい水に触れる、指先。

透明感のある繊細なエレガンス、
毅然としたハードさ、フェミニンな揺らぎ。
耳から首筋、鎖骨へのしなやかなラインは
女性の美しさの象徴のような気がします。
そこを、水滴が一粒流れ落ちるような...。
そんなイメージを抱いています。

幼い頃から、母親や友人や自分のために
ビーズでアクセサリーを作るのが
好きでたまりませんでした。
最近、人を綺麗に見せるラインの洋服が
どんどん消えていき、
女性がドレスアップして行く場所も少なくなった。
そんな中で、おもわず背筋がピンと延びるような、
髪をキュッとアップにして出かけたくなるような。
生活の中で愛しい人や物を
真っすぐに見つめられるような。
自分が大切に作ったピアスを
耳にかける時に感じる、そんな気持ちを、
身につける一人一人にも感じてもらいたいと思い、
一つ一つ作り始めました。

坂本美雨

http://www.miuskmt.com/
 
限定通信販売もスタート!

aquadrops取り扱い店
<20471120>
東京都渋谷区神宮前3ー29ー11 
03ー5410ー2015
12時〜20時
<RICO>
渋谷区恵比寿西2ー10ー8 
03ー5456ー8577
12時〜20時

坂本美雨さんへの激励や感想などは、
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2003-08-21-THU

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