第3回 スーツの映画監督。
三谷 僕は、基本的には脚本家ですから、
そんなに人と交わらなくても
なんとかやっていける仕事ではあるんですよね。
ただ、やっぱり自分の中だけにはいたくない。
だから小説家には絶対ならないんです。
糸井 ああ、なるほど。
三谷 みんなと関わりを持っていたいんだけれども、
でも、ひとりでもいたい。
そういう意味からいうと、脚本家というのは
ちょうどいいポジションにある気がしますね。
糸井 しかし、監督になると、
そうも言ってられないですよね。
三谷 監督は、ちょっとそうはいかないですね。
糸井 そこをなんとかしてるのがすごいなぁと思う。
三谷 それは、「監督という役」を
与えられたからできるんだと思うんですよね。
糸井 そうか。で、まずはスーツを着て。
だから、目印なんですね、スーツは。
「スーツの監督」って役なんですね。
三谷 そうですね。で、ずるいのは、
「脚本家、あるいは舞台の人間が映画を撮ってる」
という役を自分でつくっちゃったんです。
だからすごく楽なんですけども、
さすがにちょっと罰が当たるような気がして、
それで少し悩んでるんです。それでいいのかって。
まわりにいるのは、本当にもう、
映画のプロの人たちですから。
糸井 ああ。だから、今度の映画の中では、
映画のプロの人たちを
ものすごく丁寧に描いてますね。
弾着屋さんとか、クレーンの人とか、
雨を降らせる人とか。
三谷 はい。やっぱりすごいと思いますし、
単純にカッコいいですからね、プロの方。
糸井 わかりやすくいえば、
「映画と映画を支える人へのオマージュ」
といいたくなるようなところが
『ザ・マジックアワー』にはあふれてましたね。
三谷 好きなんですけど、
同時にちょっと気恥ずかしかったりするんです。
なんか照れくさいんですよね。
「映画愛」なんて言われると、恥ずかしい(笑)。
糸井 でも、お好きなわけでしょう?
三谷 でも、僕は外の人間ですからね。
実際に映画の世界にいる人たちは、
みなさん本当に映画のことを愛してらっしゃる。
僕もそうなのかっていうと、
やっぱりどこか「外の人間」っていう
意識があるものですから、
ちょっと冷めているというか、
客観的であるような気がするんです。
糸井 でも、そうやって少し距離があるからこそ
見えてくるものってありますよね。
三谷 そうなんですね。たとえば、まぁ、
ぜんぜんスケールは違いますけど、
ビリー・ワイルダーが
『サンセット大通り』を撮れたのは
彼自身がアメリカ人じゃなかったからだというのも
なにか似たようなものを感じますけど。
糸井 昔、聞いた話なんですけど、
ニューヨークをテーマにした有名な雑誌があって、
それをつくっている編集長というのは
ニューヨークから100キロ離れているところの
出身だったそうなんです。
個人的な話になりますけど、
僕は、東京から100キロ離れた
前橋というところに生まれたものですから、
その距離感というのはとてもよくわかるんですね。
都会って、こう、遠くに見えるんですけど、
自分のいる足もととは違うんです。
だからこそ、東京というのが意識できるんですが、
中に住んでると、ただの地元になっちゃう。
三谷 なるほどね。
糸井 三谷さん、たしか東京出身ですよね。
三谷 僕は世田谷です。
糸井 だから、「東京を表す」なんてことを
ぜんぜんしようとも思ってないですよね。
三谷 そうですね。意識してないですね。
糸井 してないですよね。
東京の子ってみんなそうなんです。
「東京」っていうことばを‥‥
なんていうんだろう、呑み込んじゃってる。
だから、わざわざ使うこともない。
三谷 うん、そうですね。
糸井 東京タワー、登ったことありますか?
三谷 ‥‥ありますけど、
僕にとっての東京タワーっていうのは
「蝋人形館」なんですよね。
糸井 ああ、なるほど(笑)。
東京の象徴としてのものではなく。
三谷 そうですね。
タワーの部分はあまり関係ないですね。
蝋人形館、大好きだったんです(笑)。
糸井 いや、それは東京の人たち独特の
「都会の住み倒し方」だと思いますよ。
僕は三谷さんを見てると、
「ああ、東京の人だな」
って思うときがよくあります。
(続きます!)

2008-06-10-TUE



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